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「ヤシマさんに彼女が出来たってマジ!?」
高校2年の6月。
今朝耳にした噂であたしの脳内は持ち切りだった。
通学途中で耳にしたのは、数日前にヤシマさんに彼女が出来たという噂。
信じがたいその話にあたしは少々パニックすら起こし掛けていた。
あたしが通っているのは素行が悪いといわれる高校で、生徒の過半数は“獣神”と何らかの関わりがある。
だから朝から“獣神”やヤシマさんの話を耳にするのはおかしな事じゃなく、むしろ日常茶飯事と言っても過言じゃない。
そんな噂を耳にしたあたしが学校に着いて一番に向かったのは、彼氏がいる教室。
あたしの彼氏が“獣神”という組織にいながらも、きちんと学校に通うのは属する狂喜連合の所為。
何故か狂喜連合のメンバーは高校卒業というものを大切にしているらしい。
高校へ行くというのが狂喜連合の暗黙の了解で、高校在籍の一員はそれに逆らう事はない。
だから。
「あぁ、マジ」
あたしの彼氏がこうして自分の教室の自分の席に座っている事も決しておかしな事じゃない。
「どんな人!?ねぇ、どんな人!?」
興奮が抑えきれない感丸出しで、唾を吹き飛ばしながら喚くあたしに、
「……普通の子?」
彼氏のイツキは曖昧に答える。
それでもその答えが“人”ではなく“子”だった事に、ヤシマさんの彼女があたし達と同い年くらいなんだと安易に予想が出来た。
「会ったの!?イツキ、その彼女と会ったの!?」
「会ったっつーか……知ってたって感じ?」
「知ってたってどういう事!?」
「そういう事」
「え!?それってあたしも知ってる子って事!?」
「いや、お前は知らないと思う」
曖昧にしか答えてくれないイツキは、曖昧な笑みを浮かべるだけでそれ以上は何も教えてくれなかった。
だから余計に気になって、その“ヤシマさんの彼女”とやらを見てみたくて、その週の週末あたしはイツキについて久々に“Black Night”に出向いた。
“獣神”の一員の彼女だろうと“Black Night”の地下には行けない。
そこに行けるのは正式な“獣神”の一員だけで、あたし達彼女が行けるのはダーツバーのみ。
だけどヤシマさんのその彼女は、“Black Night”にさえ来ないと教えられた。
折角会えると思ったのに、結局その日は彼女に会えず、チラッとだけ会ったヤシマさんに「こんばんは」と声を掛けると、「今晩和」と優しく笑って答えてくれた。
女癖は悪いけど絶対に狂喜連合関係の女には手を出さないヤシマさんは、女と話す時にはいつも敬語と笑顔を崩さない。
それに対して優しいと思えるか距離を取られてると思うかはそれぞれの主観の問題で――…
彼女に対してはどんな口調で話すのか妙に気になった。
彼女が“Black Night”に来ない所為で会える手段が見つからず、結局噂やイツキの曖昧な言葉で聞くしかなかった。
彼女は凄くおっとりとした女の子で年はあたしと同じらしく、この界隈に住んでいるもののここの住人には珍しく進学校に行ってるらしい。
噂を聞けば聞くほどその姿を一目見たいと思うのはただの野次馬根性なのかもしれない。
だとしても“あの”ヤシマさんの彼女という存在は、どうしても見てみたいとあたしに思わせた。
そう思ってみても、ヤシマさんに彼女が出来たと聞いてから数週間経っても彼女に会う事が出来ず、結局彼女に会えたのは、いよいよ拗ね始めたあたしにイツキが根負けしたお陰だった。
「ユズ、そんなにヤシマさんの彼女に会いたいのか?」
イツキのその問い掛けにも完全に拗ねていたあたしは不貞腐れた態度で唇を尖らせるだけで、
「話は出来ないぞ?」
イツキはしょうがねぇなって感じの声を出す。
イツキと付き合い始めたのは中学の時。
その頃はまだイツキも“獣神”とは何の関係もなく、ただバイクが好きな普通の中学生だった。
そんなイツキとの長い付き合いでここまで渋々って態度をされるのは初めてで、
「……」
その態度に拗ねている訳じゃなく、返す言葉が見つからなかった。
それでもイツキにはあたしが拗ねてると見えたらしく、
「見るだけになるぞ?」
そう言葉を続けた。
「……」
「遠くから見るだけだぞ?」
「……」
「それでもいいなら連れてってやる」
「……うん」
別に拗ねてるから黙ってる訳じゃないよって言える事は出来たのに、それ以上にヤシマさんの彼女に会いたいって気持ちが大きくて、結局あたしはイツキの言葉に短い返事をして、その時を迎えた。
それは梅雨時にしては珍しく、雨が降っていない夜だった。
イツキに連れて来られたのはこの界隈でも一番ガラが悪いと言われる場所。
通りを歩く人たちの姿は見るからに性質の悪そうな人ばかりで、あたしでさえ普段こんな場所に近付かない。
イツキにもこの辺りには近付くなって言われてるし、あたし自身近付きたいとは思わない。
そんな通りの一辺にイツキとあたしは並んで立った。
イツキは何も話さずに、ただ通りの方をチラチラと眺める。
それに釣られてあたしも視線を動かしたけど、見える景色は陰気臭い景色ばかりだった。
どのくらい時間が経ったのか分からない。
目の前を行き来する人たちが同じ顔に見え始めた頃、ふと視線を向けた通りの入り口に人混みを制圧するヤシマさんの姿を見た。
それと同時に「来た」と呟いたイツキの声が聞こえ、その声に賛同するようにあたしは小さく頷いた。
周りの人たちが自然とヤシマさんの為に道を開けていく。
その行為は見慣れたもので特に驚く事はなかった。
この街の住人は“獣神”全てに道を開ける。
だからイツキと一緒に歩いていると、そういう光景を当たり前に目にする。
それでもイツキの時と違うのは、ヤシマさんとすれ違う人たちが深く会釈をする事で、その光景の圧巻さに思わずポカンとしてしまった。
徐々に近付いてきたヤシマさんは、ゆっくりと目の前を通り過ぎる。
ポカンとしたまま何とか小さく会釈が出来たあたしは顔を上げたその直後、この目で彼女の姿を捉えた。
ヤシマさんの数歩後ろを歩く女の子。
その子がヤシマさんの彼女だと分かったのは、未だ人が開けた道が出来ているからで、あたしが初めて見た彼女は既にこの辺りでは有名らしく、誰もが彼女に向かって会釈し、それに対して彼女も応えるように穏やかに笑う。
『意外』って言葉が頭に浮かんだ。
それは予想していた感じとは全く逆の……今まで見たヤシマさんが連れていた女の人とは違うタイプの女の子。
品の良さが雰囲気に現われていて、この界隈の人間とは思えない上品さがそこにあった。
人混みに消えていく2人は手を繋ぐ事もなければ会話をする事もない。
ただヤシマさんの後ろをチョロチョロとついて行く彼女の姿が妙に可愛らしいという印象をあたしに与えた。
「あれが……あの人が彼女?」
「うん。そう」
ヤシマさんと彼女の姿が見えなくなった後、イツキと交わした会話はそれだけだった。
腑に落ちないって訳じゃないけど、どうしてヤシマさんがあの子と付き合ってるのかが分からなかった。
あの雰囲気からしてどちらかと言えばあの女の子がヤシマさんに夢中で、ヤシマさんにその気はないって感じに見えた。
夜ごと変わる女の人たちの方がヤシマさんとの距離は近かった。
これまで見たラブホテルに消えていく姿は、いつも腕を組んでるか肩を抱いてるかしていて、あんな……前を歩いたまま振り返りもしないヤシマさんと、その後を必死にって感じでついて行くあの子の姿は、見てる側からすれば付き合ってるというよりも好きな人にくっ付いてるストーカーに近い女の子って感じだった。
そんなヤシマさんの彼女に再びあったのは、それから数日後の事。
――…雨の降る、妙に肌寒い日だった。
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