第2話違和感
目を覚ますと、周囲は柔らかな光に包まれた赤ん坊の部屋。白いカーテンが微かに風に揺れ、穏やかな空気が流れているが、アエリオンはそんなことには目もくれず、自分が赤ん坊の姿になっていることに戸惑いを感じていた。どうやら、ここは安全な場所のようだが、身体は小さく無力だ。しかし、動こうと思えば動けそうだし、喋ることだってできそうだった。だが、人前ではやめておこうと決意する。
「ストームブリンガーもない、姫もどこかに消えてしまっている…これからどうするか考えないとな…でも、今は眠ろう…」アエリオンは静かに息をついたが、頭の片隅で何か重大なことを忘れているような気がしてならない。それでも、疲労感が勝ち、目を閉じようとしたその瞬間――
「いや、待て!休むな!お前は自分だけの体のつもりでいるんじゃない、アエリオン!」鋭い声が頭の中に響き、彼は瞬時に目を見開いた。
「なんだ、まだいたのかスレイア。大人しいから、もう消えたかと思ってたぞ」
アエリオンはニヤリと笑ったが、赤ん坊の口から出たのはただのブーブー音とばぁばぁ程度の発音。周囲には不器用な赤ん坊の声にしか聞こえないが、彼ら二人の間では確かなコミュニケーションが成立していた。
「そもそもお前はおかしいと思わないのか?敵同士が同じ体で過ごしているんだぞ!」とスレイアが苛立ちを込めて言った。
「焦っても仕方ねぇだろ、赤ん坊だし。第一、ケリをつけるにしても、同じ体じゃ無理だ。どっちが攻撃しても痛いのは自分なんだからさ…」と、アエリオンは呆れたように返す。
「くそっ!せめて別の体だったら…」
「いや待て、成人の体を手に入れたとして、お前は赤ん坊を倒しに来るのか?」アエリオンは笑いを堪えきれず、さらにからかうように言った。
「アエリオンなら仕方ない…」スレイアはため息交じりに答えた。
「そんなに恨まれるようなことをした覚えはないが?幼少期は戦争中でも、仲良く斬り合ってたじゃないか!」アエリオンは遠い昔を思い出しながら言う。
顔は見えないが、スレイアは少し苦笑いしているだろう。「ああ、アエリオンの言う通りだ。斬り合ってたな、お前が一方的にだがな。僕が本を読んでる時も、おやつを食べてる時も、奇襲だ奇襲だと叫んで木刀を振り回してたよな〜時には本物の剣も…」
「あー、そんなこともあったっけな〜。可愛い弟ができたみたいで、嬉しかったんだよ俺は」
「いや、アエリオン、一応言っとくが、僕の方が早く生まれてるはずだ。勝手に兄になるな」とスレイアが冷静に指摘した。
「はいはい、ごめんなさいね」とアエリオンは軽く謝るも、どこか悪びれていない様子だ。
「こう言い合ってると、退屈しねぇな…」アエリオンが愉快そうに言うと、
「いや、正直僕は早く元の姿に戻りたいよ…」スレイアはしぶしぶ応じた。
「さっきも言ったが、赤ん坊じゃどうしようもない。もう少し成長しないとな」アエリオンは、今の状況をどこか楽しんでいるようだった。
部屋の外からは、日常の雑音が微かに聞こえてくる。外の世界は平和に見えるが、彼らの心の中には対立と笑い、そして奇妙な連帯感が混ざり合っていた。それから月日が流れ、5年の時が経っていた。
アエリオンとスレイア橋本家族や周囲の人々からは「ガルム」と呼ばれてるは、この異質な都市「リムノス」にすっかり慣れていた。最初こそ、この高層ビルが立ち並ぶ世界に違和感を感じていたが、今ではこの暮らしが日常となっていた。ここリムノスでは誰もがコンピューターを持ち、AIと情報を交換しながら生活している。しかし、木刀を持って走り回る5歳のガルムは、仕事に追われる大人たちにとっては奇妙な存在だった。
それでもガルム――心の中ではアエリオン――は気にせず日々を過ごしていた。
「5年経っても何も変わらねぇな…強さはあっても、試す場所がないし、敵も出てこない。まあ、一応体の中には敵がいるけど、スレイア、お前、出てきてくれないしなぁ…」と、アエリオンは心の中でスレイアに語りかけながら、ため息をつく。
「おい、今日はダンマリか?」と、心の中でさらに問いかける。
「いや、アエリオン。よく聞け。この5年で何も起きていないんだ。犯罪も事件も一切ない。この世界、平和すぎるくらいだろう?」とスレイアが応える。
「う?平和すぎるって、いいことじゃねぇか?ここリムノスじゃ、不満なんてねぇだろ?俺たちの家も快適だし、生活も整ってるじゃん?」とアエリオンは答えるが、スレイアはどこかこの平和が異常に思えていた。
「ああ、確かに不満はない。だが、この過剰な平和が、俺たちの闘争心を削ぎ落としていくんだ。このまま何も起きなければ、俺たちはどうなるんだ?」スレイアの声には少しの危機感が含まれていた。
「俺は別に気にしねぇけどな。もし敵が現れたら、その時はその時だ。俺はいつでも戦えるぜ!」とアエリオンは強気に答えるが、内心、この世界の異常な平和に少し不安を感じていた。
リムノスの住人たちは互いに協力し合い、争いごとがほとんど起こらない。この都市では書物や映像も、人々が互いを褒め称え、助け合う内容ばかりだ。そんな世界で、アエリオンもスレイアも次第に退屈を感じていた。
「今じゃお前と口論するのも馬鹿らしくなってきたよ…本当に別々の体だったら、もっと自由に動けたかもしれないな」とスレイアがため息混じりに言った。
「ちょっと前までは、赤ん坊の俺でも斬りたいって言ってた奴がな…お前もつまんねぇな」とアエリオンは少し寂しげに笑った。
その時、遠くから元気な声が響いてきた。
「ガルム~!やっと見つけた!また木刀を持って走り回って、本当に目立つんだから!」アイリが駆け寄ってくる。
「あっ、お姉ちゃん!探しに来てくれたんだ?」ガルムは振り返り、無邪気に笑う。家族や周囲の人々からは「ガルム」と呼ばれるアエリオンだが、彼の心の中では依然としてアエリオンとスレイアの名が生きていた。
アイリはガルムにとって、優しい姉のような存在で、いつも面倒を見てくれる。彼女はガルムにとって唯一の家族同然の存在だった。
「いやアエリオン、さっきから思ってたけど、アイリを“姉ちゃん”って呼んでるけど、本当にそう思ってるのか?」スレイアはからかうように心の中で話しかけるが、ガルムは気にせず話を続けた。
「アイリお姉ちゃんは、いつも俺を助けてくれる最高のお姉ちゃんだ!」
「誰に説明してるんだ?僕は知ってるってば…」とスレイアが呆れる声を上げる。
「また一人でモゴモゴ言ってる~。お母さんも心配してるし、早く戻ろう?」アイリはガルムの手を取り、少し困ったように笑う。
「お姉ちゃん、どうしてこの世界には悪者がいないの?」ガルムは不意に真剣な表情で問いかけた。
「え?悪者?いるわけないじゃん。みんな、望みを叶えてもらってるんだから~」アイリはにっこりと笑って答える。
「へぇ〜、そうなんだ」とガルムは少し考え込む。
「そうだよ~。私も弟が欲しいって願ったら、ガルムが来てくれたしね~」アイリは微笑んでガルムを見つめる。
「へぇ〜、そっか…」ガルムは不思議そうに答えた。
「ねぇ、ガルムも何か願ってみたら?何がいい?」とアイリが提案する。
「うーん…とりあえず体を元に戻したい!」ガルムはニヤリと笑いながら冗談めかして言った。
「え?本気?」アイリが驚いた表情を見せるが、ガルムは笑って「冗談だよ。本物の剣が欲しいな~」と答える。
「剣?ストームブリンガーとか?リヴァイアサル?よく欲しいって言ってたよね?」とアイリが首をかしげる。
「え〜、無理だよね。俺、子供だし…」ガルムは軽く肩をすくめる。
そんな他愛もない会話をしながら、二人は夕暮れの中を家へと向かって歩いていた。空はすっかり赤く染まり、リムノスの街にも夜が近づいていた。家に帰ると、夕暮れのリムノスの光が赤く染まった空から窓辺を照らしていた。扉を開けると、すぐにお母さんが心配そうに出てきた。
「ガルム、心配したのよ~。また木刀を持って走り回ってるって聞いたから、他人に危害を加えていないかと、ずっと気がかりで…」お母さんは眉をひそめながら、ため息をついた。
「あ〜大丈夫だよ。いつも言ってるけど、体が鈍らないように鍛えてるだけだからさ」ガルム――アエリオンは笑って答えた。しかし、その笑顔の裏で、心の中では少しイラッとした気持ちが湧き上がっていた。
「こんな平和な世界で、修行なんて無駄なことだと?」 アエリオンは苛立ちを感じたが、スレイアが冷静に彼を止めた。
「言っても無駄だ。僕たちは異質なんだよ、この世界にとっては。だからこそ、違う道を探さないと…」 スレイアの落ち着いた声が響く。
お母さんはガルムの様子に気づくことなく、続けて言った。「それより、ガルム宛にメールが届いてたわよ。お風呂に入る前にチェックしておいて。その間に、ご飯の用意をしとくから。」
「はーい」ガルムは返事をし、コンピューターでメールをチェックする。差出人は不明だが、奇妙なメッセージが表示されていた。
「1年後に、あなたの願いが叶います。ですので、1年後のクエストに備えてくださいね。」
「クエストって何だ…?」アエリオンとスレイアは同時に疑問に思い、心の中で声を重ねた。
ガルムの周囲は静かだったが、その静けさの中に、奇妙な不安と緊張が漂い始めた。リムノスの平和な日常が続く中で、この突然のメッセージは、まるで遠くから嵐が近づいてくるような感覚を呼び起こした。
「1年後の願い…?」 スレイアはその言葉を反芻しながら、冷静に考えを巡らせていた。
「何だかワクワクするな。もしかして、ようやく俺たちが動き出せる時が来たんじゃないか?」 アエリオンは胸の高鳴りを隠しきれない。
家の外では、リムノスの夜が徐々に迫り、街の明かりが灯り始めた。ガルムはこの街の静寂に包まれながらも、メールの内容に心を揺さぶられていた。そして、スレイアとアエリオンの声が再び彼の心に響いた。
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