小説を書くって簡単

 執筆は、あらゆる趣味の中ではトップクラスに生産的で、かつ簡単なものだと思う。

 いやいや、そんな馬鹿な。という人はいるかもしれないが、まあぼちぼち読んでいってほしい。私は何も、プロになるのは簡単と言っている訳では無いのだから。


 予め言っておくが、私は何も「人に見てもらうための小説」を書けなんて言わない。言わないから、これを読み終えたらメモ帳を開いて、1本小説を書いてみて欲しい。それを読む人なんてあなたしかいないから、恥ずかしがらなくていい。長くなくていいし、小説なのかこれは、というものでも構わない。これから私は小説の書き方の話をしよう。


 小説の書き方と言っても、私はプロットがどうとかキャラクターの動かし方がどうとか、そんな話はしない。そこの意見を求める人はもう既に何か書いたことがあるに違いない。

 私のこれから言う「小説を書く趣味」というのは、本当にただ自分自身のために書くものだ。誰かに読ませるものでは無い。私がこのサイトに公開している小説は既に、私の「趣味」の定義からは逸脱しているというわけだ。要するに、金稼ぎという意味では使わない、ということだ。

 分かりにくければ、センスに酔いしれるために書くのではなく、自分の想像する世界を創造するために書くのだと思ってくれたらいい。


 妄想をしたことが、恐らく一度や二度はあると思う。例えば、好きな人と付き合えたらなあ、とか。もし某猫型ロボットがこの世界にいたらなあ、とか。もっとくだらないことでも構わない。今みかんがあったらなあ、とか。今日が休日ならなあ、とか。

 要するに、自分の理想だ。将来の夢でも構わない。なら、自分を主人公にして物語を書けばいい。わかりやすいから、今みかんがあったら、ということを想定して例を出そう。


 私はみかんを食べる。自室でゴロゴロしながら、好きな動画でも見て。私の好きなYouTuberの動画の最新作が上がっていた。面白そうだと思った。すぐに再生して、2倍速で見始めた。面白い。みかんを食べ終えて、また新たなみかんに手を伸ばした。


 どうだろう。正直、とんでもなくつまらなかったと思う。というか、これは小説なのかという疑問を抱いた人もいたことだろう。はっきり言おう。小説である、と。

 とどのつまり、面白いかどうか、高尚かどうかなんてものはどうでもいいのである。

 だって、自分しか読まないもの。もしこれですらレベルが高いと感じたなら、もっと落とそう。私は友人に話をしたくて、友人にはこんな返事をして欲しい、とか。


「この間こんな嫌なことがあったんだよ」

「それは災難だったね」

「しかもさ、こうこうこんなことまであったの」

「うわあ、それは相手がありえないね」

「でしょ?でね……」


 地の文なんて1ミリもない。会話しかない文章。これだって小説である。会話に文章力もへったくれもないから、考えることは少なくていい。変な話、好きな作品のAとBにこんな会話をさせたい、でもいいのだ。まあ、それを一般には二次創作、というのだけれど。


 こう見ると、想像以上に難しいことでは無いと思って貰えたのではないだろうか。羞恥心に関しては、「誰にも見せないものだし、後で自分が楽しむために書くのだからそんなもの捨てろ」としか言いようがない。今どきロック付きのメモ帳なんかいくらでもある。


 私は、スポーツも絵も音楽も、ある種才能がないとそもそも楽しむ地点にすら立てないなと感じている。スポーツは楽しい。楽しいが、いささかコスパが高い。ランニングやウォーキング程度なら誰でも出来るが、それ以外は、というと、苦手な人からしたら相当ハードルが高いと思う。

 絵や音楽なんてもっともセンスが求められるものだろう。歌をうたうこと自体はカラオケという文明の利器が存在しているから壁は低いのだが、楽器となると環境の整備は必須になる。騒音問題が何かと話題になる昨今、防音器具やらなんやら、コストがかかりすぎる。絵はコストは少ないのかもしれないが、そもそも人の顔すらセンスのないピカソにしかなりえないのだから、本当に難しいと思う。

 勉強は好き嫌い関係なくした方がいい。知識と教養はなくて困ることはあっても、あって困ることはない。

 

 小説は、才能があろうとなかろうと、みんなができるものだ。だって、読めたらいいのだもの。自分が後で読んで、にまにまするには丁度いい。ちなみにあまり実在の知人で書くと羞恥心が余裕で勝つから推奨はしないが。

 私は小説の体など1ミリも保てていない小説が、メモ帳には大量に存在している。多くは二次創作であるが、それでもあとからまた読んで普通に楽しんでいる。何より、書いていて楽しい。文字に起こすことによって膨らむ妄想というのも実は一定数存在している。


 書いてみて、ハマらなければそれでもいいのだ。私は小説を書くこと以外にもナンプレ(特に、サムナンプレ)が好きなのだが、ハマらない人がいるのもわかる。頭を動かすのがとかく好きな私にとっては、妄想を常時はたらかせて文字に起こすという行為が、特別の趣味になったと言うだけだ。

 ただ、難しそうだから見るだけでいい、という人は勿体ないと感じる。だって、別に何も難しくない。極めるのは難しいのだが。まあそれは何事もそうだろう、と言われるとまあそうなのだが、絵で想像したものを描き起こすって結構難しいので、その点書く方が楽だよね、という話だ。

 この文章を読める人なら、書けると断言しよう。夢小説だろうが、二次創作だろうが、あるいは一次創作だろうが、形はなんであろうと構わない、というかどうでもいい。どこかに公開しようが、しなかろうが、それを私が知ることもない。あなたが誰かに教えない限り、それはあなたしか知りえない。


 ただし、もし公開するなら、それは批評される覚悟をもって公開してほしい。私は夢女子さん御用達のサイトの小説を覗くことがあるが、正直に言って相当辛口な評価を下す。読めたもんじゃない、とか、そういう。もちろん、わざわざコメントなんてしないが。顔文字を使っているものは嫌いだし、作者が自我を持って出てくる作品も嫌いだ。

 だが、自分用に書くのなら、自由にしたらいい。顔文字は滅多に使わないし、私自身を登場させるなんてこともしないが、普通に公開するならタブーだろ、みたいなことを余裕でする。例えば、途中でブッチして展開を次に飛ばす、とか。そんなもの見せられたらブチ切れもんだが、自分しか見ていないからいいのだ。そしてそれを「完成させられない」と気負う必要性なんて一切ない。書いた時点でもう完成である。ゴールなんか決めるだけバカバカしい。自分が決めたところがゴールでいいのだ。オチがなかろうとなんだろうと、どうだっていい。芸術点なんて求めていない。


 参考までに話をすると、この章の作成時間は1時間だ。何を書くかなんてぼんやりとは決めたが細かくなんて決めていないから、ほぼ全てが行き当たりばったりだ。恐らく皆々様も、雑に書けばそこまで時間はかからないのではなかろうか。

 是非とも挑戦してみてほしい。それがあなたに刺さるものでも、そうでなくとも、経験のひとつにはなるだろうから。

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