第二章

2020年1月29日 「私」

 先日、私の幼少期の頃の環境について両親以外の第三者の立場から見た意見を聞く機会が訪れた。それはとても衝撃的な物で、両親から聞いていたものもあれば、聞いていないものももちろんあった。




 今一度、私の中の私が空っぽになった。記憶の中と他人から見た私と事実。いろんなものが混じり合う。お世辞にも良い環境とは言えない家庭で育ち、自らそこから脱出した上で、きちんと両親と向き合っている私。控えめに言ってめっちゃ真面目だし良い子だと思うんですけども。自分の記憶力のなさや、何故かすっぽり抜けている過去、汚いものを見てきたのに透き通った瞳のルーツが何となく分かってしまった。人情に弱いけど人との関係を割とドライに見ていたり、どこか冷めた目で見てしまうこともある。けれど、人を信じたり手を差し伸ばす。そんな私が出来上がった私の中の私の憶測を述べてみる。




 簡潔に言うと「極度のストレス状態が記憶から消えている」ことに気がついた。記憶を失った、と初めて認識したのは昨年の初夏の話であるが、無意識に記憶の消去が繰り返されていたのではないかと推測される。もちろんトラウマもあるし、都合の悪いところが消されているわけではない。嫌だったことも、自分がしたことも覚えている。決して、消えたい過去が消えてるわけではない。




 そう思うのは先日手に入れた情報による裏側の話だ。私は母子家庭で育っているが、小さい頃は父親に親権があったと聞いている。それだけ聞けば「それで?」なんだが、深掘りするともっと闇深いものがある。




 これは各親から聞いている事実なので第三者のことは置いておくことにする。まず、私が生まれて1年するかしないかの時、父親が浮気を繰り返し離婚することになった両親。基本的には母親に親権がいくと聞いたことがあるが、母親の経済状況的に父親に親権がいった。しかし、私が1歳になるその時まで私の育児など一度もしてなかった父親である。私は父親とその浮気相手の元で暮らすことに。何度女が変わっているかももう覚えていないくらいだけど。




 ある時、父親が「もう面倒見れない」「育児無理」と母親の元へ私を戻した。つまり、面倒見きれなくなって『捨てた』とも言える。それ故、今度は母親の元で暮らすことになった。母親は実に私を可愛がってくれていた。これは第三者の方が見たもので、貧困が故に親権が取れなかったとき泣きながら私のバッグを手作りしていたそうだ。母親は悪いことしてない上に、親権まで取られたら泣くのは当たり前だ。それはそれは泣き尽くして大変だったそうだ。




 これだけ見れば良い話でしょう。私も泣きましたよ、聞いたとき。でも私が覚えている記憶、母親や父親から聞いた過去はもっと残酷だった。私が笑って聞いているからって、決して本人に言うものではない。私は遠回しにいらない子だと言われているようなものだった。母親の元で暮らしている時、当時2〜3歳頃であるが私はお留守番が多かった。一人でコンビニに行くことだってあった。私にとってはそれが普通であったが、情報が入るこの時代、普通その年の頃は目が離せないくらい大変らしい。むしろ全部私に任せられていた気がするのだが。離婚後の母は男を作り、家に彼氏を連れて来ることも、私を連れてデートへ行くこともあった。その度私は「知らないおじさん」と接しないといけない恐怖があった。実は昔極度の男性恐怖症だった。しかし、母親の彼氏なんだから、母親が好きな人なんだからと我慢していた。その歳の頃から、母親と知らないおじさんが性的なことをしているのを目の前で見てきた。私が起きていることにも気づかず、私のいる場所で堂々としていたからである。これは私が当時から抱えてる「嫌悪」。男は違えど、思春期の頃にもそういうことがずっと繰り返されていたのだから。




 私は母親に愛されていた。それは事実であったが、男に依存し男優先だったのもまた事実である。私が親に捨てられる体験したのは一度ではない。今度は母親に捨てられたのだ。男に溺れた母親は、父親の住む部屋に突然私を置き去りにし、何処かへ消えた。何の音沙汰もなしに。当時父親はかなり驚いたという。そりゃそうよ。しかし、親に捨てられた記憶、帰ってこない記憶、なんてよくトラウマとして描かれてあることが多いのだが、私は全くその記憶がないのである。すっぽりと、その部分は抜けている。しかし、親のもとを行き来していたことは覚えているし、父親の女も母親の男のことも覚えている。ただ、置いていかれた、という事実だけが抜けていたのだ。前述した記憶の消去はこの時からすでに始まっていたと考える。




 しばらくして、また母親が現れて母親の元へ戻った私。そこにはまた衝撃的な事実と記憶が残されている。母親は私がお留守番している間、他所で服薬自殺を試みたのだ。結局未遂で終わって救急搬送され、胃の洗浄で済んだらしいが、この時「自殺未遂」をしたことは知らずに違う記憶が残っている。




 いつも母親と来るおじさんが一人で私が留守にしているアパートの一室の窓をコンコン、と叩き私に告げた。「お母さんが病院に運ばれたから、一緒に来て欲しい」と。子どもながらに母親と一緒じゃないおじさんが不自然なこと、自分が留守で家を開けて良いのかということ、たくさん考えた記憶がある。小さいながらに『嘘ついて誘拐しようとしてんじゃないかこいつ』という恐怖が凄かったのを覚えている。頑なに私は考えていて、最後に何かしらの証拠を出してもらって車の助手席に乗って病院に行った。これが唯一の恐怖の記憶。服薬自殺で病院に運ばれたというのは大人になってから実は服薬自殺しようとしたんだよね「てへぺろ」くらいの感覚で話されたのである。仮にも私は幼児であったその時で、その記憶が残っていたのでああ、あの時私を置いてこの人は死のうとしたんだ。と思った。これに関しては父親からも情報があり、服薬自殺の原因はその男との仲のもつれにあったらしい。当時、どこで服薬して私を留守番させてどこで自殺しようとしたのか察してしまう。実質、両親の間で私のなすりつけ合いが何度もあったことをその口から聞いているのだ。私と親の立場が友達感覚だとしても子供には話して欲しくなかった事実である。




 それに限った話ではなく、その後も違う男のトラブルで「死んでやる」と口にしてる母親を何度も見てきている。そのたびに「じゃあ私も一緒に死ぬ」と言った。何度も、何度も私より男と自分のことばかりで私の存在はいないかのような扱いなんだなと振り返る。今では「都合の良い時に可愛がる人形だったのよ」と笑って話せるが。




 本題に戻るとここまでの事実と記憶があるにもかかわらず、また知らない事実が出てきたのである。それは、父親の女にDVされていた、と。二度目の父親の元であろうか?たぶん私がパスタを食べられなくなったときの人であろう。私は昔から人見知りしなくて明るい子であったと思っていたが(人に好かれ、良い子だとずっと言われ続けていた)、父親の元から戻された時明るくて活発だった私が「怯えて何をするにもビクビクしていた」と。私がおかしいな、とその人は思ったと語り、その原因が父親の女からのDVだったということも聞いた。しかし、私はそのことを全く覚えていないのだ。痛い記憶も怖い記憶もないのだ。「なぜか」突然パスタが食べられなくなった、とかそんな簡単な感覚だった。昨年の記憶紛失の経験を経てから聞いた話であるのでこの時も過度のストレスで記憶から消されていると考えるのが妥当だ。




 その後もゆくゆく考えればおかしいなと思う矛盾点がたくさんある。しかしそれを「なかった」ことにしてきた頭の中が「怖いこと」を記憶から消してきた結果であると思う。汚れた過去を持っているのに、人を信じ、真っ直ぐ人と向き合う。裏切られる、また信じる、それを繰り返してきたからこそ強く思う。汚い部分に、怖い部分に蓋をし続けた結果だと。私が記憶力が極端にないのもそのせいかと思われる。好きなことでも全く記憶に残らなくて困るくらいだ。だから過去に食べたものがあったとしても何でも「初めて食べる」になるのだ。こんなの初めてだ!と言ってきたことを全て疑うレベルで。大人になってからそれを指摘されているので、いつからそれが発症してるのかもわからない。




 少なくとも虐待の記憶が無く、他人がその事実を知っているのだから確実に記憶から消えているのだ。当初から悲しい歌が好きだったのも、失恋ソングの歌詞の意味を理解して聞いていたのも全部こういうところに繋がっているのではないか、とさえ思う。




 家を離れて、鬱病に掛かり、過去と向き合って少しずつ自分の中で片付けていてものが全て崩れてもう一度片付け直さなきゃいけなくなった。思わぬ記憶の補填に、対応しきれない。




 しかも、私が長いこと性的虐待を受けていた男と付き合い始めたときのことを知っていた。その男と結婚する!と言い張っていた母親に、私がいるのに子供の気持ち考えてるのかとか、子供の許可をちゃんと得てるのかと母親に怒ったそうだ。しかし、逆ギレした母親を止めることができずに疎遠になっていたらしい。それを知らずにそこの仲を修復したのは私だが、この話を聞いた時に「ああ、やっぱり男優先だったんだな」と思った。それと、私がおかしくなっていたこと、環境が悪いことを知っていたのに何故周りの大人たちは保護してくれなかったのか。十分に育児放棄もあり、保護されるべき対象であることも明らかに人に見えていた。なのに、何故?私は20歳になって自分から逃げることができるまでずっとずっとその環境に置かれ、精神を壊した。気付いていたのならば、保護してくれたら、もっと違ったんじゃないのか。私が声を上げられなかったことが悪いのか。ずっと頭の中で繰り返す。でも声を上げなかったのも私だし、自己防衛とはいえ無意識に記憶がなくなっていたのも事実。いつも笑ってるし何も考えてなさそうだねと言う母親の裏側の私は、こんなんなのだ。親しか知らない子供にとってはかなり酷であるし、大人になってその事実をまるで「昔は若かったよね」と友達に話すノリで言われても私は素直に笑えない。




 最終的には、離婚したのも母親が悪いわけじゃないし、母親だって頑張ってたのだから責めないであげてね。なんて言われちゃったのだ。誰も責めてもいない。そんな事実知っていてもちゃんと親と会って親孝行は大事にしているし、生活とは別に母親とはたくさん楽しい記憶もあるのだから。嫌なことだけじゃないから親の話にも笑って自分の中で蹴り付けて親のせいにしないで、親のいいところだけを見て一緒に生活してきたのに。男関係の自殺だの、育児放置気味なのも知らないとはいえやはり「当の本人」には言うべきことではない。そんな親のわがままに人生棒に振られていた私の気持ちなど、お構いなしに何もできなかった自分を私に話して慰めるのだ、大人は。子供はいつまでも子供と言うが、逆に子供からしたら親もいつまでも親なの。昔話で笑ってるけど、それ私を捨てようとした、置いていこうとしたという残酷な過去を突き付けてるだけだからね。デキ婚やら何やらでテレビとかに悪口を言っていたが、私を産んだのも「結婚を許してもらえないから」という理由だった。デキ婚と何が違うのか。それに、私は結局親たちのエゴによる『道具』にしか過ぎなかった。それだけ。




 そりゃあ、過去の記憶の嫌なところ全て吹っ飛ばして楽しかったことだけ思い出してニコニコして笑っていられるよ。だって、そうしないと怒られるしまた捨てられるかもしれない。これは全部自己防衛だったのだから。捨てられないための。生きていくための手段。未だに「いい子」を演じ続けてる私の生き方。それを「可哀想」とまたセカンドレイプと言わざるを得ない情報で崩していくのだ。




 最近は、忘れていた過去の嫌なことを時々フラッシュバックのように思い出し、そんな過去もあった。と徐々に思い出してきている。それを受け止めてまた笑って過ごす。私の中の事実の修復が始まっている恐怖に怯えている。修復された先に、自我がどれだけ保たれるのか心配でならない。こうして居られるのも最後かもしれない。受け止めるのが大変で死にたいと思う。そういうことがあるたびに。最終的には本当に死んじゃうかもしれない。あるべき場所に戻るのかもしれない。今はまだ、私の頭の中で私を何度も殺して保っている。思えば、物心ついた頃には自分を頭の中で死なせることをずっと続けていた。寝る前に何度も、何度も。周りは悲しむかな、悲しんでくれるといいな、と思い、泣きながら眠りについたこと。昔からこの癖は治らないみたい。




 なんか話逸れてしまった気がするしまとまってない。ただ吐き出したかっただけだからいいのだけれど。吐き出したことによってまた私が私を受け入れることができるように。さよなら、何機目かの私。

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