第20話 煤と手帳

 列車と言うやつに乗るのは初めてだった。

 パールの屋敷があるケルスフィードは、田舎とまでは言えないにしても、意外とこの国ではへき地にあたる(パールが住処に選んでいる以上、彼女にとって最も魅力的な土地であることはきっと間違いないのだろうが)。

 そういうわけで、長旅ではあった。半日ほど馬車に揺られて駅へ赴き、夜までかけて、工業都市リヴァグルにあるおっきな駅に移動した後、夜行列車に乗り換え、夜が明けて今に至る。騎士団本部がある首都ロンジェスタまで、あと小一時間くらいといったところだった。

 私は座席に深く腰かけて、窓際の微かな煤の香りを感じながら、手のひらサイズの本を読んでいた。これはケルスフィードの駅前にある本屋でたまたま見つけた、昔好きだった童話だ。

 夜行列車と言ったが、この列車の内装は普通だ。乗車券がびっくりするほど安い代わりに、寝床なんてものはない。ただ夜も走っているというだけの列車。

 ローレンスが交通費をケチったというわけでは決してなく、この移動手段に私の個人的な興味があっただけのことだ。後悔はしていないが、もうこれに乗ることはないだろう。

 とはいえ、主要都市同士を結ぶ列車ということもあってか、意外と需要はあるらしく、車内は見た限りでは満席だった。横では中年くらいの女性が座ったまま寝ていて、目の前には、若い男の赤髪の男の後頭部が見える。剣を持った人物も何人か見かけたので、例の大規模合同訓練に参加する者が他にも乗っていると思われる。

 膝の上に開いたままの本を置き、車窓の外に視線をずらした。

 明けたばかりの空が、広大な草原を覆う朝露に反射して、ギラギラと輝いている。

 思えば、長旅自体が初めてなのかもしれない。以前は部屋から出るだけで、神経質な扱いをされる体だったのだ。

 レアは旅が好きだったろうか。なんて考えてみる。完全に想像だが、なんだかんだ好きなんじゃないかと思った。好きだということはあまり公言しないけど、意外とのらりくらりして満たされるタイプ。かもしれない。

 私はジャケットの裏から、ごく小さな手帳を取り出した。

 一ページ目を開くと、箇条書きのメモがある。


〈レアは騎士団が嫌い〉

〈レアは言葉遣いが荒い(パールよりは大人っぽいかも)〉

〈レアはパールとの手合わせを拒む〉

〈レアは強い〉


 これは、合同訓練の話をパールから持ちかけられた日から付け始めた、覚え書きだ。かつてのレアの姿を知りたいという私の欲を満たすもの。つまり、レアの姿をよりはっきりとさせるための記録だ(四つ目の項目はあまり書く意味がなかったかもしれない)。

 新たに旅についての項目を追加しようと考えて開いてみたものの、よく考えてみればそれは私の想像にすぎないので、加えるのはやめておいた。

 まだ四つか、と、そのページを見て思った。一人の人間を把握するには、先はまだ長そうだったが、ゆっくりと理解していけばいいとも思う。

 把握する、という点で言えば、他にも知りたい人物が何人かいる。

 ただそちらは、より絶望的だった。情報収集の期待がある程度見込めるレアと違って、どう調べたらいいものか見当もつかなかった。思い当たるのはせいぜい、私の記憶の中くらいのものだ。実に頼りない。

 私が死んでから二十年から三十年の間なら、きっと、生きているはずなのだ。

 私の愛する家族と、私が置いて行ってしまったは、今どこで何をしているのだろう。

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