第28話 お呼ばれのパール

 暗い部屋の中で、パールは目を覚ました。

 楕円形の石テーブルが目の前にある。片側三つずつ、計六つの木椅子があり、パールは真ん中の椅子に座っていた。粗い石造りの壁に囲まれた部屋で、灯りはないものの、一枚だけ半分ほど崩れた壁あって、そこから差し込む月光が十分な光源となっている。他の椅子はいずれも空席だ。

 この部屋から見える月はいつも三日月で、満ちることも欠けることもない。月と星空の下には、山も町も海も見えず、漆黒が塗りたくられているのみだった。

 パールは向かいの椅子の更に向こう側に立っている、一人の男に目を向けた。白い髪で、背が低い、やわらかい顔つきの男。ボロついたローブのほつれた糸が、そよ風になびいた。


「なんだよ」


 パールはカインをじっとり見つめて言った。今の今まで、庭で素振りをしたいたはずだった。パールにとってはいい迷惑である。そういう意味では、「目を覚ました」という最初の表現は相応しくない。別に目を閉じたわけではないのだから。

 カインは今まで考え事でもしていたらしく、月の反対側を向いて、顎に手を置いていた。

 パールは知っている。カインが目の前の椅子に座ることは無いと。なぜなら、それは彼の席ではないからだ。


「邪魔して悪かったね」カインは言った。「君を呼ぶのは少々苦労するから、」

「タイミングをうまく計れないってんだろ。関係ねえな。俺の素振りを邪魔したんだ、相当重要な要件なんだよな、カイン」

「ああ、もちろん」


 カインはパールを正面に捉え、広角を少し上げたが、すぐに真顔になった。

 それから半音下がった声で、


「仕事だよ」と言った。

「ま、そうだよな」


 期待通りと言った風に、パールは笑う。


「よし、いつでもいいぞ。なんなら俺はすぐにでも飛べるぜ」


 パールは両腕を上げて伸びをすると、そのままストレッチをし始めたが、


「頼もしい限りだが、今回は少し厄介でね」

「んあ?」


 ストレッチを中断し、テーブルに身を乗り出した。


「例のあれか、面倒な手続きってやつか?」

「いや、まだその段階ですらない」

「んん……?」方眉を吊り上げるパール。

「君には、魔獣を探すところから始めてもらう」

「探すって、調査ってことかよ。それならオレよりも、フリーデかヴィンセントの野郎の方が適任なんじゃねえのか」

「そうしたい気持ちはあるんだけど、そうもいかないんだ。なにしろ、魔獣の捕食対象がどの感情なのか、未だ判明していない。ただ、少なくとも〈欲望〉ではなさそうだから、君に頼むしかなかったってわけ」

「ああ……? わけわかんねえな。捕食対象が不明とかそんなことあるのかよ」

「だからね、僕もわけがわからないから、少々イレギュラーな対応をしているわけで、――いや、うん、わかった。しっかり順を追って説明することにしよう」


 カインは一度呼吸を挟むと、また顎に手を置いて思考。話の流れを再構築する。

 パールはテーブルに頬杖をついて、その様子をぼおっと眺めた。


「今日の朝刊は読んだかい?」顎から手を放してカインは言う。

「まだ読んでねえ」パールは頬杖をついたまま答えた。

「まだって……もう昼過ぎたんじゃないのか?」

「なんだよ、なんか書いてあったのかよ」


 カインはため息をつき、ローブの下から新聞を取り出した。

 読んでいないことは、彼も想定していた。

 カインはテーブルに手をつき、軽く腕を伸ばして新聞を差し出した。対するパールはめいっぱい腕を伸ばしてそれを受け取る。


「一番後ろの面の、左上あたりの記事だ」とカインは言った。

「左上……『連続する若者の行方不明』か」

「それだね」


 パールは紙面をこれでもかというくらい目に近づけて、十秒くらいでサッと目を通す。


「わからねえな。六界主の案件には見えねえぞ」

「だといいんだけどね。その現場とそう遠くない位置で、魔獣の気配を何度か察知してたんだ」

「察知、してただぁ?」テーブルに新聞を置いて、パールは口をあんぐり開ける。「つまりどういうことだ」

「何度か気配を感知したけど、いずれも捕捉には至らなかったということだよ」

「そんなことありえるのか」

「ありえないよ、今まではね。だから最初は、僕もいよいよ歳かなと思ったんだ」

「へへ、それはあるかもな」

「あはは、帰りの酔いには気をつけろよ」

「……」真顔に戻されたパール。「じゃあ、その魔獣の反応とこの記事にどんな関係があるってんだよ」

「……んー、どこから話そうかな」


 カイルは人差し指でこめかみに触れた。


「魔獣がなんなのかは、知ってるよね」

「んあー忘れた」

「うん、そうだよね。魔獣は、人が魔獣化することで生まれる。魔獣化とは、人間の魔力が感情の拠り所を無くしたときに、宿主を食い散らかす現象だ」

「ああ、そんなんだったな、思い出したぜ」

「魔獣は、かつて拠り所だった感情を探し求め、食らう化け物だ。魔獣が感情を食らうことを許すと、」

「強くなる。だよな」

「そう。だからそれをさせないために、君たちが全人類に代わって、六つの主要な感情を守っている。今回君にしか頼めない理由もそれに関係してるわけだ。魔獣の捕食対象と、それに対応する六界主の守護対象が、同じ感情であってはいけないから。万が一敗れた場合、捕食に成功した魔獣は覚醒し、大変なことになるからね」

「おいそのへんは覚えてるぞ」

「けれどね、このシステムは、発生した魔獣が即時発見可能であることを前提に作られている」

「んあ、そうなのか?」

「そう。例えば、こちらが魔獣の発見に遅れた場合、あちらがゆっくりと時間をかければ、六界主の守護を通り抜けて、少しずつ感情を捕食することができるかもしれないんだ。この欠陥は僕の未熟さが原因でね、すぐに修正することは難しい」

「お前が無理なら、誰にもできないってことじゃんかよ」

「まあね……困ったことに、これは修正不可能を意味する」

「まてよ、つまりどういうことだ」

「つまりねえ、」


 カインは月の方をちらりと見て、少し間を持たせてから、若干ため息混じりに言った。


「もしも隠れるタイプの魔獣が現れたら、非常にマズいということだよ」

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