第3話 苦渋の決断

 入院して2ヶ月になる季節は寒い冬となり、それでいながら面会にやって来る人も居なくなり、会話も出来ずに退屈で仕方がなかった。


「あ〜暇だ〜!」


 暇を潰すにはもっぱらYouTubeとアべマTVのストリーミングプラットフォームを観覧していてさ、アニメとエンターテイメントばかりを観ていた。

 それでも飽きてしまい暇をもて遊んでしまう程だった。

 体を動かすのはリハビリしか無く、立位訓練から始まり歩行訓練へと運動する。

 歩行訓練は脇で支える平行棒を使い、骨折している左足を引きずりながら歩くのだが、それはとても辛く厳しかった。


「くう〜っ、いて〜。でもまたドリフトをしたいんだ、頑張らないと……」


 歯を食い縛りながら何度も何度も歩き続け、元の正常な体に戻す為にひたすら反復運動をした。

 リハビリを終えるとベットに戻り、今度はイメージトレーニングをする。

 目を閉じてドリフトをするイメージを頭の中で浮かべ、AE85を走らせるのだが走っていると何故か白い猫がコーナーに現れ邪魔をした。


「ここを2速にシフトダウンして一度、外に振ってから内側にハンドルを切って、ここでカウンターを当てて外側にハンドルを切って……うおっ、なんでここに白い猫が……!」


 その現象は何処のコースでイメージしても現れ、ドリフトしてコーナーに差し掛かると突然現れて俺を悩ませたのだった。

 イメージトレーニングはダメだと思った俺は、今度はYouTubeで車載カメラから撮ったドリフト動画を観る事にしたがやはりここでも白い猫が現れた。

 幻覚では無いと思い、これを入院して居る隣のハゲた爺さんに動画を観せると何も居ないと言うのだ。

 確かに動いている時に一瞬見える猫も一時停止で見るとそこには何も居ないのだ。

 このトラウマは運転をしている時には致命傷で有り、どうやったら克服出来るのか今はわからず、悩みの種となった。


 年が開け、病院内で正月を迎える。

 そんな折にひょろ眼鏡先生が経過観察をしにやって来てた。


「群城さん、体調の方はどうですか?」

「あっ、先生。元気っちゃ〜元気ですが……骨折してる所は動くとまだ痛いです……」

「そうですか、一応レントゲンを撮って状態を診てみましょう。そろそろ骨が繋がっている頃ですからギプスは取ってもいい頃合いです」

「わかりました」


 レントゲンを撮り骨がくっついたのか、左足のギプスはすぐ取る事が出来た。

 しかし首の痛みと腰椎の方はかんばしく無く、痛みが無くならない状態だった。

 

「群城さん、こちらの椅子に座って見て下さい」

「はい、痛! いてててっ……」


 直角で平らな椅子なら大丈夫なのだが、膝から下に向かって座る深い椅子だと腰に痛みが走り、完全に座る事は出来なかった。


「こちらはまだ無理そうですね。もう少し安静にして様子を見てみましょう」

「は、はい……」


 早く退院をしたかったが出来るだけ体を元の状態に戻したい俺は、いつも通りに車を走らせる事が出来るよう養生に専念するしかなかった。

 ため息を吐きながらベットへと戻ると、何故かベットの上に五段もある重箱が置かれて居て不思議に思えた。


 (アレ! 俺が居ない時になんで重箱が? 間違えて誰か置いて行ったのだろうか?)


 隣に入院しているハゲ爺さんに聞くと若いべっぴんの女性が『群城さんのベットはここですか?』っと聞いて置いて行ったと言うのだ。

 容姿を聞くと胸元まで長いストレートの黒髪に、和服を着た大和撫子的な女性だと言う。

 俺はそんな女性に心当たりが無く、誰だか検討も付かなかった。

 親縁などはもう居なく、彼女なんて生まれてから一度も付き合った事なと無い、異性のファンなんてどう考えても居る訳も無く、考えれば考える程答えは出なかった。

 その内に腹が減ってしまった俺は、その重箱に入っている御節をハゲ爺さんと何度かに分けて食べてしまった。


 そこから数週間後、入院から通院に変わる日がやって来る。

 この時期になると左足はサポーターと包帯で巻かれる程度になり、無理をしなければ激痛など走る事は無かった。

 跛行びっこを引きながら松葉杖で歩き、腰椎の痛みは結局退院しても取れ無かったので痛み軽減用のコルセットを巻き付け、ベットから離れる事になった。


「やっと病院からおさらば出来るなぁ。だけど腰椎の痛みはまだ取れないんだよなぁ〜」


 腰をさすりながら病院の扉を開き、外へ出ると街景色が新鮮に思えた。

 自宅に送迎してくれる親など居なく、薄情な親友しか居ない俺には、アパートまでの帰り道をこの寒い冬に1人で病院からバスに乗り電車を乗り継ぎ、地元のバスに乗り替えて自分の住む群馬県のI市まで戻るのだった。


「くそ寒い〜」


 バス停から数十分、松葉杖を突きながら歩くとアパートへと辿り着く、数ヶ月空けたアパートの郵便ポストには沢山の封筒が入っており、見ると殆どが請求書の山だった。


「群サイのガードレール代に車載トラックのレンタル代、壊れたAE85の運搬費に入院費、その他諸々……まだ85の改造費も払い切って無いんだよなぁ〜。会社も解雇されたし、どうしたらいいのやら……」


 それでも幸いな事に傷害保険には入っていたのである程度の入院費は負担出来るが、それでも足りない。

 他の支払いに関んしんては、どうにもならず頭をかかえるしかなかった。


「くそ〜この支払いどうしたらいいんだよ……」


 結局、まだ働けない俺は数年分の少ない貯金と、雀の涙程の退職金、そして雇用保険を使って借金を返済して食い繋ぐ事にしたのだった。


「今のままだと借金を返すの難しいから2〜3ヶ月以内に仕事見つけないとなぁ〜。あっ、そうだ! 沢村さんが言ってた壊れたAE85改をどうするか決めないと……」


 思い立ったその日、群サイで俺の後で追走してた沢村さんの所に行く為に、お見舞いの時に貰った名刺を取り出して電話を掛け、長野県のとある塗装板金屋に新幹線とバスを使ってお邪魔する事にした。


「こんにちは、沢村さん居ますか〜?」

「おっ、群城くん久しぶりだね〜。まだ痛々しいそうだけど元気そうでなによりだよ」


 松葉杖を突いてやって来た俺の顔を見て元気である事を確認した沢村さんは、作業用のツナギを着て迎えてくれた。


「これ、つまらない物ですが……」

「おっ、すまないねぇ〜。さて、君のAE85を見に来たんだろ? 連れてってやるから車に乗りなよ」

「はい、お願いします」


 俺の85はこの板金塗装屋には無く、沢村さんの知り合いである自動車整備工場に保管してあり、これからそこへ向かうのだ。


「群城くん、これなら腰の痛みも少ないと思うからこの車の後部座席に乗りなよ」

「はい、ありがとうございます」


 沢村さんは俺の腰の事を知っているので気遣って、サスペンションの柔らかいミニバンのトヨタ車アルファードを用意し、後部座席には沢山の座布団が置いてあった。


「すいません、俺の為に……」

「いいって事さぁ、じゃ〜出掛けようか」


 沢村さんの板金塗装屋から車で30分位の所に知り合いの自動車整備工場が有り、そこに俺のAE85は保管されていた。


「さぁ〜着いたよ〜降りて」

「はい」


 後部座席から降り、整備工場の中に入るとここのオーナーである蒲田さんが現れた。


「よう、てっちゃん。邪魔するよ」

「おう、こうちゃん。85だっけ? 奥に置いてあるよ」


 角刈りで沢村さんと同じ年齢らしい蒲田さんは、どうやら数十年前からの付き合いらしく2人はお互いを下の名前で呼び合っていた。


「あっ、そうだその85のオーナーを連れて来てるんだった。群城くんだ」

「こんにちは、突然お邪魔してすいません」

「いいよ、いいよ、事故で大変だったね。車の方はどうしたいのか見て確認してから決めてくれ」

「はい」


 蒲田さんに連れられ、俺と沢村さんは工場の奥に連れられて行くとあの真っ青で綺麗だったAE85改は無残な形で姿を現し、残骸としか言いようがなかった。


「こうやって改めて見ると派手にやったね〜こりゃ〜修復は無理だなぁ〜」

「……」


 沢村さんの一言で俺は絶句するしかなかった。

 85のフロントは完全に潰れ凹み、ラジエーターも曲がりエンジンは押し潰されて壊れている。

 更にフロントだけかと思いきや運転席側のサイドロッカーアームさえも木にヒットしていたらしく歪み捻れていた。

 運転座席はロールバーで守られていたとは言え車の床底も歪みが有り、フロントガラスも割れ使えそうな物など無かった。


「さて、群城くん。どうする?」


 この現状では直す気など起きる訳も無く、そして直すにはかなりの資金が必要なので廃車にするしか無かった。


「は、廃車にして下さい……」


 体を震わせ、苦渋の決断をする俺は拳を握り、歯を食い縛り目を閉じ天を仰ぐようにして答えた。


「わかった、それじゃ〜後の事はこちらでやっておくから後は任せてくれ」

「は、はい……」


 85の事を蒲田さんにお願いした俺は沢村さんと共に自動車整備工場を後にした。

 車の中で意気消沈している俺に運転している沢村さんは気遣い話し掛けて来た。


「群城くん、これからどうするんだい? 新たなAE85か86でも探して見るかい? 探すならこっちでも手伝うけど……」


「お気遣いありがとうございます。ですがまだ腰も治らないし、それに……」

「それに? どうしたんだい?」


 俺は少し口籠もり、悩んだが沢村さんに白猫のトラウマの事を話してどうしたらいいか聞いてみる事にした。


「う〜ん、難しいね〜ボクは医者じゃないし、そう言う大きな事故に遭遇した事が無いからね〜。ただ素人的に言うなら避けるか向き合うかってとこだね」

「避ける? 向き合う?」

「そう、簡単に言ってしまえばドリフトを辞めてそのトラウマから避けるか、ドリフトを続けてその白猫の幻覚に打ち破るかって事かなぁ」


 俺にとってはどちらの選択肢も辛かった。

 ドリフトを辞めると言う事は今まで知り合った知人、友人と別れる事を意味し、そして大好きなドリフトが出来なくなるのだ。

 後者も今の現状であの深いバケットシートに座る事も出来ず、また新しい車を改造して白い猫の幻覚とも闘うメンタルを鍛えなければならないのだ。


「まぁ〜群城くんはまだ若いんだ、時間はある。腰を治しながら考えるといいさぁ」


 沢村さんはそう言って最寄りの駅まで運転してくれてた。


「すいません、俺の為にわざわざ付き合ってもらっちゃて……」

「いいって事さぁ、お互いドリフト仲間じゃないか。また何処かのコースで逢える事を願うよ」

「その時はよろしくお願いします」

「それとは別件だけど、立て替えといたお金はちゃんと返してね」

「は、はい……」


 群サイでの事故の後処理を率先してやってくれたのは沢村さんだ、本当に感謝しかない。

 だがお金に関しては別の話しで、これはこの世で生きて居る以上支払わなければならない事なのだ。

 

「返済……なんとかしないとなぁ〜」


 駅から新幹線に乗り、窓から外を眺めながら今後の就職先と返済の事を考えて俺は家路に帰るのであった。


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