第1話 なまえ
暗い部屋の中で、私は目を覚ました。
「ん……え?」
知らない場所だった。
粗い石造りの壁が囲う、狭い部屋。人一人が活動することのできる最低限の広さに思える。
おそらく、本当にそれを想定した広さなのだろう。目の前には壁の代わりに檻があるので、つまり、ここは牢獄ということになる。
檻の向こう側は確認できない。私からは計り知れない暗闇が、そこに見えるだけだった。
ただ、部屋の中に限っては、真っ暗闇というわけではない。
背後の壁には小さな穴があるようで――振り返って見ることはできないけど――そこから微かな月光が一本、差し込んでいた。
それは深夜にたった一本だけ残ったロウソクのように、私のことを的確に照らしている。
私は、古びた木の椅子に座っていた。
その外見を確かめるために体重をずらすと、それだけで軋んでしまう。なんとも頼りない椅子だった。
軋む音のほかに、じゃらり、という高い金属音がした。
最初から気づいていたことだけど、私は鎖で拘束されていた。後ろに回した両腕を、鎖で背もたれにくくりつけられている。両足は、椅子の前足につながれていた。
一応、ぐいぐいっと腕を動かして抵抗してみたけど、やっぱり無意味な行動だったようで、拘束を抜けられそうな予感は少しもしなかった。
私は今、牢獄の中で、拘束されている。
この状況からして間違いなく私は罪人だということになる。
自分の胸に訪ねてみた。お胸は正直に包み隠さず答えてくれたけど、ほんとの本当に心当たりがない。
というか、心当たりどころか、記憶がなかった。
私、私、とさっきから呼称してはいるけど、ところで私は誰なんだろう。
自分の名前を思い出せない。
けど頭の中に何も残されていないわけではない。記憶と言っていいほど確かなものではないのだけど、私の頭の中には確かに、過去の残り物があった。
頭の中というより、耳に残っていたと言った方がいいのかもしれない。
頭ではさっぱり覚えていないのだけど、耳の穴が、その声の形を覚えている。と、そう形容した方がいいのかもしれない。
それは、私の名前を呼ぶ声だった。
「死ぬな■■……死んだら許さないぞ!」
泣き叫ぶようなその声。そこには、言葉の通り、怒りに似た必死さがあった。
そうか、そうだよね、と私は思う。
そう思ったのは、当時の私かもしれないし、今の私かもしれない。
いや、かもしれなくない。両方だ。
そうだ。私はこの声を聞いて、申し訳ないな、と思ったのだった。今も思っている。
なぜそう思ったのか。それは、私が死んだら、
負担をかけるだろうな、と思ったからだ。
「……」
思い出してきた。
だからとても、胸が苦しくなる。
心臓が痛くなる。
私は死んだのだった。
死ぬわけにはいかないと思いながらも、結局、私は死んだのだった。
思い出してきた。
実に簡単な死に様だった。
かつて私は庶民の娘で、そこそこ魔力適正が高くて、
病弱だった。
心臓に病を抱えていた。
そして私には、大切な人がいた。
人さらいに連れて行かれた彼を救おうとして、無茶を働き、そして病をこじらせて、死んだ。
それだけだ。
つまらない死に様だとか言って自分を卑下するつもりは無いけれど、
それでも、
彼の心に負担をかけたことは、私の人生で最も大きな落ち度として確定した。
そうだ、そうだった。
私と彼の名前は相変わらず思い出せないが、だいたい、そんな感じの最期だった。
――あれ?
まってよ。
つまり私は、一度死んだということじゃないか。
じゃあ、今ここにいる私はなんなのだろう。
投獄されている理由もわからないままだし。
そういえば、体の感覚がおかしい気がする。
私の体はこんなに大きかっただろうか?
鎖のせいでほとんど動けないから少しの違和感にとどまっていたけど、まるで私の体じゃないみたいだ。
「あー、あ、い、う」
声を出してみたが、ダメだった。前の私がどんな声だったのかわからない。体の違和感はわかるのに。
ああ、でもそうだ。やっぱりおかしい。
だって、私多分、自分の胸にこんな重みを感じたことが無いもの。
肩がこりそう。
馬鹿にされてるのかな?
まったく。
「やあ、目が覚めたようだね」
正面から声がした。若い、男の声。
檻の向こうの暗闇から何かが姿を現す前に、檻の扉が開かれる。
錆びた金属の音がして、ゆっくりと格子が口を開ける。
すると、檻の出入り口にかたどられた暗闇から、男が姿を現した。
白い髪。背は低い。けれど多分、大人の男。やわらかい顔つき。着ているものは、ボロついたローブと、なんだろう……体にぴったりついた、黒い服。動きやすそうだけど、あんな素材は見たことが無い。
「ずいぶん待ったよ、君が目を覚ますのをさ」
男は肩をすくめた。
「ど、どうも」
とりあえず、私は恐る恐るそう返した。
すると男は、とっても驚いたように目を丸くした。
「どうも……? どうもって言ったのかい?」
「え、え? 言いましたけど……」
何をやらかしたのかわからず、焦る私。
すると男は、顎に手を置き、ふむ、と息を吐く。
「そうか。やっぱり別の……」
「……?」
わからないが、なにかを納得したらしい。
男はしばらくして、「よし」と言う。そして私の目の前まで来て、腰を折って目の高さを合わせた。
顔が近い。
「君の名前を教えよう」
男は人差し指をピンと伸ばし、微笑んで、言った。
「君の名はレア。六界主の一人。つまり、魔獣から人類を護る魔剣士の一人だ」
「ろっかい、しゅ」
その単語を私は知っている。人類最強の六人を、それは意味していたはずだ。
しかし、だからこそ、首をかしげることしか、私にはできなかった。
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