第9話 臨時召集

 カール・シュルツマンは22歳。18歳でギムナージウムを卒業後、二年間の兵役を務めた後、現在は一会社員として働いている。


 そんな彼が1日の業務を終え家へ帰ると一年前に結婚した妻が真っ青な顔をして一通の封筒を手にしていた。


 「どうしたんだい?」


 妻のそんな生気を失った表情は初めて見た。恐る恐る、震える手で差し出された封筒は国防軍からの臨時召集令状だった。


 驚きとともに開封し、詳しく読んでみれば明後日までに身の回りの最低限の品だけを持って最寄りの国防軍基地まで出頭せよとの命令。


 「あなた……」


 不安に苛まれている妻の両肩に手を置き安心させる。


 「大丈夫だよ。きっと訓練さ」


 これが戦闘を伴う軍事作戦、つまりは戦争に備えての召集であるならば通常の充員召集令状が発布されるはず。

 

 そもそも、軍隊が平時から戦時態勢へ編制を移行することを動員と言い、充員召集によって必要な人員を集める。


 それに対し今回届いたのは臨時召集令状。つまり国防軍は軍隊を戦時編制へ移行させる気はないと読み取れる。


 もっとも召集令状に召集の目的なんてものは当然記載されているわけなく、真の目的をカールが知る術なんて無いが。


 以上そんなことをゆっくり諭すように妻に伝えて安心させた。


 とは言え妻の不安も分からないではない。皇国と帝国との関係がかつてないほどの緊張を孕んでいるのは民間人も感じていること。


 ともかく、カールは身支度を始めた。身支度といっても国防軍は下着から何まで支給してくれるから衣類等は必要無い。だから持っていくのは私物が中心になる。もっとも少量に限り、カールが選んだのは結婚指輪に妻との写真一葉。父から成人の記念に贈呈された万年筆。


 夕飯は急遽レストランへ繰り出した。今生の別れなどということはないがそれでもいつ帰れるかは分からない。だから奮発して高級なところへ。予約しておらず、席は満席に近かったが妻が「夫に臨時召集がかかったんです」とボーイに伝えるとそれならと通してくれた。


 きな臭い国際情勢の中、軍隊に召集される夫婦のためとなれば多少の無理をしてでも案内すべき事だった。


 慣れないコース料理を惜別の念に駆られながら食べ進める。食前酒の白ワインに始まり前菜のサラダ、メインディッシュは肉料理。


 「あなた……」


 妻は召集を深刻に捉えているようだった。カールは心配しすぎだと思うが、婚約者が軍隊へ行くとなればそれも当然だろう。カールとて不安がないわけではない。


 妻は予めこういう事態は承知のだけれども、夫が軍隊に召集されて心穏やかでいられないのは十分に察することができる。


 「大丈夫だよ」


 カールは努めて平静に妻を宥める。もっとも根拠は先刻説明したように充員召集ではないことだけだが。


 「帰ってくるよ」


 何があっても死ぬ気は毛ほども無い。愛する妻を安心させる材料が己の気概のみ、というのはなんとも頼り甲斐がない話だった。


 翌朝、カールは妻と連れ立って基地へ赴いた。ちなみに基地までの運賃については応集者は召集令状を見せれ免除される。


 基地の前にはちらほらとカールと同様召集されたと思われる者がいた。家族や恋人に別れを告げて門へ入ってゆく。


 カールは最後に妻を万力で抱きしめキスをした。


 「それじゃあ」

 

 昨日一晩かけて別れを済ませたカールも妻もこれ以上の言葉は不要だった。言葉では力不足だった。


 召集令状を門で、見せ案内に従い粛々と兵舎へ歩を進める。初めて門をくぐった時を思い出す。あれはギムナージウムを卒業してすぐ、18歳の時だった。軍隊という組織の一員となることに緊張し、しかし一方で青年特有のロマンチシズムに心高鳴らせてもいた。


 兵舎では国防軍兵士として必要な物一切を支給された。灰緑色かいりょくしょくの制服、野戦服、ブーツ、ヘルメットに始まり下着や靴下も支給された。さらに飯盒や水筒といった野外装具も、およそ兵士が装備する備品全てがその日の内に渡された。


 翌日からカール・シュルツマン二等兵は現役兵の時同様に訓練に明け暮れることになった。基本中の基本である気をつけの姿勢、敬礼、休め、行進と軍人の基本から始まった。


 翌日には現役時代に使っていたのと同様のボルトアクションライフルの貸与が行われた。


 臨時召集が掛けられた多くの若者がカール・シュルツマンの様に国防軍基地に出頭し装備を渡され、兵隊として最低限の訓練を受けた。


 そして翌日には移動である。これは国防軍最高司令部が苦心惨憺して作成した動員計画に基づく。


 話をカールに戻せば、最初に彼はトラックの荷台に戦友諸共押し込まれて駅へ移動した。そこから蒸気機関車で2日かけ港へ。


 これには司令部下部組織の鉄道部が苦心して実行した。まず休憩場所の手配。いくら兵隊は乗っているだけといっても快適な客車ではないため適宜休憩が必要になる。そしてこの時体を伸ばすために下車させることが望ましい。


 同時に兵隊に食わせる食事の手配も必要だ。食材に調理器具に調理人。そしてこれらを休憩場所まで移動させる。


 この給食というのが一度に千人規模の人員に食事を与ねばならないから大変だ。


 蒸気機関車が港に着くと人員は停泊中の輸送船に乗り込むよう命令された。この船で重巡洋艦を始めとした海軍戦力護衛の元ゼーレーヴェ海峡を横断する。


 皇国の領土は本島と大陸領に分かれており、その間に80kmのゼーレーヴェ海峡が横たわっている。


 ちなみに面積としてはおおよそ2/3が本島で1/3が大陸領である。


 目的地について何ら情報を与えられていないカールやその戦友はひとまず軍艦を見て嘆息していた。横に停められているトラックが豆粒に見えるほどの大きさ、そしてその黒鉄くろがねの威容。蛇足だが、軍人であっても陸軍の二等兵であるカールに軍艦の種類など分からなかった。


 need to know. 防諜の観点から軍隊では知る必要のある者にだけ必要な情報が与えられる。


 やがて8時間の航海を終え、陸に上がるとまた機関車に詰め込まれた。


 最終的にカールが送り付けられた先はサルン地区の帝国国境近く、シュトロウセ平原の一部であるエレンドという丘陵地帯だった。

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