第5話 長躯
思わず身震いする寒さだった。春に近づいているとはいえ特に朝方は気温が下がるようだ。
ルフト中尉は格納庫内の機体を見上げた。なんとも違和感を覚える複数の緑色を組み合わせた迷彩に赤い星。
この機体、元は試作機である。爆撃機に速度を付与、以って敵機を振り切る、言わば速度の盾を与えようとしたのがこの機体。
結果から言えば当時の技術ではエンジンに十分な信頼性を付与することができずに不採用とされ倉庫の片隅に眠っていた。それを引っ張り出してきた。数年が経ち信頼性不足も一回の飛行かつ熟練の整備員が整備するなら技術の進歩もあり問題無かろうと。
全員が朝食を取り最終ミーティングも終わった。糧食の積み込み、出発前最終点検も完了した。
高高度を飛行する都合上全員が厚手の防寒服を着用していて、まだ肌寒い季節のはずが機へ移動するだけで汗をかいた。
大尉は全員が乗り込んだことを確認。機を滑走路へ導いた。
操縦桿、フットペダルを操作。エルロン、尾翼、全て正常に作動。計機類にも異常無し。
管制塔から発進良しの報告。
フラップを離陸位置に下げスラストレバーを押し出力を上げブレーキ解除。離昇2200馬力を誇るエンジンが唸りを上げ機体を前へ前へと引っ張る。
ガタガタとコンクリートの滑走路を走る感触が伝わる。速度がつき主翼が十分な揚力を得て機体が浮かび上がる。ガタガタと揺れていたのがその瞬間、ふっと無くなる。
ランディングギア、フラップを格納。5度の角度で上昇を続け、国境を越えるまでには1万メートルの予定だ。
×××××
「国境だ」
ゴウゴウと空冷エンジンの音が響く機内。航法手が告げた。
これより先は帝国領。現在高度は10,000メートル。試作機だから達成できた高度。エンジンが軋むような音を立てている。そろそろ限界高度。
眼下には人を拒絶する峻厳な峰々が
「引き締めろよ」
帝国領に侵入した今、いつ帝国軍機が迎撃に飛んできてもおかしくない。なんなら既にレーダーで捕捉されているかも。大尉はもう少し上昇するに決めた。
実際、国境を越える時点で帝国軍のレーダーはこの機を捉えていた。ただ迎撃機を発進させるまでの手順が煩雑だった。
まず国境付近のレーダーサイトの操作員が機体を発見、上官に報告し、上官はさらに上部機関であるこの軍管区の統合レーダーサイトに報告。そこからこのレーダーサイトが必要な方面に警報を発する。
この警報を受けて各基地が対応を取る。このためどうしてもタイムラグが生じるし、平時ならここに敵味方、あるいは民間機の識別の必要が生じる。
とまかくも、このような情報伝達の煩雑さから、国境付近の飛行場からの迎撃機は発進しても追いつけないという状況に置かれた。発進こそしたものの、一応復路で追い付けるかも、という消極的な理由からだった。
大尉の操る機体は何ら妨害も迎撃も受けることなく目的の地点へと達した。帝国軍の大規模飛行場。搭乗員が爆弾倉に取り付けられた高性能カメラを操作して飛行場を撮影し、駐機している機体を撮影する。
「クソッタレ……。凄い数だ……」
無意識に毒づいてしまう程には圧倒的な数だった。戦闘機、爆撃機合わせて300機は越えるだろうか。航続距離の制約でここから連邦へ飛んでも主要な基地、工場その他戦争遂行に必要な目標は無い。
けれど皇国への備えならば全く逆。あの四発爆撃機、最新鋭のものではなかったか。なぜそんなものが連邦への攻撃に使用されずこんなところにいるのだ。なぜ連邦の国土深くへ飛び兵器工場に爆弾を落とさず、連邦との戦争に何ら関与できないこの飛行場に駐機しているのか。
そして搭乗員はある機体に目を留めた。正に今格納庫の中へしまわれているやたらカラフルで目立つ機体。どうも大慌てで隠そうとしているように感じる。
なぜ軍用機なのに目立つようにするのか。アッセンブリーシップと呼ばれるそれは友軍の目に留まるために存在する。
例えば、複数の飛行場から離陸した編隊が集合するとする。その時、非常に目立つ機が先導すれば各編隊が集合する際の目印となる。
つまり何かしらの記念塗装などではなく、実戦に即した塗装。
この先導機を帝国軍が隠そうとしているのか、あふいはただ単にタイミングの問題なのかは判じかねる。しかし前者ならばそうとう険呑なのは間違いない。実戦準備を隠匿する行為に他ならないからだ。
カメラを操作する搭乗員の脳裏にある像が結んだ。皇国の空をこの爆撃機が飛び、皇国が焼かれ、人々が爆発と炎、そして瓦礫の中を逃げ惑う。
どうして眼下の爆撃機群を見てそれを馬鹿げた妄想の産物だと一蹴できようか。
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