惑星の海

三二一色

第1話 海の世界

海は 広いな 大きいな


いったい どこまで 続くやら




旧世代の童謡 歌い手知らず――




◇◇◇


上下左右どこまでも広がっているような気さえする、青い空間を一人の少年が泳いでいた。


白い髪を束ねた少年は、全身を潜水服ダイバースーツに包み、酸素ボンベを背負い、その手にはしっかりと個人用推進装置ポッドが握られている。

備わっているスクリューが回転することで、水中で大きな推進力を得られるこの装置は、少年のような海底漁りルーターは必須の装備だ。


ゴボボボ……


少年が口から一息吐き出すと、気泡が上へ上へと立ち昇る。

青色だけが支配するこの場において、少年以外にはその泡だけが、白の描写を残していた。


少年はゆったりとした動きで足ヒレを動かしながら、時折、自身の左手首に括り付けている万能計器スマートウォッチを確認し、自分の現在位置を把握している。


ゴボボボ――――……


不意に、少年が身を翻すようにして、その場で頭を下へと向ける。

推進装置の機能に任せて、彼は深く深く水の中へと沈んでいく。


急激とまでは言わないが、それでも素早く、少年は深く潜っていく。

常人であれば水圧の変化に耐えられず頭痛や吐き気を引き起こす状況ではあるが、海底漁りとして何年も仕事をしている彼にとっては、この程度はなんの心配もいらない。


ゴボボボ……


深く、深く、太陽の光が届かなくなり、日中であろうとも黄昏時夕方ほどの光量しか届かない場所にまで移動する。

そこでようやく、彼は潜水を止め、そして見渡すために首を振った。



視界に広がるのは、石と鉄の人工物。

海底から立ち上るのは、乱立したかつての遺構だ。



今は珍しい、混凝土コンクリートを主体として中心に鉄骨を埋め込んで作られた、建物だったものたちの群れ。

かつては彼の住む島よりも多くの人間がいたのだろう、この海中の遺跡は、今は珊瑚や海藻、磯巾着が繁茂し、様々な魚類の住処となっていた。


少年は、手近な建物まで近づき、窓だったらしい場所から、万能計器のライトを使って中を伺う。

極稀に、こういった空間を住処とする大型の肉食魚のミュラエニダエや、獰猛な軟体魚であり触腕を操るオクトポダが潜んでいる場合がある。


この辺りは生息域からは外れているはずだが、居ないわけではない。

年に何人かは犠牲者が出る程度には、運の悪い遭遇はあり得る話なのだ。


そういった先客が居座っていないことを確認すると、次の少年は建物の状況を確認する。

一瞥して、大きなひび割れや崩れそうな場所がないかを確認する……もっとも、こちらについては専門的な知識があるわけでもなく、経験則から来る気休め程度のものではある。


とはいえ、不用心に過ぎるのも考えものだろう。

もし崩れてしまえば、そこで自分が生き埋めになるかもしれないならば、尚更だ。


二つの確認を済ませると、少年は静かに、の中へと侵入する。

推進装置を使わずに手と足を使い、水をかいて身体の姿勢と位置を微調整しつつ、奥を目指す。


この時、等間隔に発光装置ガイドビーコンを壁や床、あるいは天井だった場所に設置するのは忘れない。

遺跡の中に一度入れば、脱出する際にはこの装置がないと容易く自分の位置を見失ってしまう。


万能計器により島のある方角はわかったとしても、大海からすればあまりに小さな瓦礫の中の道筋などは把握しようがないのだから。


遺跡の中を泳ぐ少年は、ライトで周囲を照らしながら内部を物色していたが……やがて、不自然に盛り上がった場所を見つける。

石灰質の殻に覆われた固着生物のバラヌスが、その場所のだけビッシリと生えているのだ。


少年は万能計器を確認し、残りの酸素量を確認すると、頷いたように首を振り、腰から潜水短剣ダイバーナイフを引き抜く。

喪失技術ロストテクノロジーが生み出した超硬合金オリハルコンで刀身が作られている短剣は、削り落とすにも苦労するバラヌスの集合体を容易く切り裂き、やがて、少年は、そこに埋もれていた金属製の箱を取り出す。


少年は箱を小脇に抱えると、設置した発光装置を回収しながら、遺跡の外へと出て、そして海面に向かって推進装置を使い浮上する。

潜水病という、深海から急浮上することで血中の窒素が気泡になる現象はしかし、もはや海中での生活の長い彼らにとっては死語にも等しい話だ。


数分とかからず、少年はきらきらと輝く水面へと移動した。



ザパァ――――ッ!


少年が水面から顔を出す。


頭上に広がるのは、先ほど水中より見ていた水面の青とは比較にならないほどに、澄み切った、天深い空色の空。


そうして周囲に広がるのは、どこまでもどこまでも、波の揺れる青い青い海。


遠くには小さな島が一つ、二つ。

ただ、それだけ。


ただただ空色と青色だけが存在する空間に、ただ1点のみ、少年という別色が、まるで濁りのように浮かんでいる。



ザザザザ――――…………


そんな場所に、新たな存在がやってくる。

海上に浮かび、白い泡を吹き上げながら推進装置を使って進む船が一隻、少年の近くにまで移動して静止する。


そして少年は船に乗り込むと、ようやく大きく息を吸って吐いて、顔に取り付けていた潜水眼鏡ダイバーゴーグルを外す。


「ぶはっ!!あ"あ"あ"〜〜〜!空気がうんまい!!」


「おつかれ、シラマ」


「うっす、オヤカタ」


耳に入った水を抜き、顔をタオルで拭く少年……シラマは、一息つくと自身に声をぁけてきた船の操舵者に返事をする。

少年は10代も半ばを過ぎており、オヤカタと呼ばれた大柄な男性は50も過ぎる頃だが、しかし二人とも共通して、浅黒く日焼けをした肌に、筋肉質な身体の持ち主である。


典型的な、海の男マーフォークの姿であった。


「なんか良いものあったか?」


「もちろん!見てくださいよこれ!」


「どれどれ……おっ、キンコか」


シラマが海中から引き上げてきた金属の箱……大の大人なら脇に抱えられそうなほどの大きさのそれは、キンコ金庫と呼ばれ、彼らにとっては人気の回収品サルベージである。

総じて頑丈であり、モノによっては未だに気密が保たれていたりするそれは、中に貴金属が入っていることも多く、博打的な要素も兼ね備えているのだ。


「キンコってなると、この船にある道具じゃ開けられねえな。今日はもう戻るか?」


「そうっすね。今日はこれくらいにしときます」


「おうよ、じゃあ帰るとすっか」


オヤカタの言葉にシラマは頷き、身につけている潜水服を取り外していく。

その間にも船の推進装置が唸りを上げ、船はその場で方向を変え、進み始めた。


「オヤカタのほうはどうです?釣れたんです?」


「誰にモノ言ってんだ、大漁だよ」


そういってオヤカタが親指で示す方へ目を向ければ、なるほど、船に設けられた生け簀には魚が渋滞して泳いでいる。

色々な種類の魚がいるようだが、銀色に輝く細長い魚が一番多い。


いずれも食用の魚だ。


「今日はコロラビスがよく釣れた。ちょうど、この辺りに群れでも来たんだろうな。」


「流石オヤカタ!素敵!愛してる!抱いて!」


「うるせえやめろ気色悪い!褒めてもコロラビス2匹までしか出さねえぞ!」


「さっすが〜!オヤカタは話がわかる!」


「ったく、調子のいいやつだな。ほら、さっさと到着準備しとけ。魚も捌かなきゃならんし、お前もキンコ開けるんだろ?」


「うっす!」



そのようにワイワイと男2人で騒いでいれば、時間もあっという間に過ぎていく。

船に揺られて数十分と経たず、遠くに見えていた島が大きく、眼前に広がる。


ズズズズ――……


船が何隻も停泊する港に、オヤカタが操舵する船が新たにとまり、ロープでしっかりと固定する。

そして適当な鉄板で作った足場をバン!と波止場と船縁の間に通し、2人は荷物を抱えて降り立っていく。


「そういやオヤカタ」


「ん?どうしたシラマ」


シラマは両手いっぱいに潜水装備とキンコを抱え、オヤカタも生け簀を船から取り外し、取っ手付きの車輪に乗せて押している。

このまま市場へ向かう心づもりだが、とはいえ道中は暇なのだから、会話も尽きようがない。


「なんで島の名前って『』とか『』って言うんですかね?山の名前じゃないですか」


「お前そんなことも知らねえのか。今までこの島の名前のことをなんだと思ってたんだよ」


「いやぁ……島っていう変わった名前の島だなあと」


「もうちっと教養くらい頭に詰め込め。文字くらいは読めるだろ?」


「もちろんですよ!書くのはちょっと自信ないですが」


まったく、と言いながら、オヤカタは島の中央……小高い丘になっている場所を見て、シラマに答える。



「いいか、この島はな」



それは、この世界での常識。



「この島は山だったんだよ。昔々、まだ海がもっと低い場所にあった頃のな」



それは、この世界での事実であり――。


そして、この世界の歴史である。

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