第11話 日常の景色
「じゃあ出かけるぞ」
「うん、よろしく」
朝食を済ませたシラマとオトは市場へと向かうことになった。
日は昇っており、シラマも普段ならこの時間には仕事について、海に潜っている頃合いだろう。
しかし今日は仕事は休んでいる。
オトの服を調達するためだ。
彼女がいま着ているのは、不思議な光沢のある魚の鱗を思わせるワンピースタイプのドレス……オト曰く「マーメイドドレス」……だが、今後島で生活するにあたり、この格好はだいぶ目を引くし目立つ。
それ故、一般的な普段着を手に入れる必要があるのだが、今まで男の一人暮らしであるシラマが、女性用の服など持っているわけもないし、持っていたらそれはそれで色々と問題である。
母親の服はとっくの昔に市場に渡している……物資が貴重である現在においては古着も勿論有効活用される。
どうしても他人に譲れない遺品を除き、使わなくなった個人の財産は集約されて、必要な人に再分配されるのが定例であるのだ。
いっそシラマが着ている服をオトに着せてしまう事も考えたが、シラマは
オトを自宅につれていくことを優先したため、潜水服もまだ整備できていない。
どうせ整備場に持っていくなら、一緒に市場にでも行こうという運びになる。
「いってきます」
「お、おう、いってらっしゃ……いや俺も行くんだから違うか」
「ふふ」
オトはシラマに笑いかける。
二人は家を出て、並んで歩きながら進んでいく。
◇◇◇
市場へと向かう道中は、ゆっくりと時間をかかるものだった。
これはシラマが重量があり嵩張る潜水服を手に持って運んでいるためでもあるが、それ以上にオトが道中で見かけたものに興味を示したからだ。
「むむ、思ったよりも自然が多い。もっと建物がギッチリと詰まっていると想定していた」
周囲を見れば背の低い木々が並び、草が風に揺れているのが見える。
「坂とか多いからな、家を建てようとしてもなかなか不便なんだよ」
坂道を歩きながらオトの疑問に答えていくシラマ。
とはいえ、シラマも誰かが言っていたことの受け売りや聞きかじりであったり、実体験や経験則であるために、実際の詳細までは解らないのだが。
「物資の集積とかはどうしても平たい場所でやりたいし、そっちに人も集まるからなぁ。だからこういった場所は手つかずなんだ。道の作りやすいところは階段みたいにして畑を作ってるんだけどな」
「なるほど棚田。データベースにはある。そうするとあれは風車」
風力で歯車を回し、動力を得て製粉などを行う自動装置。
見渡せば農地や坂地など多くの場所に建てられており、風に吹かれて軽快にくるくると回転している。
風車そのものの記録はオトも勿論知ってはいるのだが、実物を見るのは初めてである。
オトが造られた時代では、すでに観光や歴史的資料の保存などを行えるような余力は人類には残されておらず、風車はただ過去そういうものがあったという知識でしか残されていなかったのだ。
「面白い」
あるいは興味深い、とでも言うべきか。
風力や水力、太陽光は時代が変わろうとも無償で、そしてどの場所でも得られる貴重なエネルギーだ。
今もなお旧世代より生き残っている先端技術と、歴史から掘り起こされた、もはや骨董品だとか、あるいは伝統とでも言うべき技術が奇妙に融合している姿は、なるほどオトにとっては非常に興味深いものである。
そうして歩いていけば、徐々に家屋らしい建物が立ち並ぶ場所に出ていき、そして開けた場所に様々な物資や人が並ぶ拠点……市場へと到着する。
先日オトを自宅へ連れて行った時には、人目を気にして市場は通らなかったため、オトにとっては初めて見る光景だ。
「人が多い」
「ん?そうなのか?」
オトの市場を見た第一声の感想に、シラマは首を傾げる。
市場では基本的には技術屋が常駐して潜水服や船、機械や道具類を修繕したり新たに製造していたりもするし、内陸で生産している畑で採れた農産物や畜産物を、一輪の荷車を使って運び込んでいる労働者の姿も見える。
が、シラマからすれば、今は閑散としている時間帯だ。
島の多くの人間は漁師や海底漁りなどの海の仕事に就いており、この時間帯は皆海に出ているためである。
「昼も過ぎて、夕方前になれば皆戻ってくるからな。そうなりゃもっとごった返すぞ?」
「ほほう、すごい」
無表情ながらにも目を輝かせて市場の様子を再度眺めるオト。
「私が作られた頃には、ここまで人はいなかった」
「……それは、死んじゃったからとか?」
「それもある。けれど、そもそも子供があまり生まれてなかった」
「へえ……?」
オトのイマイチ解らないシラマは首を傾げるが、あまり深く考えても答えが出るわけでもないか、と思い直す。
難しいことを考えたり話したりするのは苦手なのだ。
「とりあえずチェスのところに潜水服預けて、そっから服をもらいに行くぞ」
「うん」
そう言って、歩いていくシラマの後ろをオトはついて行く。
「わっ……」
「え、誰あれ……」
「シラマと、誰だ?」
そしてそれは当然ながら、市場の人たちから非常に目を引いた。
島の人口は多くない。
全員の名前と顔を一致させるのは流石に困難かもしれないが、見知らぬ人間が居ればすぐに気がつくほどには狭い世界だ。
そんな中、見たことのない黒い髪も豊かな美しい少女を、見知った男が連れて歩いているのだ。気にならないわけがない。
シラマ自身も、それは予想がついていた。
だからせめて、絶対に100%絡んでくるだろう同世代の同僚達を避けるため、敢えて彼らがいないであろう時間帯を狙って仕事を休んでまでして市場に来ているのだ。
実際にオトは美少女といって差し支えのない容姿である、もうそりゃ根掘り葉掘り尻掘り聞かれるに違いない。
潜水服を持っているために少々腕が辛くなったが、何とか声をかけられる前に早足で市場を進み、チェサピークの所へと到着する。
「チェス!いるかー?!」
「はいはい、シラマー?昨日海に行ったのに来なかったから心配した……え?」
シラマが声をかければ、機械類や部品が雑多にうず高く積まれ山になっている、そんな場所の隙間を縫ってチェサピークが姿を見せる。
しかし彼女の快活な声と笑顔は、シラマの隣のオトを見て止まった。
「え、誰?シラマの知り合い?」
「うん。肉体関係を前提に交際し」
「今度余計なことを言うとその口を縫い合わすぞ」
「肉?!」
「そこで区切るの?!」
オトを見たチェサピークが絶叫し、シラマが吠える。
当のオトは無表情のまま「むふー」と、何か勝ち誇ったような姿勢を見せていた。
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