小説を書くのって難しい

 前回から相反する内容を爆速で書くのだが、今回言うのは「他人に見せる文章を書く」ことについてだ。それは例えば読書感想文なんかも含む。


 ちなみに恐らくこちらの方が共感者は多いと思う。何事も、極めるというのは非常に難しい。

 もっとも、私はこのエッセイに関しては徒然草の如く、ただ思うままに筆を執っているわけだけれども。他人に見せる文章なのにね。


 前に書いたかもしれないが、私は人に勉強を教えるバイトに就いている。中学生だったり高校生だったりするのだが、そこで最近文章を見ることになった。

 そこで質問なのだが、皆々様はどういう時に「読みづらい」と感じるだろうか。文章がやたらめったらと長いときだろうか。論文のように、やけに文体が堅苦しいときだろうか。句読点がただただ多すぎるときだろうか。それとも、文章云々よりも論理構造が気になるだろうか。


 私は文章構造と、文体の一致を気にする。

 先に文体の一致という点について話そう。

 まず、「常体(である体)」と「敬体(ですます体)」が入り交じっていると流石に気になる。私が使うのは基本常体だが、敬体を使う方が適切だと判断する時は敬体統一する。


 なぜ入りまじるのか、という意見については、国語の授業が悪い、と答えておこう。

 私たちが手紙以外で1番初めにちゃんとした人様に見せる文章を書く時、恐らくその文章の種類は作文であるはずだ。そして作文というのは極めて主観的な文章であり、敬体で記すことを推奨されるものでもある。ある程度年齢を重ねると作文を書くことはなくなるし、あったとしても常体で統一にはなるから、ピンと来にくいかもしれないが。

 では常体を使い始めるのはどういう時かと言うと、恐らくレポートを書くようになる時だと思われる。レポートというと仰々しく思われるかもしれないが、要するに自由研究である。

 自由研究についてあまり細かく文章を指摘されることは無いだろう。重要なのは科学的、社会的な視点であり、文体が適切かどうかなんていうことは、あまり問題にはならない。

 要するに、今まで人様に見せる文章では、敬体統一であるべきだと思っていたのに、「常体で書いてもいい」という相反する内容が入ってきてしまったのである。


 閑話休題。とはいえ、流石に統一感がないというのは目に余る。口語(話し言葉)と文語(書き言葉)が入り交じっているのも、まぁ混ざり度合いにもよるが正直気にはなる。私は親しみやすさのために時折口語を混ぜたりするが、それは書いているのがエッセイであるからで、エッセイ以外なら余裕でタブーである。

 それと、人称非固定作品も気になる。章が分けられているなら別に気にしないのだが、章を跨ぎもせずに一人称と三人称が入り交じっていたり、一人称だけれども視点がコロコロ変わるとなると、流石に疲れる。

 ちなみに、神が主人公と一体化した視点というのも実は存在している。宮沢賢治の『やまなし』なんかはいい例だ。


 文章構造の話に移ろう。文章構造って何?という方に簡単に説明するならば、英語のSVOCのようなものだ。日本語の場合そこまで語順は問題にならないので、主術関係に言い換えてもいい。

 実は、文章が長すぎると気になる、句読点の量が気になる、という意見の根本にはこの文章構造が絡んでいる。文章が長すぎると、1文の中で主語と術語がとっちらかって、結局何が言いたいのかが分からないということがままある。

 

 なぜこのような現象が起きるのかと言うと、話しているときと同じように文章を綴ってしまうからだ。話しているときというのは不思議なもので、頭の中で話が纏まっていなければフィラー(えー、とか、あのー、とか)を挟んでいくらでも伸ばしてしまえる。

 せっかくなので、例を書こう。


「昨日の夜さ、彼氏と電話してたんだけどいきなり怒ってさ、なんか気に障ること言っちゃったらしいんだけど、でも心当たりなんかないし、というかこの間だって許さなかったしさ」


 これは会話の一節である。結局何が言いたいのかはよく分からないが、一連の会話の流れならば、おそらく彼氏に余計なことを言ってキレられたのだなというのは伝わるだろう。しかしこれが文章として落とし込まれるとしたら?


 昨日の夜に彼氏と電話をしていたのだがいきなり怒り、なにか気に障ることをどうやら言ったらしいのだが、しかし心当たりはなく、そもそもこの間だって許さず……


 これは先程の会話文をまんま文章として書き換えただけだ。本当にそのまま書き換えただけなので、正直言って読みづらい。結局何を伝えたいのかはよく分からない。

 ではどのように書くのがいいのかと言うと(別に私の回答が正解な訳では無い)、おそらく以下のようになるのでは無いだろうか。


 昨日の夜、彼氏と電話をしたら、彼がいきなり怒り出した。どうやら気に障ることを言ってしまったらしい。しかし全く心当たりがない。そもそもの話、この間も許してはくれず……


 どうだろうか。私が全部一人で書いているから、正直分かりやすい分かりにくいの判断もつきづらくなってきているが、皆々様はどちらの方が読みやすかっただろうか。個人的にはやはり後者だと思う。


 どうしても文章が冗長になってしまう、という方に稚拙ながら2つアドバイスをしよう。

 まずひとつに、初めのうちは、主語が変わる度に文章を切った方がいい。「Aが𓏸𓏸をしていたらBがこう言って、そしたらAがこんな反応をして、それにBが……」と続けるのは非常に読みづらい。「Aが𓏸𓏸をしていた。そこにBがこう言った。するとAはこう反応した。それに対してBは……」。これならしつこさはあるかもしれないが、文意が伝わらないという問題は解決する。

 もうひとつは、言いたいことを初めに箇条書きにするといい。箇条書きというものは極めて簡潔に書くものだ。句読点を使わず、修飾語の一切を省く。主語と述語しか書かない。

 あとはその箇条書きひとつにつき1文として、修飾語を加えたらいい。


 ちなみに、論理関係を気にする人もまあ当然いると思う。論理関係とは、例えば「しかし」という言葉があるなら前後の文は似たような文ではダメだろうとか、「要するに」ときたらそれまでの文のまとめや言い換えをするだとか、そういうものである。「例えば」ときたら例を挙げるとかも、そう。

 ディスコースマーカーと言ったりもするだろうか。国語でも英語でも、そういう単語には印をつけなさいね、と言われたことだろう。読む時に意識することは、当然書く時にも意識するべきだ。

 他にも、「なぜ」と「から」は呼応させろだとか、名詞1を説明するときには最後は「名詞2である」と締めなさい、とかそういうことを意識して教えている。猫とは何たるかと聞かれた時、欲しい回答は「可愛い(はあってもなくてもいいが)動物」であって、「可愛い」ではないのだ。


 やけに授業らしくなってしまったが、まあいい。こういうテクニックは知っておくにこしたことはないから、上手いこと活用して欲しい。もう十分文章を書くのが上手いぜという方は、私へアドバイスを送ってくれると、非常に助かる。そのアドバイスを参考にするかどうかは私次第だが。


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