第19話 二人っきりで

 夜も更け、食事の片付けがすべて終了した頃、私はパールの執務室に訪れた。

 パールはにやりと笑って、「やっと来たな」と言った。

 十メートル四方くらいの部屋だった。食堂に比べるとこじんまりとしていたが、かといって、地味な印象とはかけ離れている。

 欲望の名にふさわしいその雰囲気の原因は、おそらく、正面の壁にある巨大な水晶の時計だろう。

 壁に時計ではなく、壁に時計だ。白い壁に直接、青色の水晶の数字が埋め込まれ、壁の上で長針と短針が動いているのである。

 正面と、その直角を成す位置には、立派なブラウンの机が置いてあり、そのニスの光沢の具合がとても艶やかで、加えて、中央に置かれたソファとクッションに施された、金色の縁飾りが眩しく、部屋全体が淑やかに光り輝いていた。

 パールは正面にある机の椅子に、足を組んで座っていた。立派な椅子に座るとかえって小柄なのが目立つが、威厳はたしかにあった。

 パールの机には、玄関前で見た大剣が直にドカンと置かれているが、それ以外には何もない。対して、もう一つの机、つまりパールの机と直角の位置に置かれている机には、大量の書類が積まれていた。綺麗に整えた状態で隅に置かれているのを見るに、どうやら片づけた後のようだ。あれはどう考えてもローレンスの机だろう。もしや、この家の実務はすべてローレンスがこなしているのだろうか。だとしたら彼こそが超人だ。


「今日はずっと気分がいいんだ」


 何もしない姉パールは、私を見つめて言った。

 知っている。食事をしている時、パールは意外と静かだったのだが、この上機嫌な視線をたびたび私に向けてくるので気まずかった。


「まさか、お前が手に入るだなんて、思ってもみなかったんだぜ。なあ、お前は今どんな気分だ?」


 初めて二人きりになったこのタイミング。もしかしなくとも、かつてのレアとして話しかけているのだろう。

 玄関前でレアの口調を再現したのは、手っ取り早く信じてもらうためだったが、悪手だったかもしれない。この先のやりとりもずっとその口調で行くわけにはいかないのだ。面倒だし、いつか必ずぼろが出る。

 私は腹の前で重ねた両手を、少しだけ握った。


「私を受け入れてくれたことには、素直に感謝してます」


 パールの正面に立たされた状態で、思ったままを答えた。するとパールは顔をしかめる。


「今ぐらい普通に喋れよな。つまんねえだろ」


 やはりこうなるか。

 今後のことを考えると、最低限事情を話しておくべきだろう。


「いまは、これが普通なんです」


 私は天井に視線を這わせ、あまり気張らずそう言った。

 パール片眉を釣り上げる。


「なに?」

「私が死にかけたことは知ってますよね。そのときに、記憶を失ってしまいまして、かつての私がどんなだったのかわからないんですよ。さっきの話し方も、他人に聞いた話から再現したものです」

「……そうなのか?」


 わかったような、わからないような、という顔だった。

 まったくの嘘と言うわけでもないので、カタコトにはならなかった。

 パールに関しては別に全部話したって問題はないのだが、内容がかなり突飛なので、進んで人に話そうとは思えない。


「ちぇ、面倒だな」


 不服そうに彼女は言った。

 カシャン。水晶の長針が動く。


「ところで、なぜ私をここに?」

「あー、」


 パールは顎に拳を当てて言う。


「言いたいことは二つある。どっちから聞く?」

「いやどっちってなんですか」


 聞く前にどう選べと?


「もしかしてその二つって、いい知らせと悪い知らせですか?」

「何言ってんだ、知らせじゃねえぞ」


 いや、しるか。


「問いと、命令だ」

「……? じゃあ命令で」

「俺と手合わせしろ」

「無理です」

「なにぃ!」


 机から身を乗り出して威嚇するパール。

 猫みたいだ。


「命令だぞ、めいれい! 拒否権はないっ!」


 主が下す命令。初日とはいえ、私はもう彼女の従者だから、確かに拒否権はないことになる。


「でも拒否じゃなくて事実なので、どうしようもないです」

「んあ?」

「そう簡単に解除できる制限じゃないんですよ。今じゃどう頑張ったって、一般人レベルの力しか出せません」


 手合わせのため、なんて、そんなのセンが許すはずはない。


「っ……」


 パールは肘置きに肘を置いて、その手に頬を乗せた。やわらかい頬がつぶれて、不貞腐れたような表情になる。


「つまんねな」


 子供っぽい言い方だ。子供にとって、つまんないのは致命的である。


「どうしてそんなに手合わせがしたいんですか?」

「負け越してるからだ」

「なるほど」


 それは納得だ。とてもわかりやすい理由である。

 パールは不貞腐れたまま続ける。


「お前と戦ったのは一回きりで、その時はこっぴどくやられた。俺はあの時より段違いに強くなったが、その一回以降、お前は頑なに俺との勝負を拒んできた」

「へえ、拒んだんですか、私」

「もともとすかした奴だったからな、お前」


 結構クールな感じだったのだろうか。手合わせを頼んでも、「興味ねえな」みたいな……。

 嫌だ……。間違いであってほしい。


「ちぇ、勝手に制限なんか負いやがって。こっちは迷惑してるってんだ」


 言って、パールは机の上に視線を落とし、自らの相棒たる焦げ付いた大剣を見つめた。


「それについては、すみません」


 落ち度を理解しているわけでもないのに、私は謝ってしまった。

 少なくとも、やり場のない負い目は感じている。

 カシャン。水晶の長針が、妙に大きな音を刻んだ。


「へ、まあいい」今度はパールが本題に戻る。「んで、もう一つの方は、あー……、」

「問い、ですか」

「そう、それだ」


 パールは、一回寝た後みたいな伸びをしてから、高い背もたれに後頭部をぴったりくっつけた。


「近々、騎士団が新人の強化に本腰を入れ始めるらしいんだけどな、」

「ええ」

「おまえ、参加する気はあるか?」

「ん、参加? 騎士団の訓練に?」


 少し驚いて聞き返すと、パールは手のひらを私に見せて、「あー最後まで聞け、確認だ確認」と言った。最後まで聞くつもりはあったのに。


「騎士団の仕事ぶりを把握するのは六界主の役目だろ。もしお前が行ってもいいって言うんなら、俺が監視を送る必要もなくなる。もしもの話、だけどな」


 やけに「もしも」を強調するな。


「そうなんですね、わかりました」

「……ほんとか?」怪訝な顔をされた。「もう一度言うが、騎士団だぜ?」


 聞いたのはそっちだろう。と言いたいところだが、

 はて。騎士団はそんなに嫌われるような組織だっただろうか。

 私が騎士団について知っていることと言えば、治安を守る魔剣士集団、ということくらいだけれど、少なくとも騎士団と言うだけでどうこう感じるようなマイナスなイメージはない。

 とはいえ、たとえ騎士団が嫌われ者だとしても、関係のないことではある。


「役目なら、行きますよ」

「……ほー。びっくりだな。お前の騎士団嫌いまで治っちまうなら、記憶喪失も悪いことばっかじゃねえんだな」


 その発言はちょっとどうかと思うが、なるほど。騎士団が嫌われているのではなくて、単にレアが騎士団を嫌っていただけみたいだ。

 レアは騎士団が嫌いだったらしい。

 覚えておこう。こういう些細なことが、レアを理解する手掛かりになるはずだ。


「それで、具体的にはどんな訓練をするんですか?」

「さあな、わかんね。その辺は俺じゃなくてカインに聞け」

「はあ、わかりました」


 そうか、あの人の差し金だったのか。ところでどういう立ち位置なのだろう、彼は。


「あ、そうだ、エステルを連れて行ってもいいですか?」

「なんでだよ」

「多分、訓練とか興味あるんじゃないかなって」

「なんだ、そうなのか」


 食事の準備をしている時に、そんな気がした。おそらく彼女は、強さに飢えている。


「けどダメだ」パールは冷静に、きっぱりとそう言った。

「え――あ、そうですよね。いきなり騎士団の訓練なんて、ついていけるはずないですよね」

「それもあるが、そうじゃねえ」

「じゃあ、なんですか」

「魔剣士ってのはまず、剣技から鍛えるもんだ。そこまでは普通の剣士と変わらない」

「へえ、そうなんですね」


 知らなかった。一応私も魔剣士なのに。


「でも、それがどうしたんです?」

「魔力を使わない剣の指導なら、この屋敷で受けた方がいいに決まってる」

「それは、どうして?」


 パールは誇らしげに笑った。


「アーサーはな、剣の腕を基準にして選りすぐった従者なんだぜ」

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