第5話 残渣の記録
私たちの記録を。
私たちの歴史を。
私たちの想いを。
どうか連れて行って。
◇◇◇
開かずのドアが開いた。
文字に起こせばただ、それだけのことであったが、シラマは事情がよく飲み込めないでいた。
何故、開かないはずのドアが開いたのか?
そもそも、今の声はなんだ?
一瞬空白したシラマの頭は様々な疑問を浮かべていくが、ふと、それらしい答えを思いつく。
(……最初に見つけたやつが、あんまり調べてなかったのか?)
そう考えると、それが一番妥当な回答に思えた。
きっと、最初にこのドアを見つけた
海の中に潜って仕事をする以上、時間は有限だ。
海底で酸素や燃料が尽きれば死んでしまうし無駄な時間は使いたくない、開かないドアを詳しく調べるよりも、キンコの一つでもないか周囲の調査に注力したほうが効率的だ、と判断したとしても、それは妥当だろうとシラマは納得する。
実際、今回はこのドアを調べようと思っているからこそ、シラマも探索するには大仰でかさばる荷物を抱えつつ、時間が過ぎることも構わずに色々と構っていたわけだが、もし平時でこのドアを見つけたとしてもすぐに愛想を尽かしただろうから。
(さて……)
一つ目の疑問がおそらくは解決したところで、二つ目の疑問……先ほどの声の主は何者なのか。
海の中では人は声で意思疎通することはできない。
そもそも音というのはモノが震えれば発生するものだ……つまりは、空気ではなく水が震えたとしても音というものは発生するし、聞くことが出来る。
超大型魚類であるセタセアンスやその仲間は、海中で声を出してコミュニケーションを取るとオヤカタに聞いたことがある。
だが人類にはそれは不可能だ……人類は声を発する時に、喉の空気を通して、それで声帯を震わせて発するわけだ。
そこに水を通して震わせようとしても盛大に咽るだけである。
……にも関わらず、先ほどの声はハッキリとシラマの耳に聞こえた。
幻聴か?いやでも……と、シラマは頭を捻って考える。
……仕方がない、一旦保留して次を考えよう。
数分間考えたり悩んでも回答が見つからないときは、そうした方が良い。
そうしてシラマは、3つ目の……最後の疑問について思考する。
ドアが開いたその先だ。
ドアの中は、ドアと同様に耐海加工が施されているらしい塗装された金属類の壁や天井に囲まれた通路になっている。
床に該当する場所は、本来であれば足元を照らす意味があったのかほんのりと光が灯り、今は奥へと続くガイドラインの役割を果たしていた。
(帰るべきか?うーん)
シラマの頭の冷静な部分は、いったん帰るべきだと考えていた。
海の底で発生する異常事態など山程あり、そのどれもこれもが、最終的には人の命に関わる重大な出来事である。
人類というのは海の底で生存できるように身体が作られていない以上、そこに足を突っ込んで仕事をするのであれば、万全を期して当たるべきであり、少しでも危険を感じたり対応不可能な出来事が生じたら直ぐに逃げるのが常識である。
だが、一方でシラマは非常に興味を引かれていた。
開かずの扉だと言われていた以上、この先を見たものは、自分を除けば未だに誰もいないはずだ。
今まで見つけてきた遺構とは明らかに違う、なんならこのドアや中の通路を構成している壁や床材ですら価値ある財産だ。
その先に何があるのか、どんな貴重なものが眠っているのか、これを無視して陸に戻るのはどうにも気が引ける。
(……いくか)
いつまで悩んでいても仕方がない、時間の無駄だ。
シラマは決意し、開かずのドアを潜り、通路の先へと泳ぎ進めていった。
(あれ?)
そうしてしばらく泳ぎ進んでいく……途中で天井にもライトが設置されていて、今や夏の晴天の日のように明るい……と、小部屋になっている場所に出る。
しかし、そこにはドアがあった。
先のように手で触れてみるが、今度は開くことはなかった。
反対に、小部屋の入口のドアが閉じ、シラマは閉じ込められる。
(なっ!)
『排水作業を開始します』
思わず焦った瞬間に、先ほど耳にした
部屋の中で、水位がみるみるうちに下がっていき、シラマは重力に従って床に足をつき、立ち上がった。
「……いったい何なんだ、ここ」
万能計器を確認し、人が呼吸できる酸素濃度の空気が満ちていることを確認したあと、シラマは顔面を覆う呼吸器をゆっくりと外し、思わずぼやいた。
空気だ。
万能計器で調べたとおり、呼吸に差し支えない空気が充満していることを確認し、シラマはううん、と唸る。
空気そのものが珍しいわけでは勿論ない……海底の、しかも底も底で空気が充満していることが異常であるのだ。
まあそれを言えば、先ほどの声の主の方が異常事態であるのだが……一旦保留しているので、深くは考えない。
というよりも異常事態過ぎて脳が麻痺してしまっている感覚だ。
そうしていると直ぐに、奥へと向かう閉じられていたドアが開く。
当然とでも言いたげに、そちらはまるで地上の一室のように空気で満ちている。
「ううん……まあ、ここまで来ればもう、なるようにしかならないか」
シラマはそう腹をくくり、顔を手で叩いて歩き始める……潜水服を着たままであるため、少々動きにくいのだが、流石にこれをここで脱ぐのは躊躇われた……ゆっくりと、何かの異変を見逃さないように慎重に丁寧に周囲を見渡しながら。
「何だこりゃ?」
そのおかげ……と言うわけではないだろう。
なにせ、足を踏み入れた次の部屋には大きな金属の箱がいくつも並んでいたのだから。
大きさは凡そ2m〜3m……直方体の
流石に、仮に気をつけていなくてもコレを見落とすことはない。
「箱……なんか入ってるのか?超大型キンコとか?」
少しだけ喜色をにじませて、シラマは唯一、横に倒れるようにして設置されている箱へと近づいた。
しかし、シラマが期待するような、例えばキンコに付いている
しかし、箱を縦に2つに分けるように溝が掘られていることから、やはり何かがしまってあるのでは、とシラマは睨んでいた。
「もしかして、ひょっとすると……」
開くはずのものが開かない、しかしそれは最初のドアと同じだ……それならば、とシラマは自身の手を箱に押し当て、そして探るように撫でるように、箱の上で手を這わせる。
『生体認証を完了しました。主任系列に該当、封印の開封を行います』
「おっ、よし!やっぱりな!」
再び聞こえる謎の声、言っている内容は正直に言ってよくわからないが、しかしシラマの眼の前で、箱に変化が現れる。
プシュゥゥ――――……ッ
空気が漏れ出る音と共に、箱がゆっくりと開き始める。
閉じられていた蓋が浮かび上がるようにして、そして左右に分かれていく。
「じゃあ早速……?」
さて、箱の中にはいかなるモノが眠っているのか。
ここまでの異常事態続きでシラマのテンションのボルテージはかなり上がっていたし、実際冷静になって考えたとしても、間違いなく旧世代の遺構であり、かつこれほど大掛かりで、さらには今でも起動し動くことが出来る設備などシラマは今まで一度も見たことも聞いたこともないし、おそらくはチェサピークどころかオヤカタやログ爺ですら知らないだろうという確信があった。
ならば、そこに封をされ保管されている箱の中身に万感の思いと期待を寄せても仕方のない話であった。
そうして期待して覗き込んだ箱の中、そこに眠っているのは、希少金属の山か、それとも金貨や銀貨と言った旧世代でも価値のある貴金属類か、それとも貴重な機械類か、残念だが過去は価値があったのだろう書類だとか紙幣だとかの紙束か……。
「え?」
再度、シラマは確認する。
シラマの想像をはるかに超えた……いや、そもそも想定すらしていなかった中身だと理解するには、少しだけ時間がかかった。
「……女の子?」
旧世代の遺構の中で眠っていたのは、一人の少女だった。
シラマは、これが現実であると認識できるようになるまで、しばらくの間呆然と、箱の中の少女を見つめ続けていた。
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