第29話 丸太人形

 一時間前。

 ロイドは木剣を握って立っていた。僅かにうつむいて、目をつむっていた。垂れた赤い前髪から、弾力のある灰色の床へ、汗が落ちる。

 訓練ホールと同じ材質の壁で構成された、一辺十メートル程度の部屋。ロイドの正面、少し離れた位置には、丸太で簡単に作られた人形がある。

 ロイドは両手で握った木剣を、ゆっくりと、頭の上に振り上げた。溢れ出す魔力。赤紫色が剣に集う。柄に触れる指先の感触に精神を集中させ、息を吸い、吐く。


「フ――!」


 まっすぐ振り下ろした。打ちだされた魔力は一瞬にして威力となり、一直線、丸太の人形に襲い掛かる。だが、


「クソッ……」


 丸太に届く直前、魔力の線は形を崩し、消えた。木片がバラバラと、ロイドの靴のつま先に降りかかり、床に落ちる。ロイドの手にした木剣は、根本から砕け散っていた。

 ロイドの足元には、柄だけになった木剣が既に二本落ちていた。彼はそこに三本目を落とすと、背後の壁に何本か立てかけてある無傷の木剣から、一本を手に取った。

 構え、目を閉じて集中する。

 すると、横から声がした。


「何本ダメにする気なの」


 ロイドは即座にそちらを見た。そこにはロイドと同じインナー姿のイヅルが、その場で軽く準備運動をしていた。黒髪を短く切りそろえた仏頂面の女。薄い青緑の瞳と細い体躯、そしてその冷たい表情は、実際にはない白を見る者にイメージさせる。白い女である。

 イヅル。高い身長と、若干中性的な顔つきは妹の方とは明らかに異なるため、ロイドでもそう判断することができた。

 ロイドは扉の方を見た。閉まっている。


「おい、いつからいた」

「だいたい一分前。君が気づかなかっただけで、別に隠れたつもりはないから」

「そうかよ」


 ロイドは視線を戻し、木剣を構え直した。

 呼吸を一度はさむと再度目を閉じ、集中する。


「話聞いてた……? 何本も折っていたら指導官が黙ってるわけ――」

「あんたには関係ないだろ」


 ロイドは鬱陶しがる目でイヅルを睨む。


「負け犬は黙って失せろよ。それとも、さっきの試合がそんなに悔しかったのか?」


 そう言って嘲笑するロイド。イヅルは軽く跳ねて体を温めていたが、それを聞くと準備運動をやめ、ただ冷静にロイドを見た。


「悔しかったに決まってる」

 イヅルは眉間にシワを寄せて言った。

「だからまだここにいる。本来なら、君みたいな危なっかしい人の近くになんて、一秒でもいたくないから」

「は、そうか。そうかそうか。つまりあんたは、俺から何かを得られると思っちゃってるわけだ。とんだ勘違いだね。あんたにできるのは、ここから早々に立ち去ることだけだ」


 ロイドが丁寧に扉を指さすと、イヅルはため息をつき、「そ」と言った。

 イヅルは、ロイドの方に近寄って、彼の足元にある砕けた木剣を拾った。


「おいなにしてる」


 ロイドの言葉を無視して、イヅルは言う。


「いまからやることが君にもできるなら、おとなしく出ていくことにする」


 彼女は柄だけの木剣からぱっぱと木くずを払うと、それを片手で握って、丸太人形の方へ向けた。

 異を唱えようとしたロイドだったが、直後に彼は目を見張る。イヅルが握る砕けた剣に、一瞬で魔力がこもった。

 イヅルはそれを、人形に向けて軽く投げた。屑箱に紙を放るみたいに、ぽいっと。

 イヅルの手を離れた柄は、最初は物理法則に則って放物線を描いたが、人形とイヅルのちょうど間くらいにまで到達したとき、空気を弾く轟音とともに、急激に速度を上げ、直線を描いてまっすぐに、人形へ襲い掛かった。

 次の瞬間には、突き刺さっていた。折れた剣の柄が、丸太の人形の顔面に。木片が周囲に飛び散る。人形が後ろに倒れ、柄の刺さった頭部がもげて床を転がった。


「どう? できるなら約束通り出ていくけど」


 イヅルはロイドの目の前に立ってそう言った。


「……」


 ロイドは舌打ちをした。それが答えだった。

 物体に対する魔力操作は、体から離れた途端に難易度が跳ね上がる。それを、魔力が極めて通しづらい木材で、やってのけた。自分の魔力制御すらままならないロイドに、そんなことできるわけがなかった。


「……はっ、今の攻撃、実用的じゃないんだろ? 物理的威力は充分だったようだけど、物に乗せられる魔力はたいした量じゃない。いくら丸太人形を倒せたって、魔剣士相手じゃあ、」

「できないなら教えてあげようか」

「……」

「どうする?」

「あんた、狂ってるな」


 イヅルは首を傾げた。逆上の暴力や罵詈雑言は想定していたが、その言葉は想定外だった。


「真面目な奴は俺と関わらない。あんたはどうなんだ」

「知らない。ただ、強くなるにはリスクを負わなきゃいけない。私とウズネはそれを知ったから、ここまで来れた。君はどう?」

「ああもう、ここに来てからどいつもこいつもムカつく奴ばっかだ」


 ロイドは右手に持った木剣を強く握りこみ、左手で、額を覆った。


「わかったよ。お望み通り、もう一度ってやる」


 そう言って、イヅルを睨んだ。

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