第18話 マナーと剣技
夕日が沈み、そう時間が経たない頃。私たちは使用人なので、夕食に備えなければならない。
少人数用とは思えない大きなテーブルに、一通りのカトラリーを準備したところで、料理を運ぶ作業を開始する。
てっきりコース料理なのかと思っていたが、どうも違うらしい。この家では、テーブルに並べた料理をみんなで食べるのだそうだ。みんなというのはもちろん、従者も含めて。
今、私とエステルは厨房にいて、料理用のワゴンに、主菜の皿を並べているところだった。エステルがアツアツの焼き魚を眺めながら呟いた。
「あの人、マナーとか厳しいのかな」
言った後で、彼女はハッとした。意図せずこぼしてしまった言葉らしい。
とはいえ同感だった。あの人というのは、明らかにパールのことを言っている。
私とエステルにはテーブルマナーなど身についていないので、朝食の時点でアーサーにひどくしごかれていた(エステルは覚えるのが早かったが、気を抜くとすぐ水をこぼしたりするのでみっちり指導されていた)。だがパールは、失礼かもしれないが、私たちよりもっとマナーに疎い人間に見える。
「食事中のあいつは結構行儀いいぞ」
ローレンスがスープの鍋をかき混ぜながらそう言った。
エステルは、ばつの悪そうな顔をする。
「そうなんですか」代わりに私が聞き返した。
「ああ。基本的に行儀が悪いのは確かだが、なにかを得るときの手段……のようなものに、妙なこだわりがあるんだ、あいつは」
その事実は意外ではあったが、イメージ通りでもあった。
〈欲望〉のパールと聞くと、欲しいものはどんな手段を用いても手に入れようとする人間なのかと思ってしまう。しかし実際に会ってみると、彼女はそういう、ただ欲深いだけの人間ではないような気がする。
「き、気をつけますっ」エステルは背筋を伸ばした。
「心配しなくてもいい。他人の食い方には強く言わん奴だ」
「ああそうなんですね。よかったあ」
「嫌な顔はするがな」
「……」
心配しかなかったが、それはともかく。
そろそろ言及しておかなければならないことがある。
「あの、ローレンス様、さっきからずっと気になっていたことがあるんですが」
「なんだ」
「どうしてあなたが料理をしているんでしょうか……?」
広いキッチンのなかには、コック服を着たローレンスだけが立っている。アーサーはこの場にはいない。
「ん、もしや、君たちは料理ができるのか?」
ローレンスはスープをよそいながら言った。
「え、いや、そうではなくて」
できるかできないかと言われればできる。人並くらいには。だが今の返答で確定してしまった。この屋敷には、彼以外に料理のできる人間はいなかったのだ。
「わたしも思ってたんですけど、アーサーさんが料理するんじゃない……んですね」
「そうだ。いままで家のことはほとんど俺がやっていた。アーサーがやっているのは補佐的な作業のみだ」
なるほど、大きな屋敷を一人で維持するような超人、というのはこの人だったらしい。アーサーは最初に受けたイメージで正解だった。
「え、じゃあアーサーさんはなにができるんですか?」
エステルが大真面目に言った。私が思っていたのと全く同じことを。
彼女もあまり人のことは言えないが。
「アーサーは、まあ、そうだな……剣の腕が立つ」
今、必死に探したなこの人。アーサーにできることを必死に探した。
だがしかし、剣か。
確かに、玄関でパールの一撃を受け流したのは見事だった。ただあれは、もとの攻撃に魔力がほとんど込められていなかったので、パールにとっては、じゃれあい程度の一撃だったようだが。
「ああ、あともう一つあるぞ」
ローレンスは、一番大事なことを忘れていたとでも言うように、スープの湯気の向こうで人差し指を立てる。
「なんですか?」
「アーサーはな、いつの間にか紅茶をいれてくれている」
「ああ……」
あれ特技だったのか。
無駄話をしているうちに、ローレンスのまわりで皿がいっぱいになってきた。
一旦料理を運ぶべく、ワゴンを押して、エステルと一緒に厨房から出た。
エステルだと不安なので、ワゴンは私が押した。
食欲をそそるこんがりとした香りが鼻をくすぐる。匂いだけでも充分わかる。ローレンスの料理の腕は相当レベルが高い。
「ここには強い人がたくさんいるね」
しばらく歩いたところで、エステルがそう言った。
「そうかも」
パールが強いのは当然として、アーサーと、あとは私のことも言っているのだろう。
「わたしも、レアみたいになりたい」
「……そうなの?」
少し嬉しいが、それがどういう意味なのか、気になった。
「わたしも、強くなれるかな」
エステルは神妙にそう言った。
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