第7話
この街を縦断する川の上流沿いには、とある大きな森が広がっている。街の人々は、その森を「還らずの森」と呼ぶ。幾重にも重なった木の葉が日光を遮断し、昼でも薄暗く、迷いやすいことからその名が付けられた。曰く、「その森に入ってしまえば最後、もう二度と戻って来られない」なんていうほど。
「――――」
濃密な暗闇が、目の前に広がっている。街の夜とは大違いだ。ひたすらに暗いというよりも、少しの光も存在しない。視界が許されるのはランタンの光が届く範囲だけで、いきなり目の前に大木が現れるようなことが幾度も起こる。
ランタンを揺らす。どこを見ても、あるのは乱立する木々ばかり。真っ直ぐ、明かりの届かない高さまで伸びる木々の景色は、まるで巨人に囲まれているかのようだった。これではきっと、迷うのも容易いに違いない。
用心して歩く。幸いにも地面は固く、冷たく乾いていた。頼もしい感覚が、足の裏を通して感じ取れる。
「………ぁ」
震える。一瞬、寒気のようなものを感じた。それと同時に、見えない風が通り過ぎたかのように、ランタンの火が微かに揺れる。
何かいる。そう思って立ち止まり、ランタンを高く掲げた。より広い範囲を照らすようにして見渡すが、見える景色のなかに異常は見当たらない。
「…どうやら近くにいるようです。お願いできますか」
そう言うやいなや、ポケットからもふりと何かが飛び出して、どこかへと駆けていった。それから間もなく、甲高い叫び声がどこからか聞こえてくる。音がしたほうを振り向くと、青白い光が霧散しているのが見えた。
たった今現れ、そしてすぐさま退治されたのは、この森に縛られた幽霊たちだ。前回の依頼において対峙した亡霊とは違って、こちらは自然発生的なもの。いってしまえば、精霊と近い存在かもしれない。
『はい。終わったわよ、ユーリ』
すぐさまいつもの狐の姿に変わり、自分の肩に乗ってくる彼女。ありがとうございます、と小さく伝えて、再び暗い森を歩き始める。
これが今日の我々の仕事なのだった。いつもの解呪の依頼とは違って、今回は森に棲みついた幽霊を祓うことが目的。とはいっても、普段と違うのはそれだけではない。
『…あ。そういえば、今回の仕事について、まだ詳しいことは聞いてないわね』
思い出したかのように、アルネラさんはそう言った。新しい幽霊が現れる様子もないので、少しだけ話をしようと思う。
「仕事の内容は、既にお話しましたよね」
『えぇ。なんだか物騒な名前の森で、幽霊狩りをするんでしょう?』
「まあ、要するにそういうことですね。けれど、今回は依頼元が少しだけ特殊です。普段のような個人の依頼ではなく、なんと街の市議会からの要請なのですよ」
少し自慢げに言ってみると、なんだか名誉らしく聞こえてくるが、当然ながら現実はそんな嬉しいものではない。驚くことなかれ、なんとこの仕事を完遂しても、報酬は一銭も貰えないのである。
「…本来、この街の住人には、住民税の支払いが義務付けられています。これは王国人も隷属民も同じで、基本的には貨幣での支払いで行われます。とはいえ、ほとんどの隷属民は税を払えるほどの財産を持っていないことが殆どですので、代わりに賦役という労働で支払うことが義務となっているのですよ」
それだけの説明で、彼女は全て理解したようで。
『あぁ、なるほどね。要するに、その制度を利用して、面倒で金の掛かる仕事を、ちょっと有能な隷属民の解呪師に、タダでやらせようってのが街の思惑なワケ』
改めてそう言われると、なんだか凄まじく理不尽な気がして思わず苦笑してしまう。本来、こういう仕事は教会に依頼するものなのだが、当然依頼料は高くつく。無論、相応の予算はあるはずなのだが、与えられたそれをどのように運用するかは、担当する街の職員次第だ。こうして浮いた予算は、その担当した職員の懐に、ちゃっかり仕舞われているに違いない。つまりは横領の片棒を担がされているということである。
『ふふ。ずいぶんと都合よく利用されているみたいね?あなた』
そんな自分をからかうように、アルネラさんは楽しげに言う。まったく、僕からすれば納得いかないこと極まりないというのに。
「……では、そのぶん頼らせていただきますね、アルネラさん」
仕返しするようにそう言うけれど、相手が小さい狐では恰好も付かないと気付いて笑ってしまう。
『えぇ、もちろん。私としても、こういう仕事のほうがやりやすくて好みだしね。…というか、もし私がいなかったら、あなた一人でどうやってこの仕事をするつもりだったの?』
「それは、前回の依頼と同じですよ。充分な準備を行って、時間をかけて少しずつ、仕事を進めていく他ありません。とはいえ報酬はありませんし、その間に別の依頼を受けるわけにもいきませんから……少し、面倒なことになるかもしれませんね」
少し場がしらけてしまって、あははと思わず苦笑する。でもまあ、今の話で言いたいことは、つまりこういうことだ。
「だから、とても感謝していますよ。こうして、僕なんかに力を貸してくれて」
『なんか、じゃないわよ。何度も言わせないで。あんまり自分を卑下しすぎると、評価してくれる人たちの信頼を裏切ることになるわよ?ま、そこまで言われているなら、こちらとしてもさらに頑張るしかないわね』
そう彼女が言った瞬間、ランタンの火が大きく揺れた。異様な気配、幽霊が近くにいるようだ。それも、一体や二体程度ではない。数十、あるいはそれ以上か。
「…囲まれているようです。一度、安全な場所に退避しますか、アルネラさん」
そう言うと、彼女は静かに肩から降りて、姿を人間のものに戻す。警戒する自分に対して、彼女はじつに気楽そうに佇んだままで、渡しておいた白鞘の太刀の柄に手を掛けた。
「いえ、その必要はないわ。むしろ、奴らが逃げられないようにすることはできる?」
彼女の言葉に、はいと頷くと、不敵な笑みで返される。
「良いわ。なら、ここで全て片付けるとしましょうか」
そう言って、彼女は刃を鞘から引き抜いた。それを開始の合図とするように、幽霊たちは恐ろしい叫び声を挙げて、四方八方から襲い来る。
『ギシャアァアアア‼』
迫り来る幽霊たちは、そのどれもが、彼女の一太刀で次々と切り伏せられていった。
* * *
戦闘は、ものの数分で片付いてしまった。
「よいしょっと」
アルネラさんが振るった斬撃により、最後の一体が青白い光へと変わって消えていく。自分がしていたことといえば、せいぜい幽霊が逃げられないよう結界を張っていた程度で、後は全部彼女の戦闘を眺めているだけで全て終わってしまった。
「お疲れ様です、アルネラさん」
そう言って駆け寄ろうとしたとき、彼女は何かに気付いたかのように顔を何処かに向ける。近づく自分を背にかばい、太刀の柄にその手を掛けた。
彼女は、その方向に言葉を投げかける。
「そこにいるのはどちらさま?出てこないのなら、敵としてみなすわよ」
え?と思って、彼女が向くほうに自分も視線を投げる。ランタンを掲げ、光が当たるようにすると、がさりと葉が揺れる音がした。
間もなくして、木の陰から一人の男が姿を現した。
「…いや、すまない。敵ではないし、そちらを攻撃するつもりもないんだ。安心してくれ、私は味方だよ」
男は両手を頭上に上げ、敵意のないことをその身で示す。年齢は、三十歳くらいだろうか。慇懃そうな黒の修道服に身を包み、白い帯のようなストラを首に掛けたその恰好は、まさしく教会の神官のものだった。
これはまずい、と思ってアルネラさんのほうに振り向く。
「ちょ、アルネラさん…!あの人、教会の神官ですよ…って、あれ?」
そして気付いた。いつのまにか、彼女にあったあの特徴的な狐耳がなくなっていたのだ。後ろの尻尾も同様である。今の彼女は、かろうじて普通の人間にみえていた。
「先ほどの戦いぶり、陰で観察させてもらっていたよ。いやぁ、見事な腕前だった」
にこやかな表情を浮かべながら、すたすたとこちらに歩いてくる彼。
戦闘を見られていたと聞いて一瞬どきりとしたが、彼女の正体に気付いているわけではないようだった。きっと、森の暗さで彼女の耳や尻尾が見えなかったのだろう。
「こんな森で幽霊狩りをしているということは、君も神官なのだろう?見慣れない格好をしているが、いったい何処の所属なのか聞かせてもらってもいいかね?」
そう聞いてくる彼だが、なぜだかアルネラさんは口を閉ざしたままだった。聞く限り、どうやら彼はこちらを少し誤解しているようにみえる。仕方ないので、彼女の代わりに自分が答えようとすると、
「えっと…僕たちは神官ではないのです。市議会当局から、この森の除霊を依頼された解呪師で…」
そう答えるがしかし、彼の視線はこちらではなく、アルネラさんのほうを向いたままだった。先ほどの言葉にも、少しの反応も見せない。
「あの…えぇと、神官さま?」
そうやって一人で困惑していると、しばらくしてから男は大きくため息をついて、見下すように視線をこちらに向けた。
「はぁ……いいかね?私は今、彼女と話をしているのだ。解呪師だか何だか知らないが、隷属民の君は少し黙っていてくれないか?」
そう言って、侮蔑に満ちた視線が向けられる。
「も、申し訳ございません……」
なるほど、こういうタイプの王国人か、とそのとき完全に理解した。酷い言われようだが、いつものことだと自分を納得させる。今更、この程度で気を落としたりもできない。
とはいえ、こうなってしまうと、もはや自分から何を言っても無駄だ。しかし、
「………」
肝心の彼女はというと、先ほどから黙り続けているままだった。その視線も、この男というよりもどこか遠い別の場所へと向けているように見える。
「何をしている…?私は貴女に向かって話しているのだよ、美しい髪の君?」
男はそう言うが、アルネラさんは一向に返事をしない。というか、反応すらしていなかった。痺れを切らした男は、今度はこっちに忌々しげな視線を送ってくる。
「えっと…どうしましたか、アルネラさん?」
仕方なくそう言うけれど、それでも無反応のまま。それからしばらくして、
「………へえ。逃げたわね」
小さく呟いて、不敵に微笑む彼女。いったい何を見ていたのだろうと、その視線の先を覗き見るが、そこには暗い闇があるだけだ。
ようやく男のほうへと視線を向ける彼女。それを待ち望んでいたかのように、男はすぐさま話しかけた。
「よかった、これで貴殿と話ができるというものだ。とはいえ、随分と放心していたように見えたが、先ほどの戦闘でどこか怪我でもされたのかな?であれば、この私が治癒して差し上げますぞ」
僕を相手にしたときとはまったく正反対の雰囲気で話している彼。アルネラさんが王国人に見えるというのも理由の一つだろうが、恐らくはそれ以上に、彼女がなんとも男心をくすぐるような麗人だからだろう。無理もない。
「…いえ、お気遣いには及びません、神官さま。ただ、別のものに気を取られていたもので。…大事なお言葉を無視するというご無礼を働き、申し訳ございません。何卒ご容赦いただけませんでしょうか…?」
対する彼女も、まるで中身が入れ変わったかのように、丁寧で品のある様子で男に話す。そんな物腰柔らかな彼女の姿勢に、男は実に満足そうな笑顔を見せた。
「…いえ!そうであれば、こちらも早く気付くべきであった、面目ない。ところで、先ほどの質問だが……」
「えぇ、聞こえておりました。既に彼が答えた通り、我らは依頼のためにこの森にやってきた解呪師にございます。とはいえ、私は彼に従う護衛に過ぎませんので、これ以上の問いはこの子にお聞きください」
それだけ言い残し、後は任せたというように彼女は素っ気なく後ろに下がる。要するに、面倒なことは全て自分が相手をしろということらしい。恐る恐る視界をずらすと、露骨に嫌そうな視線をこちらに向けてくる男が見えた。
「……はぁ。おい、そこの隷属民」
これ見よがしに大きなため息をつき、こちらを睥睨してくる。正直、今すぐ立ち去ってしまいたい気持ちでいっぱいだが、しょうがない。
「ユーリです。こちらの彼女はアルネラ。よろしければ、そちらの名前も教えていただけませんか」
そう言うと、意外にも男はこちらの言い分を呑んでくれた。
「…まあ、それくらいは良いだろう。私の名はジューダス。ジューダス・イェフーダーという。見ての通り、教会に所属する神官だ。君たちと同じく、この森の除霊のためにやってきたのだが、少しばかり面倒なことになってな。どうするべきかと考えていたそのとき、幽霊と戦う彼女が見えたゆえ、こうして近づいたというわけだ」
彼の話を聞いて、おや、と疑問に感じる点が一つあった。
「教会のほうでも、この森の除霊が依頼されていたのですか?」
市議会は、解呪師と教会の双方に依頼をしていたのか?そうした疑問に、彼は否と答える。
「勘違いするな。私は依頼のために来たわけではない。ひとえに、教会の教えを遵守するため、迷える魂たちを救いに来たのだ。どうやら君たちは、幽霊を片っ端から打ち倒していれば除霊できると考えているようだが、そんなものでは根本的な解決にはならんぞ」
呆れたように言う彼の話を聞いて、ひとつ得心がいくことがあった。
本来、幽霊というのは無条件に湧いて出てくるような存在ではない。多くの場合、それは様々な自然的要因が複雑に絡み合ったことで起きる霊的現象であり、根本的な解決は不可能に近い。ゆえに、取れる解決策としては、出現する幽霊を出来る限り除霊するしかなかった。
今回の件も、そうした自然的要因が原因としてあると理解していたのだが、どうやら男の言う話ではそうではないようだった。
自然的に発生したものではない。それは、つまり。
「何者かが意図的に、この森で幽霊たちを呼び出したということですか?」
そう言うと、彼は意外そうにして笑う。
「は。隷属民にしては、少しは頭が回るようだな」
しかしそうなると、また新たな疑問が生じるというものだ。いったい誰が、何のために幽霊を呼び出したのか。
「…元々私は、数人の部下を率いてこの森にやってきたのだ。当然、すぐさまこの森の幽霊現象が人為的なものであることに気付いた私は、今も幽霊を呼び出している儀式を行う何者かを探した。しかし、森を探索している途中に、私たちは何者かによる襲撃を受けた。襲ってきた者たちが何者なのかは分からない。とはいえ、彼らがこの森で幽霊を呼び出している黒幕だと考えて間違いないだろう」
そこで彼は、話に一旦の区切りをつける。新たな情報が次々と出てくる会話だったが、どうやら本題はこれからのようだ。
「私の部下は、襲撃の際に全員殺されてしまった。奴らの本拠の位置はおおよそ掴めているのだが、そのせいで制圧に踏み込めずにいる。そこで私は、教会に所属する神官として、君たち解呪師に提案する。お互いの目的達成のため、その力を私に貸す気はないかね?」
そう言って、真っ直ぐな視線が向けられた。とはいってもそれは、自分ではなく、どちらかというとアルネラさんのほうに向けられているように見えたが。
「互いの目的は共通している。そちらの彼女の力は、実に見事なものだった。そこに神官の力も加わるとなれば、断る理由も無かろう?」
急かすように返答を迫る彼。いちおう悩んではみるが、そう迷うことでもない気もする。依頼達成のための協力は、間違いなく有用となることだろう。神官の力を借りられるとなれば尚更だ。
「………」
念のため、彼女の反応も窺ってみる。すると、
『…あなたの好きにすればいいわ』
そんな声が頭に響いた。ならば、と自分は決断する。
「分かりました。それでは、その提案に乗らせていただきましょう」
そう言うと、彼は満足そうに頷く。
「では、これから君たちは私の指揮下に入りたまえ。全ての方針、決定は私が判断する。勝手な行動は慎んでくれ。また、私の命令には絶対に従うように。良いな?」
するといきなり、平然とそんなことを言い出した。
「…そ、それは…」
言おうとして、ぎろりと睨まれる。だがそれは、受け入れるにはあまりにも抵抗がある提案だ。いくら協力するとはいっても、全ての命令を遵守せよというのでは話が違う。
「口答えするな、隷属民。お前が私の命令に従うのは当然のことだろう。こちらには立場というものがあるのだ。勝手なことをされては、後で私の責任として追及されてしまう」
吐き捨てるかのように言う彼。その様子から見て、どうやら考えを改める気は少しも無いようだった。
「……分かりました。極力、あなたの命令には従います。ですがその代わり、こちらも意見を申し上げる程度は認めていただけませんでしょうか」
最低限の譲歩として、そう提案する。彼は考えるような素振りを見せたあと、かろうじて頷いてくれる。
「…まあ、それくらいは許してやろう。ともかく、これからの方針は歩きながら話す」
行くぞ、と言って先頭を進む彼を追いかけるように、自分は森のなかを歩いていく。すると、後ろに控えていたアルネラさんが小さく話しかけてきて、
「ねぇ、本当に良いのかしら。あの男、あんなことを言っているけれど」
良いか悪いかで言えば、もちろん良いわけがない。とはいえ、
「ま、まあ。敵の拠点の位置を知っているのは、彼だけですし…この依頼を達成するには、彼の協力が必要なのは間違いありません。それに、そう悪いことにもならないはずでしょうし…」
そう言う。どちらかといえば、納得できない自分自身に対して、無理に言い聞かせているような言葉だ。そんな複雑な内心を読み取ってか、彼女は小さく息を吐いた。
こうして始まった奇妙な協力関係は、多少の不安を残したまま、出発したのであった。
* * *
真っ暗闇の森のなか。複雑に絡み合った木の根が邪魔するその場所を、まるで平地のように疾走する男がいる。
男は、あるものから逃げていた。脇目も振らず、必死に。己を今まで生かしてきた生存本能が、“今すぐ逃げろ”と訴えてきたからだ。
…やばい。アレは、絶対にやばい奴だ。
それは、男がつい先ほどまで見ていたもの。遠くから覗き見ていた視界にあったのは、見覚えのある一人の少年と、彼の傍にいた女の姿。
気付かれるわけがない。どれだけ遠く離れていることか。それに、森の暗闇はこちらの姿を完璧に隠してくれる。そう思っていたのに、女と目が合ったあの瞬間、男の身体は即座に逃走を開始していた。
明確な理由はない。けれど、男は確信していた。あれは、何よりも恐ろしいものだ。あんなものに比べれば、この森に現れた幽霊などどうでもよくなるほどに。
しかし、それよりも気になることが一つあった。あの恐ろしい女の隣にいた、一人の子供。あの顔を一目見た瞬間、間違いないと確信した。
一心不乱の逃走のすえ、男は崩壊した砦に辿り着く。暗い森のなかにあって、いっそ薄気味悪いとすら感じるそこに躊躇なく入った彼を、他の仲間が喧しく出迎える。
彼らを払いのけ、建物の一番奥にいるもう一人の男に向かって、大声で叫ぶ。
「おい!大将!ヤツが来たぞ!」
大将と呼ばれたその男の顔には、斬られた大きな傷跡があった。
「あのガキだ!ユーリが、この森に来やがったんだよ!」
声が響き渡る。傷の男は、その言葉を聞いて驚いたように目を大きく開く。
「なに…?どうして奴が、今この森に来る?」
不可解そうに眉根を寄せる彼に、男は答える。
「分からねぇよ!それに、いるのはアイツ一人だけじゃねえ。耐霊装備の化け物みたいな女と、取り逃がした神官の男も一緒だ。どうする、大将?」
男は一瞬、迷うような素振りを見せたあと、何かを思いついたかのようににやりと獰猛に笑う。
「…ははッ!全く、奇妙なこともあるものだ。…まあいい。大体の事情は察した。おい、お前達。捕まえた神官どもを集めて、拠点近くの森に眠らせておけ。今すぐにだ」
男は言う。楽しみを抑えきれないように、乾いた笑みを漏らしながら。
「面白いことになるぞ、今からな」
地鳴りのように響くその命令に、その場にいた誰もが従った。彼の言葉を合図にして、男たちは皆一斉に行動を始める。
「…は。やはり、だ。どう足掻こうが、お前は俺から逃げられない」
慌ただしく動き始めるその場を横目に、男は誰にも聞かれない声で小さく呟く。神も、その奇跡も信じない彼だが、今この瞬間だけは、その実在を信じていいとすら思った。
「あぁ、楽しみだ。今度こそ……今度こそは、俺のものにしてやる」
愉悦。恐悦。御馳走を目の前にした餓鬼の如く、その顔は歓びで満ちる。
「ユーリ…!」
粘りつくような声が、その名を口にした。
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