第8話
ジューダスという男と出会い、彼と行動を共にしてからしばらくの時間が経った。あれから何度か幽霊相手の戦闘が起こったが、相変わらず自分は、ずっと後方で待機している。
「――――」
二人の戦いを見守る。アルネラさんの無双ぶりはもはや言うまでもないが、ジューダスの強さもまた、目を見張るものがあった。
「はッ……!」
迫り来る幽霊の群れ。対する彼が用いる武器は、十字架型のクルセイダーソード。微かな聖光をまとうそれは、死者たちを効果的に切り裂き、次々と消滅させていく。
「…実力だけは、見るべきところもあるかしら。あの人間」
不意にそんな声が聞こえて振り向くと、一足早く幽霊の掃討を終えたアルネラさんが木陰の向こうから歩いて来た。
彼女の言葉自体には完全に同意できる。あの男の神官としての能力は本物だ。いや、だからこそと言うべきか。戦いを生業とする神官は、能力至上主義の世界だ。悪魔と戦うのものが弱くてあってはならない。信徒の盾となって戦う彼らは、過酷な試練を己に課して、悪魔と戦う力を手に入れるという。
強さを求めるストイックな人間というのは、一見すると無作法にみられやすい。傲慢無礼に思える彼の態度も、そういう理由があると考えればかえって頼もしいというものだ。
「いや、そんなわけないでしょ」
ということをアルネラさんに言うと、瞬時に否定されてしまった。
「あのねぇ、ユーリ。ああいう類の人間なんて、無理して好きになろうとしなくていいのよ?」
呆れるように窘められる。なんとなく気付いてきたが、どうやら自分は彼女に子ども扱いされているらしい。
「そんなこと…ないと思いますけど…?」
「あるわよ。これまでに何度かひどいことを言われて、それでもあなたは彼を憎むようなことをしない。あなたの魂を見ているとそう感じるわ。自分を嫌ってくる相手までも好きになろうとするなんて、少し異常よ」
「ちょ、ちょっと!人の心を勝手に覗かないでください!というか、アルネラさんのほうこそ、ジューダスさん相手には急に優しくなるじゃないですか」
反抗するように、少し強情に拗ねてみる。そんな自分に、にんまりと彼女は微笑みを浮かべる。
「あらあら、もしかして妬いているの?なら、どっちが特別扱いされているのか、よく考えてみることね」
くすりと愉快そうに笑う声。結局、自分が一方的にからかわれただけだった。
「…おや。そちらは既に片付いていたのか。は、何もせず、ただ美しい女性と歓談できるなんて、随分と羨ましいものだなあ?」
すると彼が戻ってきて、開口一番にそんなことを言ってくる。意味ありげな視線と一緒に、だ。あはは、と自分は苦笑するしかない。
「お、お疲れ様です。怪我などはございませんか?簡単な治癒程度なら行えますが…」
そう言うが、返事はかえってこない。まあ、自分程度が行使できる治癒術なんて、神官ならば誰でもできるようなものだ。必要ないのだろう。
「それよりも、立ち去る直前に強力な亡霊の出現を感知した。そこで、アルネラ殿には私の援護を頼みたい。よろしいな?」
そう言う彼に、しかし彼女はすぐに頷かない。
「えぇと、お願いできますか?アルネラさん」
自分が言うと、ようやく了解してくれた。そんな様子を見て、彼は妙な目をする。
「…分かりました。しかし、それならば私一人で行って参りましょう」
「いやいや。相手は強力な亡霊だ。ここは二人で共闘したほうが…」
彼の言葉を無視して、アルネラさんは一人で疾走する。やれやれ、とジューダスは肩をすくめるが、すぐさま彼女を追いかけるようなことはしなかった。
「良いのですか?」
無論、この森に出現する亡霊程度で彼女がやられるわけもないが、念のためにそう言う。
「…まあ良い。これでもし、彼女が窮地に陥ることになれば、そのとき私が助けに行けばいい。そうすれば、私が如何に優れ、信頼に値する人間なのかを彼女は知ることになるだろうよ」
何かを思い浮かべて、にやりと頬を緩ませる彼。
確かに、アルネラさんはこの人のことを積極的に信じようとはしていないようだった。協力しているのだから、もう少しまともな信頼が築ければいいのに、とは思う。
「…それにしても、実に優秀な女だ。この私の部下に迎えたいほどにな。あれほどの人間を、隷属民であるお前が従えているとは。何か弱みでも握っているのか?」
ひどい言われようだが、不釣り合いであることは自分でも重々承知しているので、否定はできないのだった。
「従えているわけではありませんよ。お互いの利益のため、行動を共にしているだけですから」
そう言うと、彼はひどく面白いことを聞いたというふうに笑う。
「お互いの利益、だと?これは異なことを言う。お前のような隷属民と一緒にいて、いったいどんな利益があるというのかね?」
嘲笑うように、彼は笑い声を森のなかに響かせる。
「私が思うにだな。お前、きっとあの女に騙されているぞ?」
少しも遠慮する気もなく、素直にそう言われては苦笑するしかない。まあ、自分などに力を貸してくれるのだから、そう思われても仕方がないだろう。
「まさか。彼女からすれば、僕を騙す理由がありませんよ。騙して奪われるほどの何かを、僕は持っていませんから」
そう言う。確かにその通り、と笑ってくるものかと思えば、意外にもそうではないと否定されて、
「いいや、騙される理由ならある。お前だって持っているはずだろう。騙してまで奪いたいと思うものが。それが何か、分かるか?」
問われて、自分は首を横に振る。彼は、勿体ぶるようにして答えた。
「それはな、心だよ。感情とも言う。それだけは、誰でも持ち合わせているはずだろう?」
それは、と思って、けれどもすぐに頷く。
たしかに、心を持たぬ人間はいない。誰であれ感情があり、泣きも笑いもするだろう。
「なにも、奪うだけではない。心を奪い、弄び、最後に捨て去ってしまう。そうすることを愉しむ者もいる。心を奪われ、捨てられるというのは、信じた相手から裏切られるということ。さぞかし深い絶望であろう。人が絶望する姿というのは、金では買えない刺激だ。その刺激を楽しむ化け物の名を、お前は知っているか?」
にやりと笑ってその名を告げた。どこかで聞いて、今も記憶に残っているその名前を。
「愛欲の魔女。傾国の大淫婦。男を惑わすファム・ファタール。その手の噂を、最近はよく耳にするだろう?」
「彼女が、そうだと?」
まさか、と彼は冗談めかして言う。
「所詮は噂だよ。ただまあ、想像してみるがいい。信じる者に裏切られ、何もかもを奪い去られる様を。そうならないと、お前は断言できるのか?」
挑発するような彼に対し、できるはずだと言い返す。自分が自分でいる限り、彼女は決して裏切らない。あの夜、あの人は僕にそう言ってくれた。だから、自分はその言葉を信じている。
「…呆れるな。お前は馬鹿か?言葉が人の心をそのまま表すと本気で思っているのか?言葉というのは、嘘を吐くための道具にすぎない。どのようにでも作り変えられるそれを、いったいどうやって信じることができる?」
は、と笑う。嘲笑するかのように。
「哀れなことだ。きっとお前は、自分が騙されていることにすら気付けていないのだろう」
彼はそう言った。否定するべきだと、心の中では思うけれど、うまく言葉にできない。
きっと、彼の言うことも正しいのだろう。その考えを、自分は間違いといって否定することができない。それが紛れもなく、彼女への背信に他ならないとしてもだ。
「………」
彼の言ったことが、何度も頭のなかで繰り返された。自分は、騙されているに違いないのだ、と。言うまでもなく、彼女は人ではなく異属だ。もしも己を騙しているというならば、その方が“らしい”ともいえる。それが本当だとすれば、裏切らないと言ったことも嘘なのだろうか。
ならば、あのときの言葉は?
『私には、とある呪いが掛けられているの。それがある限り、私は願いを叶えられない。誰も、私を見ることがない』
あのとき彼女はそう言った。自分といることで、その呪いを忘れることができるのだと。その言葉も嘘なのだろうか。しかし仮にそれが本当だとしても、自分の何が、彼女の呪いを忘れさせているのだろう。
自分が他人と比べて特別だといえるのは、この身に受ける幾つもの呪いだけだ。とはいえ、そんなものは優れているなんて言えない。呪いがあるのではなく、人としてあるべきものが欠けているのにすぎないのだから。
なぜ。どうして。あなたは、こんな僕と一緒にいてくれるの…?
そう思わずにはいられないのは、やはり、自分に価値がないと思ってしまうから。だからこそ、初めて会ったあのときに、僕はこの命を預けようと考えた。月と同じ、金色に輝く彼女に。その眩しさに、僕は目を奪われたのだ。だから、その美しさには、価値があるように思えたのだ。
死ぬ意味はあっても、生きる価値は未だに見つけられない。…あぁ、そうだ。僕は、それが欲しくてたまらないのだ。辛いことがたくさんあって、今も苦しいままなのに、そんな人生に意味が無いだなんて、とても耐えられない。結局自分は、あのときから何一つとして変わっていなかった。
自分が、他の誰でもない自分である意味がほしい。
…あの人と一緒にいれば、見つかるだろうか。
役に立つと、そう言ってくれるだけで良いのだ。
…あの人は、こんな僕にも価値があると言ってくれた!
僕が、あなたと一緒に居ていいのだと、そう言って。
…あの人とは、いつか離れてしまうのだろうか。
「…………ぁ」
嫌だ。そう思った。思ってしまった。どうして?一度は、死すらも覚悟したというのに?ただ一時の協力関係にすぎないのに?
…違う。駄目だ。やめろ。こんなことを考えるな。それはきっと、正しくない。そんな自分に、僕はなりたくない。そんな自分に、もう戻りたくない。
『なら、あなたはそんな誰かを愛せる人間にならないとね。ユーリ』
その言葉を、今も覚えている。あの時の自分が、その言葉に救われたとするならば、僕はその通りに生きなければならないのだ。
きっと彼女は、誰にだって愛されてしまう人なのだ。そうやって、多くの人を幸せにしていくことだろう。僕だけじゃない。彼女に救われる人は、これからも多く現れる。ならば、それを邪魔することは悪いことだ。
だから、自分はきっと大丈夫。こんな僕には、あの夜の奇跡だけで充分だから。
「―――」
本当に?
「ユーリ」
突然、呼ばれる声がした。は、と驚くようにして顔を上げると、そこには不思議そうにこちらを覗いているアルネラさんがいた。
「も、戻っていたのですね。お疲れ様です、アルネラさん」
慌てるようにそう言う。いつの間に帰ってきたのだろうか。時間が経つのを忘れるほど、考え事に夢中になっていたらしい。
「どうしたの?何か悪いことでもあった?」
「…いいえ。何でもありませんよ」
平気なふりをしてそう言ってみる。心が読める彼女のことだ。もしかしたら、全て見抜かれているのかもしれない。今の自分の心のなかを覗かれることは、一番恐ろしいことのように思えた。
「そう?なら良いけど」
そう言われて、ほんの少しだけほっとした。けれど、すぐさま先ほどのことが思い出されて、悪い気分に逆戻りしてしまう。消化しきれない異物が、いつまでも身体の奥に留まり続けているような、そんな嫌な感覚だ。
「よし……ひとまず、周辺の亡霊共は片付いたな。先に進むぞ」
ジューダスがそう言って、これまでと同じように我々の先頭を歩き始める。とりあえず、自分もそれに付いていこうとして、歩き出そうとした。
そのとき。
「………ぁ」
前を向く。一歩を踏み出す。そうしようとして、後ろから柔らかい感触に抱きしめられた。
「――――」
くすりと、満足そうに笑う声が耳元から聞こえてくる。ふわりと、甘い香りが漂う。
こうして彼女に抱きしめられるのはこれで何度目か。そう思ってしまう程度には慣れてきたことなので、いまさら慌てたりもしないけれど、いきなりされると驚きはする。
「あの、アルネラさん?…突然こういうことされると、僕もびっくりしてしまうのですけど…」
「何だか物足りないような顔をしていたから。こうして欲しいのでしょう?」
「そ、そんな顔していません…よね?」
「じゃあ、私がこうしたいと思ったから、でいいわ」
そう言って、しばらくの間確保されていた。先を行くジューダスさんが何気なく振り返って、信じられないものを見るような視線を向けてくるのが非常に痛い。
「ねぇ。私がいない間、いったい何を話していたの?もしかして私の話?」
「ち、違いますよ。今後の予定を聞かされていただけですから」
本当は違うけれど、反射的に嘘をついた。すると彼女は、どこか残念そうな表情をして、
「あら。それは悲しいわね。私はずっと、あなたのことを考えていたというのに」
などと、本気かどうかも分からないようなことを平然と言う。いったいどう返事すればいいのか、困ってしまう。
「か、勘違いさせるようなことを言うのはやめてください…」
「勘違い?それって、いったいどんな勘違いなの?」
言ってから、しまったと己の失言を後悔する。それを逃さず、彼女はにやりと愉快そうにして意地悪く聞いてきた。
「それは…まあ、その。……アルネラさんが、僕のことを好きなんじゃないか、と」
いったい自分は何を言っているのだろう、と。馬鹿げたことを言う自分が情けなく思えて、思わず泣きたくなる。一方で、彼女は実に満足そうに笑っているが。
「ち、違いますからね?本気で言っているわけ、ないじゃないですか」
慌てて訂正すると、これまた意外そうな顔をされてしまう。
「構わないわよ。あなたにそう思われても」
それよりも、と彼女は付け加えるようにして言う。
「あなたは、私のことどう思っているの?好き、それとも嫌い?」
「それは、もちろん好きですよ」
素直にそう答えた。嫌う理由が無いのだから、好きと答えるのが当然だろう。何度も助けてくれた彼女には、感謝もしているのだから。
「じゃあ、これからもずっと、私と一緒にいたいと思う?」
しかし、その質問にはすぐに答えることはできなかった。もしも今ここで、そうだと言えば、彼女はこれからも一緒にいてくれるのだろうか?
いや、駄目だ。それは正しい選択ではないと、ついさっき結論付けたはずだ。こんな自分には、それに足りる価値はないのだから。
「…たとえ僕がそうしたいと思っても、アルネラさんにとってすれば、迷惑になりますから……」
卑怯な答え方だと、そう思う。まるで、すぐにでも否定してもらいたいかのような、そんな浅ましいやり方だ。
「………そう。それは、残念ね」
だが、その望みは叶わなかった。すぐさま興味を失ったかのように、彼女はさらりと抱擁を解く。あ、と思ったときにはもう手遅れで、止まっていたぶんを取り戻すように、彼女はすたりすたりと先に歩いて行ってしまった。
「―――――」
少しだけ、寂しいような感覚をおぼえる。でも、それでいいのだろう。だって、これ以上優しくされたら、本当に離れがたく思ってしまうかもしれないから。それが、少しだけ恐ろしいように思えた。
だからこれは、そう悪いことでもない。そうやって自分に、言い聞かせて。今は取り敢えず、あの人たちに付いていこう。この森の事件を解決するために、やるべきことをこなしていけばよい。
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