第32話 大きな魔力
時を再度一時間前にさかのぼる。
騎士団本部東棟の一室で、二つの魔力がぶつかり合っていた。
「そらぁ!」
ロイドが横に振るった木剣は、のけ反ったイヅルの鼻先をかすめる。木材に乗ったかすかな魔力が空中に流れ、部屋の中でうまれた気流が、背後の壁にぶつかった。
イヅルは上体を下げるしかなかったが、代わりに脚部を上げ、態勢を崩さず蹴り上げへと転じる。ロイドの首筋を狙った。
「……!」しかしロイドに届く寸前、彼の腕がそれを遮る。高く上げられた脚と、力強く振られた腕。その間で、二種の魔力が激しい衝突を起こす。紫色の隙間に火花のような光が散り、押し出された空気は風圧となって、両者の顔面に吹き付けた。
イヅルは舌打ちをし、即座に脚を引く。魔力の力比べでは分が悪い。
ロイドの剣が再び彼女を襲う。イヅルは自らの木剣でそれを受け流す。しかし、ロイドは隙を見せない。二撃、三撃と続く斬撃。攻撃のターンを渡してくれない。魔力操作はイヅルが勝るとはいえ、魔力の勢いと剣の腕は、確実にロイドが上だった。
「おいおいさっさと学習してくんないかなあ!」
徐々にスピードを上げるロイド。木剣同士が次々ぶつかり、魔力の衝突する甲高い音が繰り返される。このままでは先ほど同様、イヅルが負ける。
「っ!」
イヅルには攻撃の機会が必要だった。まず攻撃を仕掛けて、相手にそれを対応させなければ、イヅルのターンは来ないままだ。だからイヅルは先ほどと同じことをした。避けるのと攻撃を同時に行う動き。ロイドの突き、それを屈んで回避。蹴りでは隙が多すぎる。故に下から素早く掌底を打ち上げた。
そして、それが届く前に、
「見え見えなんだよ!」
ロイドは膝でイヅルを蹴飛ばした。
イヅルの体が跳ね飛ばされ、背後の壁に激突した。彼女の木剣が床に投げ出される。
攻撃と防御の手段を失い、態勢まで崩れたイヅル。ロイドは強く床を蹴り、一瞬で間合いを詰めて、ニヤリと笑いながら、追撃。
「なめるな!」
イヅルは叫ぶ。彼女は何もない右手を突き出した。ロイドはそれを見て、なにもしなかった。イヅルが魔力を使って何かをしてきたところで、魔力の力比べにしかならない。つまり無意味だ、とロイドは判断した。それは決して驕りではなく、冷静に分析した結果だったが、しかしそれは間違いだった。
イヅルの手に魔力が集中する。そしてそれは、みるみるうちに密度を高め、やがて、一振りの剣を形作った。魔力によって、武器を生成したのである。
「……!?」
手を離れた武器に魔力を込めることは難しい。ならば、魔力だけで武器を形成することはどれほど難しいだろうか。ロイドには想像もできない。とにかくそれは、ロイドにはまったく予想外の展開だったのだ。
迎撃の手段を得たイヅル。向かってくるロイドを、渾身の突きで迎えた。予想していなかったロイドに、対処は不可能。イヅルの剣、その高密度の魔力は、ロイドの魔力障壁を破るには十分だった。
しかし、次の瞬間、
「……」
ロイドの魔力が、倍増した。
「な――」
イヅルの目の前が、紫一色に染まった。漏れ出るなんてものではなく、爆発したかのようだった。
イヅルの魔力の剣がロイドの体に接近し、そして拮抗する間もなく、かき消えた。
「君、一体何者……?」
自分に向けられた木剣を意に留めず、イヅルは問う。
しかしロイドは、イヅルを見降ろしたまま黙っていた。
ロイドの魔力が倍増したのは、ほんの一瞬だった。特殊な壁の効果もあいまって、部屋の外の人間はほとんど気づかないだろうが、しかしイヅルは確かに、間近で目撃した。その驚異的な魔力量を。
「うちの支部長より……いや、ひょっとして、六界主に匹敵す――」
「それはない」
ロイドは強い口調できっぱり否定した。イヅルは目を細めた。その否定がまるで、六界主の魔力を見たことがあるかのような否定だったからだ。
「ねえ君、リヴァグル出身でしょ。見たことある顔だってずっと思ってたけど、思い出した。四年前、リヴァグルの入団試験、いたよね」
「チッ……同期かよあんた」
ロイドは木剣を下ろし、部屋の隅に脱ぎ捨ててあった制服のもとへ歩いた。
話を続ける気がないのは明らかだったが、イヅルは無理やり続けた。
「貴族の血筋なのに一般の試験を受ける人がいるって、話題になったから覚えてる」
イヅルは棒立ちのまま、ロイドの後ろ姿を見ていた。冷えた目だった。
ロイドは振り返りもせずに言う。
「それがどうしたんだよ。貴族の血筋が気に入らないってか」
「……」
イヅルは眉間にシワを寄せ、一度目を閉じた。貴族とは真反対の、幼い日々の記憶が蘇ったが、押しとどめた。
「違う」
「じゃあなんだよ」
イヅルは、床に転がった木剣の柄に手をかぶせ、その状態のまま静止した。
「あの頃試験を受けたのは、あたしとウズネを含め、そのほとんどが、九年前の魔獣襲撃に何らかの影響を受けた子供たちだった」
ジャケットを羽織ろうとしていたロイドの手が止まる。
イヅルは木剣を握り、拾い上げ、そして続ける。
「君、もしかして、〈感謝〉を知ってる?」
ロイドは何も言わなかったが、数秒後、ジャケットを腕にかけてから、フッと笑った。
「だったらどうだって言うんだよ」
「君を通報しなきゃいけなくなる。実力も素性も偽ってることになるから」
「通報ねえ。お堅いなあんた。騎士団にピッタリだ」
言って、ロイドは何もない壁を見る。
「あんた、俺が〈感謝〉に師事してたって言いたいんだろ」
「そう捉えてもらって構わない」
「は、バカげた話だな」
「だったらなんでさっき――」
「背中を見たんだよ」壁をまっすぐに見つめたまま、ロイドは言った。
「……は?」
「〈感謝〉の背中を見たって言ったんだ。逃げ遅れたから見た。何人かいたけどな、そういうの」
イヅルは次の言葉に困った。
「それだけ、って思うか?」ロイドが先に言葉を発する。「そうだ、それだけなんだよ。それだけで俺は、全部どうでも良くなった。血筋とか立場とか関係とか、そういうの全部、なんの価値もない。ただあの背中を追いかけたいって、そう思ったんだよ」
ロイドは拳を強く握りこむ。イヅルはそれを、無表情で見ていた。
「力が全てだって言いたいの?」
「そうかもな」
「ふうん」
イヅルは顔を横に向け、何もない空間を見た。彼女はイラついていた。同族嫌悪だ。
「君ほんと子供。少し前のあたしみたい」
「はあ?」ロイドは振り返ってイヅルを睨んだが、当然、目は合わない。
「ウズネと一緒に産まれなかったことを後悔しなよ」
「何言ってんだあんた」
「ねえ」
「なんだよ!」
「〈感謝〉が関係ないなら、君はただ自分の魔力を隠してたってことになるけど」
「……」
イヅルは疑いの目でロイドを見た。実力を隠していた疑いが、まだ晴れていないということだ。
ロイドはまた、イヅルに背を向ける。
「俺の実力じゃない」ロイドは言った。
「なに、どういうこと」
「だから、これは俺の魔力じゃなくて――」
ドサリ。
と背後で音がした。
ロイドは言葉を中断し、咄嗟に振り返った。
荒い呼吸音。灰色の床、その上を滑る木剣。
倒れ伏したイヅルの姿を、ロイドは見た。
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