第4話 昔の残渣

人と獣を分かつ、決定的な違いは何か。


学者であれば様々な諸説をたてるであろうが。

私は「歴史」であると主張しよう。


獣は100年経とうと獣である。

親から狩りの仕方を学ぶだろう、危険からの逃げ方を学ぶだろう。

だがそれで終わりなのだ。


人は100年経てば人になるのだ。

親から、教師から、僧侶から、仲間から知識を受け継ぐのだ。

幾年を経過して蓄積され洗練された知識、それが人を人足らしめる。


もう一度言おう、歴史が人を作るのだ。



今、その歴史が失われようとしている。


国際共済「世界水没危機対策会議」序文——



◇◇◇


明くる日、シラマはオヤカタが操舵する船に乗り海上を進んでいた。

さほど大きくはない甲板だが、装備を並べて点検していっては体に身に着けていく。


勿論、事前に補修や点検は行っているし、それを任せてたチェサピークの技術屋としての腕を疑っているわけではない。

しかし、万一があれば自身の命にも関わることである以上、こういった最終点検は自らを安心し納得させるための儀式であり……その表現が大げさすぎると言うのであれば、これは日課であると換言できる、とシラマは考えていた。


「そろそろ目的地点だぞ、シラマ」


船の推進装置が稼働する音に負けないほどの、太くよく通る声がシラマの耳に届く。

オヤカタは船に備えられた機器で位置情報を確認しながら、次第に船を減速させていく。


この時代において用いられているのは、島に設置されている電波を頼りに位置情報を参照するシステムだ。

そして船底には音響装置がついており、そこから放たれる音の減衰率から、海底漁りルーターは船の位置を把握する。


旧世代ではGPSと呼ばれる位置情報確認システムがあったようだが、過去の戦争において、GPSに必要不可欠な人工衛星が破壊されたりシステムの改竄を受けたりした結果、もはや使用する事が出来なくなったからである。

終戦後、まだ人間に多少なりとも技術が残されている時には修繕をする計画もあったようだが、その頃には宇宙はおろか、空を飛ぶ乗り物飛行機を作ることすら不可能な程に打撃を受けていたために、今を生きる人らにとっては昔々のお話でしかない。


「魚群なし、大型魚類の魚影なしだ。周辺は遺構が結構残っているみたいだから、潜んでるヤツには気をつけろよ」


「ありがとう、オヤカタ」


「今日は普段とは違う場所の探索に行くんだよな?酸素剤や推進剤は多めに持っておけよ」


「うん、そりゃあ勿論。心配してくれてありがと」


潜水装備を整えたシラマがオヤカタに返事をする。


シラマは、先日チェサピークに教えてもらった「開かずの扉」を調べに行くつもりだ。


そのついでに何かいいものでも……キンコとかが見つかればいいなと思いながらも、オヤカタの言う通りに、普段よりも多めに酸素や推進剤を詰め込んでいる。

こと、海の中というのは不測の事態だとかトラブルやアクシデントの発生には事欠かないのだ、慎重に慎重を重ねるくらいが丁度いい。


「時計合わせたな?予定時刻前には戻ってくるから、気をつけろよ」


「了解、それじゃあオヤカタ、また後で」


シラマはオヤカタに軽く手を挙げて、吸気管を咥え、顔を耐海布で出来たマスクで覆うと海へと飛び込んでいく。

水と空気が混ざる音が響き、一瞬白い泡が視界を支配して、シラマは青色の世界に沈み始めた。


推進装置の稼働する微かなモーター音を響かせ、ほぼほぼ垂直に沈んでいくシラマ。

次第に日光が届かなくなり、キラキラと煌めく水面や、鱗に光が反射して輝いている魚たちを頭上に残して、暗く、黒い水の中を静かに進んでいく。


周囲の光量が少なくなってくると、シラマは潜水服の海視装置を起動させる。

深海のわずかな光量でも視界を保つことのできるこの装置は、海底漁りの必須の装備の一つだ(ちなみに必須の装備というのはいくつもある。両手の指で指折して数えるには足りないほどには)。


直接、ライトで周囲を照らす機能もあるのだが、正の光走性をもつ魚類というのも珍しくはないため、普段訪れない場所など、生態系がはっきりと判明していない場所で用いる事はほとんどない。


例えば肉食系の大型魚類の住処であれば、それらを刺激することにもなりかねないし……あるいはベロニダエが生息する海域だったら最悪だ。

顔の先端がナイフのような形状をしているベロニダエは、光に向かって突っ込む習性のあり、高速で泳ぐことも相まってライトを照らす人間に突き刺さってくるのである。



(…………)



そうしてシラマの視界に広がるのは、乱立するかつての遺構。


眼下に広がる無数のそれらは、まるで人が五指も広げて仰ぎ、シラマの来訪を迎えて歓迎しているかのように思える。

シラマは、普段思いを馳せるわけでも、何か特別な思いを抱くわけでもないが、海で邂逅するこの時だけは、何とも言えない感情に包まれる。


まだこの場所が陸であったころは、競い合うように空を目指し階数を重ねて、高く高くあろうとした鉄筋コンクリートの塊たちは、今はただの海の底に沈む岩場でしかない。

その昔は人の営みがあった場所は、今はただ大海の中のひとかけらに過ぎない。


日光が少なく暗いこの場所では、大型の海藻類や珊瑚類が育ちにくいために、これらの遺構には背丈の短い白い藻のような海藻や、岩盤にへばりつく貝類が表面をビッシリと覆っている。

シラマは万能計器を確認しながらも、周囲の確認を怠らずに、建物の壁に沿って滑り落ちるように潜水していく。


こういった場所で怖いのは、肉食魚であるミュラエニダエよりも、軟体魚類であるオクトポダやデカポディフォルメスだろう。


その獰猛さや残忍さ、そして執念深さで知られるミュラエニダエは、鋭い牙と長く縄のような長い身体を持つのが特徴であり、その大きな体躯を収められるほどの、岩場の陰や洞窟内を塒にして潜む習性がある。

この場で言えば、この遺構群廃ビルの部屋跡などは潜むにはもってこいの場所であるのだが、ミュラエニダエは比較的浅い場所……少なくとも、暗視装置を使わなくても、日光により周囲の確認が十分に可能な明るさのある場所を生息地にしている。


勿論、個体差はあるだろうが、それでも彼らの差は人間のそれと比べれば遥かに振れ幅は狭い。

これくらい暗い場所であれば、まずお目にかかることはないだろう。


反対に、オクトポダやデカポディフォルメスには注意をしないといけない。

身体が非常に柔らかく、瓦礫や岩場の隙間に潜むことが可能な彼らは、日光の届かないほどの暗闇の帳が降りる深海においては最強の捕食者ハンターである。


オクトポダやデカポディフォルメスは光がなくとも獲物の位置を察知する器官を持ち、凄まじい速度で水中を泳ぐにも関わらず、並の音感センサーを掻い潜るほどの静音性を兼ね備える。

また体表の色を変化させることが可能であり、岩場や瓦礫に張り付いて周辺の背景に色を合わせて同化し、擬態して潜伏するのだ。

そして人間の五指よりも器用で精密に動くにもかかわらず、その力は人間の背骨を折ることすら可能とする、8本から10本の触手まで備えている。


オクトポダやデカポディフォルメスは生息域が非常に広く、浅い海にも生息しているが、そちらは小型であり食用として捕獲されるほどである……そのまま焼いても美味いが、干物にするのが絶品だ……のだが、深海に生息している連中は非常に巨大だ。

漁師の言い伝えでは、まるで小さな島ほどさえの大きさの超大型漁船ホエールキャッチャーを、1本の触手が海面から伸びて絡めとり、水底に引き込まれた事があるらしい。


……そこまでの大きさはなくとも、シラマの体躯の5倍以上のオクトポダは見たことがある。

水揚げされた死体であったが、あれと海中で対面したら死を覚悟するだろう。


そういった理由から、海底では何かしら壁を背にして進むのは最低限の必要事項であり、最大限の自衛である。



(そろそろ座標の位置だけど)


シラマは周囲に気を配りながらも、時折万能計器を確認しながら潜水を続ける。

色とりどりの珊瑚が茂り、海藻類が無秩序に繁茂している海面付近とは異なり、海底付近は暗く、白と黒色で構成された灰色の世界だ。


計器がなければ、ただ潜り続けているだけなのに自分の居場所を見失う……それこそ、自分は今沈んでいるのか浮上しているのか、分からなくなってしまう時さえある。


ただ計器の数字と、推進装置の静音モーターの立てる音、そして自らの思考だけが、海の中でシラマの存在を証明していた。



(……あれか)


そうして、シラマはようやく目的地へと到達した。

黒いドアのように見えるそれは、確かに周囲のコンクリートが貝類に覆われ、あるいは朽ちている中で、一切その様子がなく、まるで今先ほど地上から沈めましたと言わんばかりである。

念のため計器を確認し、やはり間違いないことを確信する。


(確かに、これはすごいな。まったく錆もない。)


シラマは周囲の警戒に気を配りながらも、好奇心にかられて黒いドアへと近づく。

近づけばさらに詳細が解る……ドアの塗装の剥げすらもないのだ。

試しに、手でドアの表面に触れてみると……しっかりとした金属の硬さが帰ってくる。


(なるほど、チェサピークの言う通り……コレは確かに持って帰りたいところだな。希少金属を使ってるのは間違いないだろうし、こんな耐海加工が施されたモノなんて、今まで見たことないぞ)


そう考えるシラマは、ドアの表面を撫でながら、どこか取っ掛かりでもないか探し始める。

そうして、本来ドアノブがあるだろう場所……正方形の板状の機関が設置されている場所に手を触れた。




『……確認いたしました。ご入場ください』



(……ん?)


当然、シラマは静かな女性の声を聞く。

シラマが、それが今目の前にある黒いドアから聞こえてきているということ、そして、何かを考えるよりも先に。



ガァァ━━━━━……



黒いドアは静かに……シラマが持つ推進装置のモーター音よりもはるかに静かに、横にスライドして移動し、開いた。

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