第26話 敵中
イェショネク少佐が教科書的な防衛戦を展開する一方、敵中に取り残された部隊もあった。歩兵第36師団1連隊2中隊は攻勢開始より必死の防戦に努めてきたが現在大隊との連絡を失い孤立していた。
大型の無線を積んだ装甲車が砲撃に巻き込まれ撃破されてしまったため上部との連絡が不通になってしまった。一応兵個人が携行する無線機はある。が、あくまで個人携行式で交信可能範囲はさほど広くない。見通しで10km、林が点在している地形を考えれば6〜8km程度だろうか。
と、いうことはだ。無線に応答がないという事実は、つまりそれだけの半径に友軍が存在しないことになる。
それから悩ましいことがもう1つ。中隊長には陣地を縮小する権限はあっても放棄し、撤退する権限は無い。戦闘単位である中隊は戦術面で何ら術作を施すことはない。言い方を変えれば、与えられた持ち場の中でどうこうする単位である。
何より中尉が気を揉むのは、撤退命令の類いを一切受領していないことだ。無断で、つまり命令に反し持ち場を放棄し後退、というのは軍人にとって最大の汚名である。
但し状況は非常に悪い。既に寸断され2日。昨日大隊と連絡を付けるために出したオートバイ兵は未だ帰ってこない。
補給が来ないため弾薬と糧食、医薬品は減る一方。弾薬はあと交戦2回分、糧食は食い詰めて1.5〜2日分。
決断の時だった。陣地を打って出て、味方戦線まで打通せんと欲するならば時間の猶予は残されていない。交戦も──それが小競り合い程度か中隊総力を挙げてのものになるかはわからないが──発生するだろう。日数も掛かる。
中尉はこの陣地の意義を熟慮する。国防軍ではただ命令に従うだけの将校など求められていない。自ら各種の状況を活用し、考慮する行動する、独立独行の戦士をこそ求めている。
国防陸軍士官学校で教育を受けた中尉もまた独立独行の戦士だった。
中尉は考える。元々この陣地は主陣地が迂回されないよう作られた。つまりは
そして肝心の主陣地は2日前の攻撃で突破された。つまり、この陣地はその意義を失った。
であればこの陣地を堅持する意味は無い。そして戦局を考えれば上層部は一兵でも多くの兵を欲しているだろう。
夕刻には偵察が戻り、後方及び側面の幾つかの地点で帝国軍が進出しているのが確認された。
この中隊陣地の意義は失われ、包囲下にあり、大隊はより多くの兵を欲する。であればこの陣地を死守するより後退して原隊復帰する方が良い。
中尉の結論は以上だった。導き出された答えは後退。
そして後退するのならば今を置いてない。砲声、銃声といった戦争の音は遠くへと遠ざかっている。友軍までの距離が開けばそれだけ辿り着くのも困難になる。
加えて現在、中隊は帝国軍の攻撃を受けていない。中尉の推測だが、おそらく帝国軍は国防軍後方への浸透を最優先にしている。一度敵戦線を突破したならば後方へ突撃する、というのは戦理──特に機甲部隊のそれ──に適う。だから陣地の、翼の端にあった自分達は一時的に無視されている。後続の歩兵師団が
今なら帝国軍の注意は薄いから、少なくとも最初の段階では戦闘を交えず後退できる。
ただ中隊内には現在地に留まり、一兵でも多くの敵兵を討つべし、との論もあった。これは友軍との合流は著しく困難もしくは不可能との認識に基づく。
故なき暴論ではない。確かに友軍戦線に到達できるかは不確定。もし途上で帝国軍から攻撃されたらどうなるか。陣地に拠らない以上、もし敵戦車に遭遇でもしようものなら一方的な展開になるのは想像に難くない。
友軍と合流できるかは非常に不明瞭。ならば。道路より陣地が堅固なのは明らかで、だからこそ陣地に拠り一兵でも多くの敵を屠るべし、というのが論理だった。
そうした反論もありつつ、中尉は後退の決意を変えなかった。中尉は命令文を起草した。
“中隊は本夜半、夜闇に紛れて後退する。”
中隊は早速準備に取り掛かった。負傷者をトラックに乗せ、特に
陣地構築用の偽装網を個人用に切り分け、銃剣に草を巻く。銃剣は光を反射しないよう黒染めされているがそれでも草を巻き付けた。水筒など金属製の物には靴下やらを被せてそれぞれが擦れ、金属音を発するのを防ぐ。
星が煌めき始めた夜、中隊は進発した。
尖兵小隊は何より道を間違えないよう全神経を集中した。林の中、延々木々が連なる。もし道を失えば中隊が全滅しかねない。
尖兵小隊は何と驚いたことに国防軍戦車小隊と歩兵小隊に遭遇した。
戦車小隊は2両欠の2両、小隊は12名の一個分隊規模。
帝国軍の攻撃で原隊とはぐれ、友軍戦線へ戻る途中だと言う。指揮官は少尉。
中隊は頼もしい味方を得た。戦車は3型戦車。50mm砲を主武装とし、全面装甲53mm。最新鋭の4型戦車と比べると劣る性能とは言え機甲戦力であるのに変わりない。
戦車は大急ぎで出撃準備にかかり、1時間後には進発した。
日を跨いだ03:00頃、尖兵小隊は進路上の村落に帝国兵の集団を見つけた。この村落は、直截に進路上ではないものの、中隊はすぐ傍を通る。戦車含む中隊が通過して気付かれないはずがない。
小隊の中から2名が偵察のため村落に接近した。戦友から偽装網を借り受け、伏せていれば草の塊に見えるほどになった。
偵察の結果、およそ一個中隊に加え対戦車砲四門。また大切なこととして皇国国民はいない。何せ国土が戦場になっているわけだから、特に住居に対して無闇矢鱈に撃つわけにはいかない。
中尉はこの村落への攻撃を決定した。やはり予定の通路に近過ぎ、歩兵はともかく戦車やトラックは音で気付かれるだろう。だからこそ先んじて攻撃し敵を蹴散らす。
中隊は大休止を行い、
戦車はエンジン音で存在が露見する可能性から攻撃開始直前まで林の奥で控える。
空が白み始める。兵士各々は堅く小銃を握りしめ、息を殺し攻撃開始の命令を待つ。
04:25。戦車はエンジン出力を絞りながら攻撃前進開始位置まで移動。04:30。中尉は迫撃砲に射撃開始を、つまり攻撃開始を命じた。
81mm砲弾が連続して村落に降り注ぐ。射撃時間は1分に満たなかったが、そこは射撃間隔の短い迫撃砲。30発を越える砲弾を撃ち込んだ。
射撃が止んだ直後、戦車はエンジン音高らかに前進した。戦車長は掲げた右手を振り命じた。
「Panzer vor!」
エンジンの唸りが朝ぼらけを突き破り、キャタピラが甲高い音を立て大地を喰み、土埃を舞い上げる。
歩兵も前進する。機関銃が建物その他敵兵が潜んでいそうな箇所に銃撃を浴びせ制圧する。戦車も榴弾と機関銃で制圧射撃を行う。
ともすれば
帝国兵の過半は就寝中だった。そこへまず迫撃砲弾の着弾。歩哨以外は屋内にいたから死傷者こそ少数なものの、完全にパニックに陥った。事態の確認のために大半の兵は兵器を持たずに外に出た。
そこへ戦車と歩兵の突撃。受け止められるはずもないし、損害は一瞬で驚くほど嵩んだ。
突撃の戦闘を担った少尉は帝国兵の練度の程を見てとった。村落には塹壕の類いが一切無かった。歩兵は防御のため、止まるとその場に穴を掘る。行軍中の小休止ならともかく、村落で宿営までして、個人用のタコツボさえ無いのは練度の低さを雄弁に物語る。
中隊は瞬く間に村落の半分を制圧した。奇襲の衝撃で帝国兵は浮き足立ち、組織立った戦闘がまだ行えない。
そこへ中隊は突進する。対戦車砲は牽引のためにトラックに繋がれたまま。帝国軍は一晩の宿として村落を利用していた。だから戦闘はまるで想定していなかった。
戦車は対戦車砲を砲撃を、踏み潰した。
今や帝国兵は戦車に対抗できる手段がなかった。手榴弾を投げつけても意味は無く、肉薄してハッチから内部へ投げ込もうにも、直協の歩兵によって戦車の遥か前で射殺された。
何よりまったく連携が出来なかった。指揮系統は崩壊し命令が伝わっていない。大半の帝国兵は潰乱状態に陥り、既に逃げ出す兵も出ていた。
1人が逃げ出すと釣られて他の兵も逃げ出す。逃亡を止める指揮官はいない。
一度そのようになると雪崩を打って帝国兵は逃げ出した。
戦闘は掃蕩戦に移行しつつあった。中隊は逃げる帝国兵の背中を撃ち、建物に籠る兵を一掃する。
村落を駆け抜け帝国兵を突き崩した戦車は一転、帝国兵が拠る建物を榴弾の砲撃で潰していく。
およそ100人が自発的に抗戦し、あるいは逃げ遅れてそれぞらの建築物に立てこもっていた。
それぞれは分断され、相互に支援することもだきない。最大の火力は機関銃で、これを家具やらに据え付けて射撃した。
中隊は戦車が火力の矢面に立った。高火力を誇る機関銃だが、7.62mm弾は戦車に対して全くの無力。車長は装甲で銃弾が跳ねる音を聞きながら命令し、砲手は丁寧に火力点へ照準した。
信管は遅延。着弾から0.001秒後に炸裂する。砲弾は壁を貫通し、建築物内部で炸裂することでより大きな被害を内部へ与える。
さらに壁が崩れると信管を着発にして撃ち込んだ。
例え遅延信管の砲弾が室内で炸裂しても、瓦礫や家具の陰にいた等で生き延びる兵もいるからだ。
そういった兵に追撃を加える。破片に加えて衝撃波が敵兵を殺傷する。
ディートリヒ少尉は砲撃で崩れた壁に部下とともに貼り付いた。部下が手榴弾を投げ込み、爆発と共に堅く短機関銃を握りしめながら突入した。
室内は粉塵が舞い散り、視界は灰色だった。人が現れて、そいつが帝国兵の野戦服であるオリーブドライブの衣服を纏っていたらとにかく銃弾を浴びせる。床に倒れている帝国兵とて例外ではない。
砲弾と手榴弾の炸裂で家の講材、家具は倒れ、破壊されて部材が飛び散り室内は足の踏み場も無い。
狭い室内に置いてボルトアクションライフルより短く、また連射可能な短機関銃は効果絶大だった。
連射連射、また連射。
「Son of a bitch!」
一室を掃蕩し、続く部屋へ意識を向けた瞬間、罵倒と共に帝国兵が顔を覗かせながら短機関銃を乱射した。さらに手榴弾が投げ込まれる。
「伏せろ!」
鋭く叫んで自らは瓦礫の陰に飛び込むかのように退避した。何か細く硬い、多分金属管が下にあって、
爆発。合わせて帝国兵が室内に突っ込んできた。
慌てて上半身を捻り銃口を敵兵に向ける。狙っている暇なんてない。おおよそ銃口が敵を向いた瞬間に引き金を引いて薙ぎ払った。鋭い銃声が連続し、室内で反響し増幅され、最後に薬莢が床に落ちるのとほぼ同時に帝国兵も倒れた。
まだ壁の向こうから帝国語が聞こえる。
部下共々壁に向けて乱射した。木材でできているらしかったから銃弾は壁を貫通した。向こう側からも応射が浴びせられる。
「手榴弾!手榴弾!」
叫んだ少尉に部下が応じ
爆発に合わせて少尉は敢為に前進、爆発の衝撃で前後不覚になっている帝国兵を射殺した。どうやら彼がこの建物最後の帝国兵のようだ。
喉がヒリつく。粉塵舞い散る室内で叫んだせいで喉に貼り付き、水分が失われていた。
戦闘後、村落の道路に、建物内に散らばる帝国兵の死体の大半はまともに服を着ていなかった。ズボンを履いていても上半身は裸、あるいは肌着だけだったり、野戦服のボタンを留めていなかったり、屋外なのに靴を履いていないのもあった。
中隊は10人の捕虜を得た。1人は尉官だった。地図も
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