第4話
辿り着いたころには、すっかり明るい朝になっていた。家に着いて、彼女を寝台に降ろした瞬間、気が抜けて倒れてしまいそうになったのは内緒だ。
彼女は、しばらく眠り続けていた。できれば自分もそうしたいところだったが、得体のしれない異属の彼女を放って、無防備を晒すのも危機感がないように思えた。
せめて、彼女が起きたときに、状況を説明できるように傍にいようと、そう思ったとき。
「………ん…」
ふと、吐息を漏らす音が聞こえる。ぴくりと、彼女は身体を震わせ、目を開ける。
「……ここ、は?」
起き上がり、周りを見渡す彼女の視線がこちらを向く。
「よかった、起きましたか。安心してください、ここは僕の家です。勝手ながら、倒れたあなたをここまで運ばせていただきました。…迷惑、だったでしょうか…?」
そう言うと、彼女はふっと笑って。
「いいえ、そんなことはないわ。ありがとう。大変だったでしょう?あのときの体力では」
「心配されるほどのことではありませんよ。それに、感謝をするのはこちらのほうですから」
ありがとうございますと、そう伝える。なにせ、彼女が助けてくれなければ、こうしている今の自分もないのだから。
「よろしければ、あなたのことについて訊かせてもらってもよろしいでしょうか?」
「あら。いきなり女の秘密に踏み込むなんて、大胆ね」
くすくすと、からかうように微笑む彼女に、少しどきりとする。
「い、いえ。そう仰るのでしたら、無理に尋ねる気はありません。自分を助けてくれた人が、いったいどんな者なのか。それを知りたいと思っただけですから」
「……まあ良いわ。私たち、まだ互いの名前も知らないのですからね」
そう言って向き直ると、改まった雰囲気になる。自分が先に名乗るべきだろうと思って、
「僕の名前はユーリです。えっと…隷属民で、解呪師をしています。あなたは?」
そう言うと、彼女は一瞬迷うような様子を見せる。しかし。
「私はアルネラ。見ての通り、人ではありません。異属よ。それも、人を喰らう化け物のね」
ふふ、と艶やかに微笑む彼女。その姿からは、とても想像できないような自己紹介だ。思い出す限りでは、狐の状態のものと口調が随分と変わっているようだが、どちらが素の彼女なのだろうか。
「…本当に、人を襲ったりするのですか?」
「えぇ、その通りよ。そうやって奪ってきた命が、今までに無かったわけではないもの」
それじゃあ、と己は言葉を続ける。
「どうして、あのとき僕を殺さなかったのですか?」
そう言う。自分は、目の前の彼女に救われたのだ。死ぬ気でこの身を捧げたつもりだったのに、どうしてあのとき自分は殺されず、救われたのか。
それはきっと、生き残った今となっては、意味のない疑問なのだろうが、それでも問わずにはいられなかった。
「…どうして、ね。それはまあ、最初に交わした取引の通りにしただけ、なんて言うこともできるけど…言い訳かしら。それじゃあ、敢えて理由を言うとしたら――」
何とも言っていないような不明瞭な答え。すると、不意に彼女は、じっとこちらを見つめ、その顔をこちらにぐいと近づける。
「………!」
互いの息が、肌に触れあうような距離。頬にその手が伸びて、さらりと優しく触れられる。どきりとして、顔が熱くなる自分に、彼女はくすりと笑いかけた。
「ねぇ、あなた。私を、あなたの護衛として雇う気はない?」
突然、そのようなことを口にした。
「……護衛、ですか?」
「えぇ、そう。あんな奴らに襲われたばかりなのだから、頼もしい用心棒の一人でもいたほうが、安全ではないかしら?」
それは、確かにそうかもしれない。送った刺客が帰ってこないことを知られれば、また同じように狙われる可能性もある。
だとしても、出会ったばかりの、それも異属に頼むというのは、果たしてどうなのだろうか。
「…それは、大変ありがたいことですけど。そんなことをして、あなたに何の得があるのですか?」
そう疑問する。すると彼女はすぐに答えて、
「もちろん。その代わりといってはなんだけど、あなたの生命力を私は要求します。路地裏で一度したみたいに、ね」
そう言って、唇に指をあてる彼女。や、やっぱり、あのときの感触はそういうことだったのか…と今更ながら恥ずかしいような気持ちになる。
「まだまだ私は力を失ったまま。完全には程遠いわ。ここであなたを食い殺すことは簡単だけど、あなたの細い肉だけでは満足できそうに無いもの」
食い殺すなんて言葉が一瞬聞こえてきて、びくりと心臓がはねた。やっぱり、すごいものを相手にしているのだ、と今更に思いなおす。
「そ、そのほうが、僕も助かりますね…」
「でしょう?だから、その代わりにあなたの生命力…そうね、解呪師風に言うならば、呪力というべきかしら?それを定期的に分けてもらうの。どうかしら、この提案は」
そう話す。どう返答を返すべきだろうかと迷い、少し考えさせてほしいと頼む。
彼女の言うことに間違いはないと思う。恐らく、その話にも嘘はない。というか、偽る必要もないのだ。今この状況においても、圧倒的な力を持っている彼女が、嘘などつく必要はないだろう。
信じるに値すると思う。彼女のような者が協力してくれるならば、今まで以上に安心して仕事に取り掛かれるだろう。あとは、まあ。定期的に行うという呪力の受け渡しのことだが、それもある程度までなら問題はない。
だから、
「えぇ、分かりました。僕としても、アルネラさんのような頼もしい方がいると安心ですから。是非とも、その提案に乗りましょう」
そう言うと、彼女はふっと力を抜くようにして笑う。
「それじゃあ、これからよろしくね?ユーリ」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。アルネラさん」
そうやって、初めて互いに名前を呼び、呼ばれる。なんだかくすぐったい気分だが、嫌な感覚ではないな、と思う。
「それじゃあ早速だけど、あなたの呪力を分けてもらえるかしら?」
すると彼女は、笑顔でいきなり、そんなことをぶっこんできた。
「ほ、本当に早速ですね…?」
「眠って疲れは消えたけど、お腹は空いたままなのよ。ほら、今は朝でしょう?なら、朝ごはんが必要よね」
そう言って、ずいずいと顔を近づけてくる。
「そ、その方法でしか呪力って渡せないのですか?」
いや、それが嫌だということではない。ただまあ、今からそれをすると考えると、凄まじく恥ずかしいのだ。既に一度やったことだろうが、それでもこんな綺麗な女性とするというのは落ち着かないし、なにより心臓に悪い。
「うーん…別にこの方法だけってわけではないけれど……」
「あ、あるのですか⁉なら、その方法にしましょうよ!」
「あら。それで良いならそうしましょうか」
そう言って、着ている服を脱ぎ始めた。
「いやいやいや!な、なにしてるんですか!」
「だからそのもう一つの方法よ。こんな朝からだなんて少しはしたないけれども、あなたが望むのだから仕方無いわよね?」
…も、もう一つの方法って、それかぁ‼
ダメだ。それだけは絶対にダメだと、己の中の自制心がストップを掛ける。
「そ、そうだ!今はちょっと疲れちゃって、呪力があまり残ってないのです。だから少し休みたいなぁ、だなんて…」
「あら。それなら、お姉さんが添い寝してあげましょうね。ほら」
そう言った瞬間、腕をぐいと引っ張られて、同じベッドに倒れ込む。脚が絡まり合い、手を背中に回され、半ば抱かれるようにして横になった。
自分とアルネラさんには、その身長に大きな差がある。当然、自分のほうが頭二つ分くらい低い。なので、脚を揃えて横になると、ちょうど彼女の豊かな胸が目の前にくるような形になる。つまりは、まぁ。
「あ、あの。これ全然落ち着けないんですけど…」
「こんな美女に抱かれてもまだ文句を言えるなんて、贅沢な子ね。それに、ただ私がこうしたいってだけじゃないわよ?」
そ、それはどういうことだろうか。二重の意味で。
「呪力を貰うためには、お互いの身体を接触させる必要があるの。一番効率の良い方法が、さっきも言った粘膜を通じた接触。効率はいくらか落ちるけど、肌を接触させてもある程度は可能よ。それに、」
彼女は、抱きしめの力をきゅっと強める。柔らかい、そんな感想。互いの熱を交換し合うようにして、肌が触れあう。
「命を抜かれるっていうのはね、とっても気持ちがいいのよ?文字通り、天にも昇るような心地…ってね」
耳元で、甘い囁きが耳朶を蕩かす。全身から力が抜ける代わりに、暖かい幸福感が心の中を満たすような、そんな感覚。
あぁ。たしかに、彼女の言った通りだ。今にも落ちていきそうな意識が、こんなにも、心地良くて。
「――――」
すぐさま、眠りに落ちた。
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