第30話 童話

 体調不良っぽいロイド君を見送ったあと、私は地下に降りた。この施設には図書館があるということを、入口の掲示板で知っていたからだ。結局ロイドから鍛え方を聞くことは叶わなかったので、本で探すことにした。

 図書館という場所は好きだ。しかし、生前の私はほとんど行ったことがないようで、図書館に関する記憶の断片があるにはあるが、どれもはっきりしない。覚えているのはせいぜい匂い。それくらいだ。

 両扉を開けて入ってみると、反対側の扉まで一直線に設置された長机が目に入った。奥行五十メートルちょっと。長机の両脇には柱が八本ずつ並んでいて、各柱の横に書架が設置されている。

 予想していたよりも広い空間に感嘆の息を漏らすと、くだんの匂い、古びた紙の香りが鼻腔を通った。もう一度深呼吸をして堪能してから、私は書架のひとつに足を向ける。

 蔵書のほとんどは、歴史書か魔法書だった。何度か目に入った本を手に取ってみたが、いずれもすぐ元に戻した。きちんとした本を開くと、頭が痛くなる。所詮は、いち庶民がベッド生活で身につけた読み書きだ。かたい文章の羅列に耐えられる読書力はないようで。そうなると、目的の本が読めるのかどうか不安だが、鍛錬の方法が書かれた本には、多少の図説があるはずなので大丈夫だと思いたい。

 重そうな背表紙の並びに視線を走らせながら、ゆっくりと図書館を歩く。もう閉館間近なので、ほかの人間はほとんどいない。

 書架に並ぶ本の厚みが控えめになってきたところで、私は一冊の本に目を留めた。それは明らかに目的の本ではなかったが、それ以上に興味を惹かれる、懐かしい装丁だったので、手に取ってみる。

 黒褐色の表紙。金の装飾で、四つ角に小さな花の模様、中央に短髪の少女のシルエットが描かれている。

 懐かしい。

 呼び起された私の記憶がそう言った。

 堅い表紙を開ける。そこには控えめな文字で、『廃墟の街の旅行記』と書かれていた。

 この文字を見たのは、一回や二回ではない。十回でも、二十回でもない。

 幼少の頃、ベッドから離れられない私のことを想って、両親が私に贈ってくれた本があった。

 それを読むために読み書きを覚え、何度も、何度も読んだ。それがこの童話だ。

 当時、本はまだ安くなかった。それでも両親は、私のために仕事を増やしてまで、街の書店でこの本を買ってきてくれたのだった。

 街の、書店。あれはどの街だったろうか。

 そう考えながら、私はタイトルが書かれたページをめくる。


「ばあ」

「うわっ……!」


 すぐ横から声がして、びっくりした。全然気が付かなかった。

 のけぞってそちらを向くと、一人の少女がこちらをのぞき込んでいた。

 黒髪を短く切りそろえた仏頂面の少女。薄い青緑の瞳と細い体躯。表情は無いが、きょとんとした目が虚無のイメージを打ち消している。

 ウズネだ。低い身長と、比較的ふっくらした顔つきが姉と異なるため、私は意外と即座にそう判断した。


「え、なに、どしたの」


 わけがわからずたずねる。驚かされたのはもちろん意味不明だし、この無表情な女の子が「ばあ」なんて茶目っ気を発揮したのも謎だった。


「仕返ししようと思って」とウズネ。

「し、しかえし?」

「今日の」後頭部に触りながら。

「ああ……」


 多分あれだ。木剣を投げたことだ。


「あれは、ごめん。やっぱりよくなかったよね」


 これが仕返しなのか、と脳内でツッコミをいれつつ、謝罪した。


「うん」


 ウズネはそっけなくうなずく。それから、私の持っている本を指さした。


「あと、それ。それを、読みたくて」

「ん? これ探してたの?」

「そう。私の思い出の本だから」

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