第2話 世界の今

昔々。

この星の陸地面積が、地表の3割ほど占めていた頃の話。


気候の変動により星全体の気温が上昇していく中でも、人間は何も変わらない生活を続けていた。

そして、いつものように資源や思想や宗教を巡って対立し、飽きることなく戦争をして、色々な兵器を使っていた。


結果、想像の通り星の温度はとっても高くなり、地表に雨が連日のように降り注ぎ。


人間が山に逃げた頃には、大地のほとんどは沈んでしまったのだ。



歴史学者ゲンナー著「人類史の罪 〜いかにして世界は溺れるに至ったか〜」序文――




◇◇◇




シラマとオヤカタは市場へと足を運ぶ。


ここは、様々な物資が集まる場所だ。


海で採れた魚や海藻は勿論のこと、で育てられた野菜や果物、希少な畜産物も見受けられる。

シラマのような海底漁りルーターが拾い集めてきた、海底に沈む遺構の残骸や破片なども、一旦ここに集めてから各加工場に持ち込まれるのだ。


それ故に、市場の活気は島でも随一だ。


威勢のよい声があちこちから聞こえ、怒号に歓声、悲鳴に嬌声が入り乱れ、熱気が壁となって肌に感じられるのである。


「俺は魚をイタのところに卸してくるからよ」


「うっす、俺は装備を預けたら、ログ爺んところでキンコ開けに行きます」


「おうよ、そっちには俺も向かうぜ。じゃあ後でな」


市場の入口でオヤカタと別れたシラマは、市場に併設されている整備場メンテナンスヤードへと足を運ぶ。


整備場は名前の通り、道具類の整備や補修、修理などを行う場所である。

ただし、一口に道具を整備する場所といってもその範囲は非常に広く……端的に言えば、この島にある、あらゆる機械や器械の整備を手掛けている。


シラマが身に着けている潜水服や推進装置、万能計器といった専門道具ガジェットはもちろんのこと、オヤカタが操縦する船まで。

かと思えば、普段家庭で使うような包丁キッチンナイフ研ぎまで、あらゆる分野の職人マイスター技術屋メカニックが対応するわけだ。


シラマはいつものとおり、板金職人と船大工が広げている工房ブースの間を抜け、贔屓にしている技術屋のところへ足を運ぶ。


の工房のスペースはさほど大きくはない。

それ故にいつも雑多に何かの材料や金属部品が山となり陳列している。


「チェス!いるか?!」


「お、シラマか。おかえりー」


その山に向かってシラマが大声を浴びせかければ、ガチャガチャと金属部品をかき分けるようにして女性が姿を現す。


シラマと同い年である若い女性だ。癖のあるぼさっとした短い茶髪は、額につけられた測定機器ゴーグルで頭部ごと押さえつけられている。

作業着を着ていた様子だが、暑かったのか上着を脱いで裾を腰に巻いてエプロンのようにしており、白いタンクトップは褐色の肌と同様に油で汚れていた。


彼女はチェサピークという技術屋である。


「なんか良いもの見つけた?」


「キンコを見つけた、このあとログ爺のところに持ってくよ」


「おー!いいねいいね。あ、じゃあそのキンコ、開け終わったら卸してくれない?ああいうのって希少な金属使ってる場合が多いからさ」


「いいぜ、じゃあその代わり整備頼むわ」


「任されよう!」


そういうと、チェサピークはウキウキ、という言葉が浮かんできそうなほどの上機嫌で、シラマから潜水服や推進装置などの装備を受け取り、テーブルの上の瓦礫を足で器用に蹴り飛ばしてスペースを作ってそこに乗せていく。


そうして潜水服に旧式の計器や測定器を使って摩耗状況を把握し、必要な部分に耐海措置コーティングを施していく。


慣れた手つきで、しかし抜け目なく仕事を続けるチェサピークの様子をシラマは眺めていた。


彼女と初見の人間ならば、ずぼらで少々がさつな印象を受けるような言動であるが、しかしチェサピークの技術屋としての腕は本物だ。


技術屋のほとんどは徒弟制度の中で自身の技術を磨いていく。

技術屋を志したとしても、最初は道具も設備もないのだから、最初からそれが備わっている場所に向かい、そこで雑用をしながら技術を学んでいくのが普通である。


しかし、チェサピークの場合はそうではなかった。


彼女は天性の才能というか、あるいは神の与えた恵みとでもいうべきか、こと技術屋に必要な能力を高いレベルで保有していた。

彼女が、仕事を求めて市場に来た時点で、誰かを師匠にしなくても良いほどに。


そうして、細かな仕事を受けて小銭を稼ぎ、少しずつ中古や型落ちの道具や設備を揃えていって、こうして小さいながら個人の工房を持つに至っている。


もっとも、実際に腕が優れているからといって仕事がドンドン舞い込むわけではない。


事情を知らない人間からすれば、そう簡単に彼女を信用できるわけでもなく……チェサピーク自身もそこは弁え、細々と生活していたところで、整備できる工房を探していたシラマと知り合い、お得意様となった運びである。


「あー、シラマ。前に推進装置を点検してから30日以上経ってるから、今日は総点検オーバーホールしちゃうよ?」


「ああ、わかった」


「ちょいと時間がかかるから、先にログ爺のとこ行ったら?」


「そうするか、頼んだぞ」


「はいよー!」


シラマの返事を聞き終わるが早いか、手早く推進装置の安全施錠を外して、回転翼スクリューを取り外し始めた彼女に背を向け、シラマは市場へ戻り目的地へと向かう。




「採れたてのソラナムはどうだい?今日の朝に摘んできたばかりさ!見てよこの赤色、みずみずしくて美味そうだろう?」


「さあ、ついさっき水揚げしたイスティオフォラスの解体ショーの始まりだ!欲しい人は並んでくれ!」


「ギンジョウの15年?おいおい、そりゃあハレの日用だぜ?めでたいことでもあったのか?」


威勢の良い文句が飛び交う主通りメインストリートを通れば、左右に並ぶのは色とりどりの野菜に、果実に、酒に……そして、魚、魚、魚。


肉や卵などの畜産物もあるにはあるが、それは少数だ。

人にとって一番メインとなる食料は、幾ばくかの穀物と、そして圧倒的に魚介類や海藻類になる。

何世代も品種改良を施され、遺伝子にも人の手が及んだ農作物は豊かな実りをつけるものの、耕作面積を考えればそれも当然であった。


そうして、色とりどり、種類も様々な食料が並ぶエリアを抜けて、シラマは市場の奥にある、海底漁りルーター組合ギルドへと足を運んだ。

見た目こそ増改築を繰り返した掘っ立て小屋ではあるが、人が海と生きるようになった最初期の頃からある老舗である。


「こんちはー、ログ爺いるー?!」


「おう、なんだぁシラマ」


ドアの、少し錆びた蝶番が軋んだ音を立てる。

何人かの同業者の男たちが談笑しているところに入り、シラマが大きく声を上げれば、部屋の奥からのそりと、へこたれた緑の帽子を被り、白い髭の豊かな老人が姿を現した。


彼はログ爺、海底漁り組合の重鎮の一人だ。


「キンコ見つけたんだ、解錠してくれない?」


「あ?もうちょっと大きな声を出せ、腹に力入れろ!」


「キンコを!!開けろ!!」


「うるせえ!!そんな馬鹿大声出す馬鹿がいるか!馬鹿!!」


「理不尽!」


そんなやり取りをしつつも、シラマはログ爺にキンコを渡し、ログ爺もそれを机の上に乗せ、工具類を取り出す。


「おっ、キンコじゃん」


「もうこの辺にはないと思ってたんだが」


「探すときの根気が足りねえんだよ」


「シラマ、あとで何処で拾ったか教えてくれよ〜」


そうしている間に、談笑していた男連中もぞろぞろと集まってくる。

手漉きの組合員も覗き込みに来ていた。


キンコは希少な物資が手に入るかもしれないが、も多く、中を開けてみないとどちらか分からない博打性の高い拾得物だ。

それ故に、海の男達にとっては娯楽の一つでもある。


「んじゃあ、開けっぞ」


「おう、頼むぜログ爺!」


工具の点検を終えたログ爺に、威勢のよい返事するシラマ。

そうして、キンコに手際よく工具類が差し込まれ、まだ内部機構が生きているかの確認をされた後に、回転錠ダイアルが回され、時折カチカチと音を立てていく。


ログ爺が組合でも重鎮として活躍できるのは、ひとえにこの解錠技能のおかげだ。

彼にも何人かの弟子が居るものの、まだログ爺のような手際には至らない。


「おっ、間に合ったか」


「うっす、オヤカタ」


先ほどシラマと別れたオヤカタも組合へ顔を出す。


その腕にはプレウログラムスの干物が詰まった箱が抱えられていた……干物にすることで強い旨味のでる魚だ、飯にはもちろん、酒にもあう。

市場で交換してきてそのままやってきたのだろう。


「なんでぇ、まだ解錠してないのか。ログ爺もいよいよボケたか?」


「うるせえ!」


オヤカタはログ爺を茶化す。

海底漁り組合の重鎮に軽口を叩けるのは、漁師組合の首席漁師トップであり現役でもあるオヤカタくらいなものだろう。


ガチャリッ!


「よし、開いたぞ」


「おっ!」


「おっ♡おっ♡おっ♡」


「気色悪い声出すんじゃねえ!」


「やっぱログ爺って耳遠くねえだろ、聞こえてるだろ!」


集まった男達が囃し立てる中、鍵の開いたキンコをシラマが受け取る。

そしてその場にいる皆が見守る中、シラマは一息に金庫の扉を開けた。


中に入っているのは……いくつもの紙の束。

長方形の紙に、人の顔や文字が記載されているもの、それと同じものが何枚も束ねられている代物だ。


あ"〜っ、という声にならない悲鳴がシラマの口から漏れる。


「あー、シヘイだったかー」


「ハズレだなあ」


「いちおう、歴史学者プロフェッサーさんのところに持っていくか」


「うごごごごごごごご!!!」


「この前、タローが金の塊見つけたからな、流石に連続では出てこねえか」


「おう、シラマ気を落とすなよ」


「うおお………!」


項垂れるシラマを前に、同業の男達はもちろんのこと、ログ爺やオヤカタたちもまた慰めの言葉をかける。


シヘイはキンコに入っていることの多い物資の一つだが……キンコの中身としてはハズレとして認識されている。

特殊な用紙で作られているらしいそれは、歴史的な資料としての価値以外には何ら使い道がないのだ。


紙として使おうにもビッシリと文字や絵が描かれているためメモ用紙にはならず、溶かして再利用しようとしても非常に溶けにくい。

尻を拭く紙になら使えると意気込んだ者もいたが、紙は硬く、その人間は痔になってしまった。


「はあ……仕方ないっすけど、しかし納得いかねえですわ」


気落ちした様子のシラマは、忌々しげにシヘイを掴んで拾い上げる。

紙に描かれた人の顔を睨みつけると、再度息を吐いた。


「俺も金の塊が欲しかったなあ、機械の部品を作るのに使えたのに」


「まあ気を落とすなよ、なんでも学者さんの調べによれば、そいつは昔々は金と同じ扱いをされてたらしいぜ」


「シヘイが?この紙が?嘘でしょ」


「俺も学者さんにそう言われただけだからなあ、信じられねえのはわかるけどよ。そこに書いてあるのは数字で、どうも同じだけの金の塊を交換することを証明する書類なんだとさ」


「へー、知らなかった」


「だから、もうちっとお前は勉強をだな……」


オヤカタに睨まれるシラマは、肩をすくめてシヘイを机の上に戻す。


それは、貨幣というものが殆ど使われなくなった今において……紙幣シヘイの価値など、まったくないと言わんばかりであった。

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