第1話

「…掛けまくも畏き、天にて御座します大御神よ。この者に禍事罪穢有れば、祓へ給ひ清め給へと願う事を、聞こし召せと恐み恐み申し上げん」

 祝詞を上げる。己を囲むように、淡く光が沸き上がるのを感じる。この言葉が捧げられる相手は、遠い極東の神。そこからすれば、ここは西の果てにあるような場所だ。このような遠い異国にも、かの御方の威光は届くらしい。

 重要なのは、心の底から祈ることだ。己は真っ当に神に仕えているわけではないが、心を尽くした願いならば、神はそれを聞いて下さる。

 願うのは、身を穢す呪いの祓い。しかしそれは、自分の呪いを祓うのではなく。

「………っ!」

 自分は、依頼を受けて人の呪いを解く解呪師。今日の依頼は、目の前で唇を嚙みながらぎゅっと目を閉じる少女だった。

 自分は、椅子に座る彼女に跪くようにして、その細い脚に手を伸べる。呪いがあるのは、この部分だ。

 触れる。なるべく、刺激を与えるように。しかし、少女の微かにある筋肉は、ぴくりと動くこともない。

 その反応を見て得心する。この少女に掛かっているのは、身体障害系の呪いだ。より細かく言うと、膝から下の部分的な麻痺といったところか。この様子だと、感覚を得ることも、自分で動かすこともできないらしい。

 さらに集中を深めて、その呪いを精査する。

 そうして視えた。少女が脚から得る感覚、そして少女が脚に伝える「動かそうという意志」。それらを塞ぐ吹き溜まりのようなもの。これこそが呪いの正体だろう。

 原因は分かった。ゆえに、祓うほうに意識を向ける。

 もう一度、祝詞を奏上する。しかし、

 …これは、結構キツイですね……。

 自分が未熟ということもある。己の呪力では、解呪しきれないかもしれないな、という弱気が浮かび上がってきた。

 ふと、気になって己の後ろに意識を向けた。そこでは、この少女の家族たちが心配そうにこちらの様子をうかがっている。いや、心配というより、これは…

「はぁ……」

 誰にも気づかれないように、そっと溜息をつくことを己に許した。術を一旦やめて、

「ねぇ、お嬢さん。君は、もしも脚が治ったら、何をしたい?」

 その言葉は、少女にだけ聞こえるようにした。突然の問いに、困惑するような表情をする彼女は、少しの時間をおいてこう答える。

「皆のために、いっぱい、お手伝いがしたい、です。今まで、困らせてばかり、だったから」

 そう言って、小さく笑う。そうすることのできるこの子は、とても強いのだろう。

 いつ望んだわけでもないというのに、誰とも違う人生を呪いに強制され、不況と困窮は、不自由な彼女を疎外する。困らせてばかり、だなんて。一番苦しいのは、君だろうに。

「…おい、解呪師。何をしている?呪いは解けるのだろうな」

 などと、勝手な想像をし過ぎた。動きを見せない自分に、後ろから訝しげな声が飛んでくる。

「えぇ、安心してください。この呪いならば、解くことができるでしょう」

 なるべく余裕を見せるようにして、答える。その言葉は、誰よりも少女を喜ばせるものだったようで、不安そうだった表情がぱっと明るく晴れる。

「ほ、本当に?」

「あぁ、本当だよ。だって、さっき君に訊いただろう?もしも脚が治ったら、何をしたい、てね」

 思い浮かべる。そのとき彼女が何と答えたのか。

 自分などと重ねるべきではないと分かっている。けれど、あのときの言葉で、確かに変わることができたと思うならば、言うべきだろうと思うのだ。

「君以外の誰かの為、じゃないよ。僕は、君だけの為に、その呪いを解こう。だから、」

 だから。

「君は、君自身の願いのために、生きていいんだよ」

 そう言う。あのときの自分もこうだったのだろうと思う。少女は、言葉の意味を理解し兼ねるように、首をかしげていた。

 それでいい。そう思うのは、やはり自己満足だろうか。数秒前の自分の行動の意味を考えそうになって、やめた。たった今やるべきなのは、一秒でも早く、この少女を穢す呪いを取り除いてやることなのだから。

 確かに、自分ではこの呪いを解くことはできないだろう。だけど、この子を呪いから救うことはできる。ならば、やることは一つ。

 だから、そうした。


 * * *


「…はい、もういいよ。ゆっくりと、脚に力を入れてごらん」

 家族の一人に支えられながら、恐る恐るというふうに、少女は椅子から立ち上がる。

 そして、

「……やった!立てた‼立てたよ‼」

 そう歓声を上げる彼女は、もはや支えに頼ることもなく、両の足で立ち上がる。

 その瞬間、後ろで見守っていた他の家族からも喜びの声が上がり、続々と少女のもとへと駆け寄った。一人で歩いてみせた彼女を見て、感極まり涙する母親の姿もある《《》》。

 …心配していたのは、本当だったみたいですね。

 そう思いながら、自分は和気藹々としている彼ら家族から退き離れる。既に依頼料は渡されているのだ。これ以上、自分がここにいる必要はない。

「………」

 一瞬、こちらに目を向けた少女の父親に軽く礼をして、そこから立ち去ろうとした。が、そこは我慢するしかない。

「…あれ。あの、解呪師の人、は?」

 喜びの喧騒の中から、少女の声がする。背を向けていてそちらは見えないが、どうなっているかは予想できる。

「待って、待って!もしかして、あの人…‼」

 その足音が輪を離れようとするのを、厳格そうな一つの声が呼び止めた。

「やめておけ。感謝なんてしなくていい。あれは、隷属民だぞ」

 そうして家から退出するとき、もう一度同じ声が聞こえた。

「近所の者に見つからないように帰ってくれ。隷属民の解呪師を呼んだ、などと噂を立てられたらたまらん」

 それだけ言い残し、家の外まで出たところで、扉はばたりと閉じられる。

「――――」

 ひとり、夜の道上にぽつんと取り残された。扉の奥から、いまだに歓声が聞こえてくる。だからまぁ、良いことを出来たのだろう。それは満足。

 風が、冷たく吹く。暗い夜道、上手く動かない脚を不自由にしながら、静かに帰路に就いた。

 悲しくはないのだろう、と思う。いつものことだ。感謝などされる仕事ではない。ちゃんと金を貰えるだけ、今回は良かったといえる。

 このような自分に、常人の幸福など望むべくもない。さっき、少女の父親が言っていた通りだ。賤しきこの身は、隷属の民なのだから。


 * * *


 この国に暮らす人間は、大きく分けて二つに分類できる。

 一つは、王国の正当な国民としての『王国人』。そして、その王国人に隷従すべしと定められた『隷属民』だ。

 王国は、数百年以上も続いている大国だ。その強大な国力をもとに、さらなる領土を求めて戦争を続ける侵略国家でもある。数多くの征服を行う彼らは、さまざまな世界で土地や人を奪い、そうして連れてきた人々を奴隷として扱ってきた。

 しかし、あるとき奴隷解放運動が巻き起こり、各地で奴隷たちの一斉蜂起が始まる。

 王国は、この反乱に対し速やかに征伐を行った。しかし、王国と敵対する他国の介入、支援もあり、その状況を危ぶんだ当時の国王は、奴隷制度の軽減、一部撤廃を行ったのだった。

 だが、元からあった差別や迫害がいきなり無くなるわけではない。奴隷解放運動という、王国人と奴隷たちの争いを経て、両者の壁はさらに険しくなった。

 そうして、今に至る。誇り高き叛逆が成果を上げてから、数十年後。未曾有の国難を乗り超えた王国は、繁栄と栄華を益々極め、飽きることのない侵略と共に国力を増長させていった。

 確かに、奴隷制度は消え去ったはずだ。しかし、自由は未だに望めず、あのとき勇敢に戦った奴隷の子供たちは、今では隷属民という新しい呼び名に変わっている。

「――――」

 暗い夜道を歩くのは、いつものことだった。なるべく、人に見られないように、帰り道を急ぐ。

 分かれ道に出る。進むべき道に進もうとして、そのとき。

「ハ。お前、隷属民か?ったく、汚らしい奴隷如きが、俺たち王国人さまの家の前を歩いているなんてなぁ…?」

 反対の道のほうから声が聞こえた。一瞬、己にかけられた言葉かと思って、反射的に振り返るが、違ったようだ。微かな月明りに照らされる向こう。一人の隷属民を、金色の髪をした王国人たちが取り囲んでいた。どうやら彼らは、酷く酒に酔っているように見えて、

「卑劣な隷属民のことだからな。どうせ、今から王国人の家に盗みにでも入ろうとしていたんだろ?なあ、どうなんだよ、オラッ‼」

 必死に弁明する隷属民の言葉を少しも聞くことはなく、酩酊で昂った気分をそのままに暴力を振るう。殴り、蹴りつけ、地に伏せるその人は、抵抗する術もなく、ただそれを受け入れるしかない。

「………」

 その光景に背を向け、行くべきだった方向へと再び歩き出す。

 耐えるしかないのだ。力のない者は、ただ苦しみに喘ぐことしかできないのだから。


 誰もが皆、己に呪いを抱えている。


 どうしようもない現実は、それが呪いであるせいか。

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