第9話 引継の継続

「……飯にしよう」


「うん」


しばらく押し黙っていたシラマだったが、ようやく口を開いた。


思えば海に潜って帰ってきて、水を軽く飲む程度にしか口に入れていない。

当然ながら、海に潜り泳ぐ、という行為は相当のカロリーを消費する……いかに道具の補助があるとは言え、それですべてが賄えるほど楽な仕事ではないのだ。


急勾配の階段を再度登り、居間へと戻る。


なんだかんだと時間が過ぎてしまったのか、太陽は既に沈み始めており、空には朱色が混じっていた。


「どんな食材があるか教えて欲しい、私が作る」


「オトは料理できるのか」


「もちろん。そういった情報、記録を後世に伝えるのも私の務め。三ツ星レストランから場末の居酒屋料理まで何でもござれ」


ムッフー、と息を吐くオトは無い胸を張る。

無表情は変わらないが、しかしどことなく自慢げな表情ドヤ顔である。


「でも悪いな。今日はもう飯の支度がしてあるんだよ、だから俺が作るよ」


「む。それは仕方ない」


「って、そういやオトは飯食えるんだっけ?機械なんだよな?」


「問題ない。デロリアン原子炉を使って、私は食品から核融合でエネルギーを得ている」


「でろりあん……?」


シラマは首を傾げるが、まあ旧世代の何か有名なものなんだろうと納得する。


シラマは知らないが、有機物からエネルギーを取り出す技術自体は旧世代より確立されており、この島の電力はそれにより賄われている。

もっとも、チェサピークあたりが今のオトの言葉を聞けば驚いただろう……オトの身体に収まるほどの小さな原子炉は、今となっては現存していない。



「さてっと」


シラマは台所に立つと、まずは下ごしらえしてあるパラリフィスを取り出す。

パラリフィスは近海で採れる白身の魚であり、海底の砂に這うようにして生息している。


既に切り身にされているそれは、氷水に浸して身を締めてあった。

燕麦オーツの粉末をまぶし、フライパンが浸るほどの菜種油で揚げる。

そして植物性油脂マーガリンと香辛料で味付けを行う、少し手間だがシンプルな料理である。


それを複数繰り返し、山盛りに出来上がったそれを大きな皿に盛ると、燕麦パンの入った籠と共にシラマは箸を取り出してオトへと渡した。


「おお、ムニエル」


「ああ、知ってるのか。割とこの島じゃよく食う料理だよ」


ほほー、と声をあげるオトに、シラマはそう言うとひょいと揚魚ムニエルを摘んで口にする。

まあ、そこそこの出来栄えだ、と自己評価した。


「? シラマ、食器は?」


「……ああ、一人で暮らしてるからな。今オトに渡した一人用しか無いんだ……市場に行って貰ってこないといけないか」


「うん、お願い」


島での生活において、各個人の家というのは完全にプライベートな空間だ。

それ故に、家族の分の必要最小限にしか食器や道具類は持たないのである……単に各個人が余剰に物資を抱えることを可能とするまでには、島に余裕がないと言うことも出来る。


客人を家に迎える、といった文化も廃れたとまでは言わないがほとんどなく、誰かと会って話をしたい場合は市場をはじめとした人の集まる場所に出向くのが一般的である。

もちろん、何かしら秘密の会話をするだとか、秘め事逢引だとか例外はあるが。


オトは淀みのない手つきで箸を扱い、揚魚を切り分けて口へ含む。

サクッとした音と同時に、魚と植物性の油脂が混じったジワリとした旨味が口の中に広がる。

さらには香辛料と塩味がそれを引き立てていた。


「これなら近所の学生や爺婆や近場の会社員や工事現場員が週一くらいで通える地元の定食屋を名乗れる。平均評価数は☆3.6くらいの」


「すまないが俺の理解できない固有名詞で評価するのは辞めてもらえないか」


褒められているのか貶されているのか……いや、モリモリと揚魚を食べているから気に入ってくれてると思うが……オトをじっと見ながら、シラマは揚魚をさらに一切れつまみ、燕麦パンを掴んで齧る。


「美味しい。また食べたい」


「それは良かった、趣味で料理してて良かったよ」


「?趣味なの?」


「ああ、食事はみんな食堂で食べるからな」


「食堂?」


オトの質問にシラマは答えていく。


少なくともこの島においては、個人が料理を作るという行為は、趣味を除いて殆ど行われていない。


無論、例えば漁師であれば採れたての魚を捌いて生のまま食べるために包丁の使い方や魚の捌き方を学んでいるし、小腹がすいた時のためパンを持ち帰ったり、夜食で魚の干物を炙ったりするのは誰でも行いはする。

しかし、しっかりとした食事というものは各家庭でなく食堂……料理人が専属で付き、食材の調理を一括して行っている……で摂ることが一般的である。


これは、元は大地が水没していき人口も活動範囲も縮小していく中で、より効率的に社会を運営していくために据えられた措置なのだが、ある程度、生活に余裕が出来た今でもそのやり方は続けられている。


「軍隊みたいなもの」


オトは納得したように頷いた。


島という一つの船で、人々は完全に役割分担をして生活をしているのだ。

なるほど、それは軍隊のように統率をとった結果か、あるいは中世の時のように、生き残るためのはそれが最適解だったからか。


歴史においては職業の選択の自由があったりはしたものの、それは失われて久しいのだと判断する。



そうして食事も終わる頃には日も暮れる。


シラマは電灯を灯す……光への変換効率の高い電球は、熱を発することなく静かに部屋を明るくする。

それ故に必要な電気量も少量で済むのだが、しかし夜も更ける前には床につくのが島での常識だ。


発電は原子炉太陽光、そして途切れることのない風力などを中心に行っており、無限ではない。

夜間でも電力を供給しなければならない食糧や、要冷却の薬品や化学物質が保管された冷蔵庫に、夜通しの作業が必要な整備場、または夜間での漁に出かける船舶への充電など、エネルギーの消費先は幾らでもあるためだ。


「オトが先にシャワーを使ってくれ…あと、俺の部屋で寝てもらっていいから」


弁明するのであれば、シラマは一切やましい考えはなかった。

本当である。少なくともシラマにはその意図はなかった。


ただ、今まで女性と交際したことのない人間童貞なりに色々と考慮した結果、自分が汗や海水を流してバスルームを汚した後に、それを女性に使わせるのは気が引けるし……自室にはベッドがあるのでそこで寝てもらおう、自分は居間で寝ればいいだろう、という思考であった。


それは間違いない。誓ってそう言える。


「……わかった」


「え、なに今の間」


無表情なのに何となく艶のある笑顔というか、あるいは養豚場で放牧されている豚さんを眺めている肉食動物のような雰囲気を漂わせるオトがバスルームに入っていく様子を眺めながら、シラマは人知れず怖気と寒気を感じる。


シラマには何故オトが舌なめずりをしたのか、その時は知る由などなかった。


それは理由を知る機会はすぐに訪れた。






その夜。


シラマの悲鳴が轟いた。

それは長く、長く。

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