第7話 家族のところ
「本当によかったよ」
誰かがそう言った。
まったくだと思った。
本当によかったとしか言いようがない。
いやまて。
誰かって、誰だ。
周囲を見回す。
「げ」
カインが横に立って、抱き合う私たちを温かい目で見降ろしていた。
「げ、ってなにかな?」
彼は私の鞘を持っていて、ほら落とし物、と言ってそれを差し出した。
私はエステルからそっと離れ、鞘を受け取る。それからカインの顔を見た。喋り方は変わってはいないものの、ニヤついた印象はなく、シリアスな雰囲気が感じられた。
彼は私たちを見ながら言う。
「せめて二人が生き残ってくれてよかったよ。いや、全然良くはないんだけどね……」
カインの視線が一度落ちる。
「えっと、お兄さんは……?」エステルが知らない男の出現に困惑している。
「僕はカイン。ろっか――このお姉さんの世話役ってところだ」
「お世話役、ってことは、お兄さんも強いってことなんですか?」
「まあね。そこそこ」
最初会った時の自信はどこに消えたのだろう。
それに、世話役にした覚えはない。
「君は?」
「わたしは、エステルです。ただの……エステル」
ただの。
その言葉に付いている意味はきっと、無力感なのだろう。
ここにふさわしい励ましの言葉を、私は持っていない。カインも同様みたいだった。
だから私はとりあえず、
「私のエステルです」
と、カインに言っておいた。和ませようという意図はあったものの、完全に戯言というわけでもない。
カインは「は?」という言葉を表情に浮かべた。思ったより反応が良くなかった。エステルの方は、
「……!」
反応が良すぎた。
言葉を失い、目を見開いて、そして頬を赤らめていた。
私は心配になった。エステル、歳は十五歳付近だろう。その歳にもなって、この程度の言葉に踊らされているようじゃ、将来大したことない男につかまってしまう恐れがある。
でも、これでいいやとも思う。エステルの気を紛らわせることには成功しているわけだし。
「ああなるほどね、私のエステルってことはつまり、その子の面倒を私が見るってことでいいのかな?」
「え、そこまでは――」
言葉を止めた。
たしかに、面倒を見るとまでは言っていない。言っていないが、エステルの面倒を見る人間と場所が必要なのは間違いない。だって、エステルの町はもう無いのだ。
エステルを見た。彼女は落ち着いているが、とても不安そうに、地面を見つめている。
「そうですね。私のエステルなので、私が責任を持ちます」
「まあそうだよね、君ならそう言うと思ってた」
カインは首の後ろを触りながら言った。
君って、どっちのことだろう。
「じゃあ今後の話をしようか。君にはこれからもろっか――もともとある役目を果たしてもらうわけだけど、」
六界主って言いかけるのをやめてくれないだろうか。さっきもやってたし。
「それとは別として、君自身はどうしたい?」
「私自身?」
「そう。レアはもう釈放されている。役目はもちろん果たしてもらうが、そのうえでどう生きていくかは、君が決めるべきだろ?」
君の人生なんだからさ、と、カインは当たり前のように言った。
「私は……」
かつてと、今までは、死なないことばかり考えていた。どう生きるかなんて考えられるのもやはり、この体のおかげだろう。
「人生については、まだ全然不明瞭ですけど……、」
魔獣を殺すあの瞬間。
ほんのつかの間垣間見えた、あの背中、自分と同じあの姿を、私はもう一度思い起こした。
「かつてのレア、かつての私が、どんな人間だったのか、知らなきゃいけないな、とは思っています」
カインは私の言葉を聞くと、すこし意外そうに眉を上げて、細かくうんうんとうなずいた。
「なるほどね。ならちょうどよかった。君の身柄はある家に預けることになっていたんだけど、そこの主人は、かつてのレアをよく知る人物だ。いろいろと話を聞けるだろう」
「へえ、それはなによりです」
「まあ、あいつが素直に話すかどうかはわからないけど」
「そこには、エステルを連れていくこともできるんですよね?」
そう問うと、カインはため息交じりに笑ってから言う。
「可能だ。向こうには僕が伝えるよ。ああいや、ちょうど今から行くところだったから、一緒に行こうか」
彼は私たちの近くに立って、手のひらを差し出した。その手を取ったら多分、すぐに飛ぶのだろう。
「エステル、君も来なよ。大丈夫、酔いにはそのうち慣れるから」
カインは差し出した手のひらを、もう片方の手で指し示す。
エステルはきょとんとした様子でカインの手を見ていた。
「一つ、いいですか」恐る恐るといったふうに、彼女は言う。
「なんだい? なんでも言ってくれていいよ」
「わたし、お父さんとお母さんを、探したくて」
「……」
カインは差し出していた手を引っ込めた。
私はカインの顔を見なかったし、きっとカインも私の顔を見なかった。けれどわかる。おそらく私たちは同じ顔をしているのだろう。
お父さんとお母さんを探したい。当然の願望だ。年齢関係なく、誰かの子供である人間ならそう思うだろう。その行程をすっ飛ばしていた私たちが、本来はおかしいのだろう。
しかし、カインと私はわかっている。いかに絶望的かをわかっている。エステルの両親がこの瓦礫の山から見つかる確率は極めて低いし、それが死体でない確率なら、もっと低い。エステルがこうして生き残っているのは、本当に奇跡としか言いようがないのだ。
「わかった。でもそれは、僕に任せてほしいな」
カインは穏やかな表情でそう言った。
「危険な作業だし、時間もかかるからね。だからひとまず、そこのレアお姉さんと一緒にいてくれる? 僕も行こうと思ったけど、やっぱり予定変更だ。お父さんとお母さんが見つかったら、必ず教えるからさ」
必ず教える。とカインは言った。エステルの両親が、どんな状態であっても。
「わかり、ました」
エステルはうつむき気味に、しかしはっきりとうなずいた。
おそらく、エステルもわかって言っているのだ。彼女はもう、子供と侮れるような歳には見えない。どんな状態かわからないと理解して、それでもなお、探したいと言ったのだ。きっと、そういうものなのだ。
「じゃあ、いくよ。手を重ねて」
カインはもう一度手のひらを差し出した。
私が彼の上に手を置いて、その上にエステルの手が置かれた。
重ねられた手の一点に、魔力が集う。
「近いうちにまた会おう、二人とも」
そう言って浮かべた彼の笑みは、やはり最初よりも控えめだった。
私はうなずいた。それを合図に、視界がぐにゃりと歪んで回った。
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