第3話 今の昔
悪魔がやってきて島の人々に告げました。
「汗を流す仕事なんて、疲れるばかりでとても大変だ!格好が悪い!頭を使って仕事をすればもっと生活は豊かになるぞ!」
しかし島の人々は、頭をどのように使えば、魚を釣ったり、貝や海藻を採ったり、野菜を育てたり、家を建てたりするのか分かりません。
悪魔は「頭を使おう」と言うばかりでちっとも働かないので、誰も悪魔を助けません。
悪魔は次第に飢えて痩せていってしまいました。
そしてとうとう、悪魔は倒れてしまいました。
倒れた拍子に頭を地面に打ち付けてしまったため、悪魔は死んでしまいました。
それを見て島の人々は言いました。
「なんだ、やっぱり頭を使うよりも手で道具を持ったほうが、もっと上手に地面を耕せるじゃあないか」
旧世代の反資本家活動冊子に掲載された漫画「おろかものタロウ」より抜粋――
◇◇◇
シラマは、ログ爺に開けてもらったキンコを小脇に抱えたままチェサピークの工房へと戻っていった。
彼女は未だ、シラマが預けた潜水服装備の一式の整備を行っており、今は推進装置を分解して丁寧に洗浄をしているところだった。
「あ、おかえり。思ったより早かったね、まだ整備は終わってないよ?」
「ああ、わかってる。先に約束のキンコを渡しておこうと思って。持って帰るのも手間だし」
「あ、ほんと?やった!でもこれだけ早かったってことは、中身は……」
「おう、シヘイだよ」
「あちゃぁー、それは残念だったね」
チェサピークの言葉にシラマは再度、肩を落としてため息をつく。
シラマは適当に空いている場所(比較的)にキンコを置くと、もう一度ため息をつきながら適当な椅子へと腰掛け、洗浄作業を続けるチェサピークへ声をかけた。
「本当だよ……何で昔の人はあんな紙切れをキンコに入れてたんだ?ケツ拭く紙にもなりゃしないっていうのに」
「んー?昔はシヘイとかを使ってケイザイっていうのをしていた、学校で習ったでしょ?あの紙に書いてある数字がシヘイの価値で、物をやり取りするときはシヘイを変わりに使っていたとか」
チェサピークの言葉にシラマは唸る。
確かに、そんな事を習った気がする。
「いやでもイマイチわからねえよ。何だよ価値って、紙は紙だろうに」
「まあねえ」
「同じ貨幣っていうやつならシヘイじゃなくてコウカをもっと入れといて欲しかったんだがなあ」
「資源になるからねえ」
シラマの言葉に、今度はチェサピークも同意する。
この島の人々は、貨幣というものを使わなくなって久しい。
それは貨幣というものの価値を担保する存在がなくなったということが最大の理由ではあるが、物資を直接やり取りする方法にしたほうが、島で生きる上では平易で都合が良かったからである。
例えばオヤカタのような漁師や、海藻や貝などを集める
採ってきた食糧を別の食料や道具と交換して、日々の生活の糧とするのだ。
とはいえ、そうすると例えばログ爺やチェサピークのような、道具の整備や修理を行う技術を生業にする人間はモノとして交換に出せるものがないので、島の人間は物資を一度市場に集積して配分するのである。
今でも、国家という名前の大きなコミュニティを維持している場所では貨幣というものが用いられている、と聞いたこともあるが、実際に目にしたわけではなく、あまりにも抽象的な概念だった。
それ故に、貨幣はただその物質としての意義しか、今は残されていない。
「あ、そういえばシラマは知ってる?開かずの扉の話」
「ん?開かずの扉?」
ふっと思い出したように、チェサピークはシラマに話を振った。
シラマはその場で少し考えるが……思いつくようなものはない。
「別のお客さんから聞いたんだけど、どうもドアみたいな形状をした金属板があって、手持ちの工具を使っても全くビクともしなくて開けられなかったんだって」
「へー、でも、そんなのよくあることじゃないか?旧世代の遺跡のドアなんてどれほど海に沈んでるのかなんて解らないし、変形してたら開かないだろ。キンコでも状態が悪いやつは無理だって、ログ爺も言ってたぞ」
シラマは訝しがる。
海というのは過酷な環境だ……それは海底漁りとして日々潜水しているシラマこそがよく理解している。
巨大で獰猛な魚類もさることながら、張り付く場所さえあれば潜水服にさえこびり着いてくる貝類に海藻類は、新品の装備であろうときちんと清掃・整備をしなければ、あっという間に海底に転がる岩の様に表面にビッシリと繁茂させることになる。
旧世代の水没した市街地で見つかる燃料や化学薬品の保管庫もまた、お宝であると同時に危険な存在である。
人体や潜水服など容易に変容させるし、性質によっては最新の技術で作られた
そもそも海を構成する塩水は難敵だ。
生半可な金属類は錆の塊に変異させてしまうために、海の底で見つかった希少な道具や金属部品も大抵は錆まみれである。
シラマも、実際にログ爺が諦めるほどに錆びついたり変形したキンコも何度か見たことがある。自分は一度も拾ったことがないことは救いだとも考えているが。
それ故に、開かなくなったドアなど特段に珍しいものではない……というよりも、ドアがあったとして、その役目を果たし今でもちゃんと開くほうが珍しいとさえ言える。
「それが、錆もなければ付着物もないらしいのよね」
「
島での暮らしには無くてはならない技術であり、シラマの装備にも施されている。
とはいえ、いくら専用の加工が施されていると言っても、完全な対処は不可能であるため、整備や清掃は欠かせない。
それ故にチェサピークのような技術屋といった人材が必要なのだから。
が、旧世代……都市が海に沈みきってしまう前は、本当に
海底漁りの人間が極稀に拾い上げてくるそれは、非常に重宝される。
シラマが使っているダイバーナイフも、その加工が施されているものだ。
が、ドアやビルといった建物に耐海加工が施されていることはない。
少なくともシラマは、そんな場所を見たことがなかった。
なにせ、確かに今でこそ海の底ではあるが、その建物たちのある場所は《昔は地上だった》はずなのだ。
わざわざ海に水没する前提で建てるビルなど、あろう筈もない。
「座標点X114・Y514・Z1919地点にあったんだって。シラマも、この辺で
「うーん、確かにそうだけど」
チェサピークの追加の情報は、シラマが最近活動しているポイントと非常に近い地点であった。
1日……いや、半日ほどもあれば行って調べて帰ってくることも容易いだろう。
「俺は、もう一回キンコ見つけて
「そう言わないで!旧世代の
「って、言われてもなー」
「お願い!なんならドア引っ剥がして持ってきて!」
「いやそれは無理だろ……まあ、いいか。わかったよ」
「やった!」
満面の笑みを浮かべるチェサピーク。
彼女たちのような技術屋にとって、旧世代の技術というのはそれだけで宝なのだ。
今となっては失われてしまったそれらを、再現しようと、旧世代の物資を見つけては成分を調べ、素材を検めて、製法を見出し、
シラマもまた、面倒だとは思いつつも、確かに興味を引く話ではあった。
半日程度の骨折りで、チェサピークの機嫌を取れるならば安いものかと内心で計算をしながら、シラマは次の出航の計画を脳裏でたて始めていた。
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