第6話 どういたしまして

(宣言された目的の達成を確認。制約の適応を再開。戦闘能力の著しい低下にご注意ください)


 余計なお世話だ。

 重めのため息をつきながら、私は振り切った剣を下ろす。

 鞘に納めようとしたけど、鞘を持っていないことに気が付いた。最初の位置に置いてきてしまったらしい。

 拾いにいくのは、……後にしよう。


「終わったよ」


 私は少女に向かってそう言った。

 まだ私の体に抱き着いていた彼女は顔を上げ、そしてゆっくりと私から離れた。


「えっと……」


 彼女はそう呟いた。最初に何を言うべきか、迷っているようだった。

 私は少女の言葉を待つことにした。ついでに、彼女の姿をじっくりと見つめてみる。

 服装は、黄緑色のゆったりとした上衣に安布のスカート。庶民でも比較的貧しい家の子だということがわかるが、同時に、懐かしいとも思った。

 薄い金色のセミロングの髪を、小さいリボンで後ろにまとめている。目は大きめで、眉はキリっとしているので、おてんばな印象。表情も普段は豊かなのだろう。しかし今は、悲し気な顔しか見られそうにない。


「お姉さん、ありがとう……助けてくれて」


 体の前で両手をぎゅっと握り締めながら、彼女は言った。

 何がなんだかわからずに混乱しつつ、感謝の言葉だけは義務感で口にした。といったところか。

 住んでいた町がまるごと消えたのだ。命が助かったことを喜ぶ余裕なんて、今の彼女には無いのだろう。

 私だって、そういう余裕があるわけではないのだが、とはいえ私も大人なのだから、少女の前であれこれ考えるわけにはいかなかった。

 私は少しかがんで、少女に目線の高さを合わせた。


「君、なま――」


 言いかけて止める。ぎりぎりセーフだ。危うく相手から名乗らせるところだった。


「私はレア。君の名前はなに?」


 少女は視線を上げて、私の目を見た。


「エステル」

「エステルか。そっか、よかった」

「よかった?」


 聞き返されて、自分が意味不明なことを言っていたのを自覚する。


「君が生きててくれて、よかったってこと」


 私がそう言うと、エステルは少し目を大きくして、沈黙した。

 もしかしたら、様々な負の感情が頭の中をよぎっているのかもしれない。

 魔獣襲来の直前の記憶、あるいはずっと昔の記憶を見て、ごめんなさい、と、思っているのかもしれない。

 だって、彼女以外は高確率でのだから。

 でも、私が今の彼女にかけられる言葉なんて、これくらいしかないのだ。

 私は、彼女の頭の上に手を置いた。そして、あふれ出しそうになる息を抑えながら、微笑みをあえて浮かべ、言った。


「エステル、生きててくれてありがとう」


 今彼女が見ている私の姿は、もしかすると、多少はかっこよく映っているのかもしれない。憧れることのできる存在に見えているのかもしれない。

 正直、それは心外だ。

 けれど今は、そのままにするべきなのかもしれないと思った。

 だからそれ以上はなにも言わなかった。

 彼女がもし生きていなくて、私にがいなかった場合、私やあの魔獣がどうなっていたか、言わなかった。

 できるだけエステルの心の負担が少なくなればいい、と、そう思ったから言わなかった。

 そんな私を見ていたエステルは、一度うつむいて、


「……うん」


 と言った。そしてしばらくそのまま、黙っていた。

 彼女の頭に触れた手から、震えが伝わってくる。表情は見えないけれど、その震えだけで十分だった。

 私はエステルの頭を撫で続けた。そんな単純なことしか、私にはできなかった。

 エステルが嗚咽することはなかったし、地面に雫が落ちることもなかったけれど、しばらくすると彼女は、一往復、目元を拭った。

 そして顔を上げて、私を見た。

 ぞくりとした。

 その表情は、私の予想から完全に外れたものだった。

 彼女は、にっと笑っていて、そして、こう言ったのである。


「どういたしまして、お姉さん」


 それは多少の無理がある笑顔だった。明らかに、心の底からの笑みではないのだ。

 ならばなぜ、笑うのか。自分を元気づけるためかもしれないし、私に気を使わせないためかもしれないし、あるいは単に、彼女がとても強い子なだけなのかもしれない。

 でも、それがなんであれ、私はエステルの笑顔を見て、ほっとしてしまった。

 彼女がいなければ何もできなかったであろう自分に対する自責の念から、少しばかり解放されてしまった。

 救われてしまったのだ。

 私はもはや可笑しくなって、フッと笑っていた。

 そして左手の剣を一旦置いて、彼女をおもいきり抱きしめた。

 エステルもまた、その両腕を私の背中にまわす。

 その時になって、私は初めて、誰かを助けることができたのかもしれない、と思った。

 私はしばらく、エステルを抱きしめたまま動かなかった。

 とても暖かかったから。

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