第12話 景色の変容
「ふぅ」
抱えていた潜水服を、周囲を雑多な機械類や部品でうず高く積もり囲われた作業台の上に置き、ようやく、といった様子でシラマは一息ついた。
海の男として、そしてみ海底で物資を漁るという仕事柄の見栄と必要にかられている以上、シラマは筋肉質な身体をしているものの、しかし重い潜水服を家からここまで運ぶのは中々の大仕事であった。
「チェス、いつもの机に置いておくぞー?」
「うん、ありがとー!」
シラマは、その部品やら機械やらで直視出来ないチェサピークへと声を掛ける。
普段の彼女からすれば少々珍しい態度だ。
実力こそあれ、まだまだ若造で新参であるチェサピークは、技術屋としての腕を振るうのは勿論のこと、接客についても意識している。
相手の顔を見て、失礼にならない程度の笑顔を浮かべ、明るくハッキリと物を言う……そして普段の潜水服や道具などの使用感や不満点などを一人一人の顧客から聞き出し、許される範囲での個人用の
何分、技術屋は偏屈であったりプライドの高い人間も多いため、チェサピークの人当たりの良さは着実にリピーターを増やす事に貢献していた。
故に、チェサピークは基本的に顧客の前から勝手にいなくなったり、作業を手伝ってもらったというのに顔すら見せず声だけで応じるような態度を良しとしない。
それは親しい間柄であるシラマであっても徹底していたのだが……今回は、それを覆すほどの特別な事情が存在していた。
そう、彼女は今、特別な仕事に夢中であった。
「え、嘘。可動区域ってモーターじゃないの?!駆動音が全然しないし、何入ってるのコレ」
「
「確かに、人と一緒に生活するなら機械音が鳴らない方が良いから……え、でも体表に繋ぎ目もないけどメンテナンスはどうするの?」
「体表はポリカーボネートを主体にした人工皮膚を使って隠してる。必要な時はここを開く」
「えっ……わぁ……っ」
何が、わぁ……っなのか。
チェサピークのあげた上擦った声を耳にしながら、シラマはその場で待機していた。
チェサピークは今現在、オトの身体についていろいろと調べているのだ。
無論それは何かいかがわしい目的などではなく、技術屋としてアンドロイドの仕組みを少しでも学びたいという理由である。
当初、シラマはオヤカタからの助言の通り、オトがアンドロイドであることを隠すつもりであった。
とはいえ、これと言った納得のできる嘘が思いつくわけでもなく、「この女は誰?!」というチェサピークの鬼気迫る追求に何も言えずに俯くしかなかった次第であったのだが、そこでオト自身が自分の身の上を明かした運びになる。
それは、シラマがうまい言い訳の一つも思いつかなかったのが主原因とはいえ、色々と厄介になっているシラマに迷惑をかけられないというオトの心情と、そしてアンドロイドとしてのオトの目的によるものだ。
オトは過去の……旧世代の文化や技術などが完全に失われたりはしないよう、今の時代の人たちに教えるという使命を負っている。
だが、彼女が普通に話をしたところでそれを信じる人は居ないだろう。狂人の妄言と言われるのが関の山だ。
それならば最初からオト自身がアンドロイドであることを明かし、それを信じてくっれた人に話をするという計画を進めることにしたらしい。
特に技術屋ならば検査するための道具も知識もあるし、うってつけの相手である。
……とはいえ、いきなり市場に詰めている技術屋たち全員にオトがアンドロイドであることを公開しようものなら、我先にその情報の一端でも手に入れようと、美少女アンドロイドの解体ショーが始まりかねない。
いや、さすがにそこまで倫理観が欠如しているとは信じていないが、とはいえオトを取り合った結果、オトの両腕が引っこ抜ける(物理的に)可能性まではチェサピークでさえ否定できなかったので、シラマの知り合いから徐々に少しずつ公開していくことになった。
「ちなみにここを開くと、こう」
「わぁ……っ」
「むふー」
そう言うわけで今、部品やら機械類を挟んだ向こう側では技術屋とアンドロイドによる
ハズ、というのは、前述の通りその現場をシラマは見ていないし見られないからである。
身体を色々と調べる以上、オトは服を脱いで裸身になる必要があり……アレは二度、三度と眺めたところで慣れるものではないとシラマは心得たからである。
男とはこういうとき何もできないのだ。
事が終わるまでは待機するしかない、と息を吐いていたときである。
ブー!ブー!と鋭い警告音が市場に響いた。
これはオトの身体を検めていたチェサピークが変な場所を触ったから……ではない。
警告音は市場全体に響いている……これは、島に有事があった際の警報だ。
「この音は?」
「チェス!」
「うん、ちょっと待って!」
さしものチェサピークであっても緊急時に自身の知識欲を優先させるほど身勝手ではない。
状況を把握できていないオトを戻し服を着せたチェサピークは、彼女を連れて市場の外へと出ていき、シラマもそれに続いた。
警報が鳴った時は、港に出る事になっている。
これは、島を捨てなければならないほどの最悪の事態の備え、いち早く船に乗って脱出するための取り決めだ。
「! オヤカタ!」
「お、シラマ!今日は休みだったか?チェサピークと……オトの嬢ちゃんもいるか」
港に到着したシラマたちは、そこで他の漁師たちと集まっているオヤカタの姿を見つけ、声をかけた。
一瞬オヤカタが微笑むが、すぐに厳しい顔になる。
「オヤカタ、何があったんだ?」
「ああ、それはアレを見たほうが早い」
オヤカタが顎で指す方をシラマ達が見る……海がいつものように広がっているが、しかし、普段は漁船や養殖場以外は何もない水平線が広がるだけのその場所に、見慣れないモノが浮かんでいた。
全体的には黒色。
角張った形状をしたそれは金属的な光沢を放ちながら、しかし沈むことなく海に浮かんでいる。
おおよそ楕円形の、卵を細く長く縦に伸ばしたような形状をしていた。
船なのだろうが、しかしシラマの知る漁船とは丸で形が異なる。
どちらかと言えば、アレはシラマが島の人間には秘密にして代第受け継いだ、あの船に似ているような気がした。
「潜水艦」
ぽつり、とオトが呟く。
「コミンテルン共和国軍式探査型潜水艦八〇一型、通称バンドウイルカ」
その呟きはシラマには聞こえたが、しかしオヤカタが、あの船の今の所属を予想する。
「ああ、海賊だ。海賊が来た」
それはこの時代の島にとって、ありふれた危機の一つである。
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