嘘
「これ見て~」
(なんだろ)
「え、なになに」
「俺それ知ってるわ」
(SNSとかやってないしな~)
「まじ!?こればりおもろいよな」
「「こんなに暑い日に熱いもの食うんですかぁ~?」」
(やべ、お米買わなきゃ)
「めっちゃハモったな」
「ばははっ!おいまじ完璧すぎるって」
(夜ごはんどうすっかな)
「これの次のやつ知ってる?」
「パチ屋行くやつ?」
「違う違うあの…
果たして僕は今、楽しいのだろうか。この人たちは、僕を否定しない。拒むことなく、ともに時間を過ごしてくれる。たとえ、話についていけなくても、にこにことしていれば気を悪くさせることも無い。
嫌いじゃない。これは紛れもない僕の本音だ。だがしかし、楽しくない。喧騒にかき消されてしまいそうなその言葉を、僕は絶対に掴んで離したくなかった。
「これおもろいよな?」
(全然)
「え?うん、なんかよく分かんないけど」
「いや~まじこればっか流れてくるんやけど」
嘘をついた。
昔から、よく嘘をついた。初めての嘘はもう覚えていないが、保育園を休みたくて抜いた伝家の宝刀「仮病」を母に真っ二つにおられた記憶ならある。
「嘘ついても神様には全部お見通しやけんね。嘘ばっかりついてたら大事な時に神様は助けてくれんよ」
僕の嘘を見抜くたび、母は決まってそう言った。
そしてそのたびに、嘘だ、と思った。大好きな母が嘘をついている。つまりその母も神様に見放される人間なのだ。たとえ嘘だとわかっていても、それはとても怖かった。
そして時は過ぎ、言い訳がうまくなり、嘘の種類も増えた。時には頭が痛くなり、時には宿題が終わっていた。そして何より、初めて嘘で人を傷つけた。
さらに時は過ぎて、嘘は本音のふりをすることを知った。そんな嘘の裏には目を背けたくなる醜さがあった。それはまるで、不可侵の協定を結んだ信頼によって召喚されるモンスターのようだった。そのモンスターは決して好戦的ではないが、陰に潜み、協定の結び目を「秘密」という甘美な言葉で締め上げていく。
しかし時に、そこが陰と知らず足を踏み入れてしまうことがある。おそらくは、その陰へと誘うささやきさえも、モンスターに司られたものであるのだろう。足を踏み入れたが最後、その陰は影となる。寄生虫のように身体を、心を蝕み大きくなる。
それはやがて、はにかむだけでは騙しきれない傷となり、あたかも天災かのような、不条理なことのような顔をしてその身に降りかかる。
嘘は巡り巡って自らを騙し、本心に蓋をする。主体性を奪い、団結力を高めていく。冷静になろうとすればするほど、その輪から外れることに恐怖を覚え、苦心する。主体性を奪われた心は寄生虫の住処となり、また陰を生む。
そして最も恐ろしいことは、その寄生虫がからだを食い尽くして外へ飛び出すことだ。人間誰しも許容範囲があり、不可視の厄災に気づくことができなければ、あっという間にその範囲など超えてしまう。
そして外へ飛び出した後に残るものは、すかすかの心とぼろぼろの身体だけだ。瞳は色を失い、無力感に
僕は考えた。誰が、何が悪かったのか。初めに嘘をついた人だろうか。本心を偽ってでも存在を肯定し合わなければ生きられないような環境だろうか。それとも、嘘をつかなければ繋がっていられないような関係を続けてしまった、僕自身なのだろうか。
そして、『悪い』という言葉で正義の眼前に引っ張り出すこの醜さも、きっと誰かを傷つけている。
だから、ただ結果としてそうなったのだ、と、僕は思うことにした。悪も正義もない。ただ、いまここにいる僕がいる。過去から来た僕がいて、ここにいる。ここには『悪い』という概念はない。『
あるのは真実と、ぼろぼろの身体を支え合うための優しさに満ちた嘘だけだ。そう、思うことにした。
「昼どうする?俺ラーメン食いたいんやけど」
(お腹すいてないなぁ)
「いいねえ」
「近くにある?」
「ちょっと待ってや…」
(まぁ、いいや)
僕はこの先、どれだけの嘘をついてどれだけの人を傷つけるのだろう。きっとどちらも、ゼロにすることはできない。取り返しのつかないようなことも起きるかもしれない。この世界は醜い嘘で溢れていて、そこに息衝く人々も皆、嘘を抱えている。
大事なことは、たとえ本心を偽ったとしても本心を捻じ曲げないこと、自身の感情の機微に目を凝らしながら、嘘とともに生きていくことだと僕は思う。
大事な時に自分を救えるのは、概ね自分自身だ。僕はこれからも嘘をつく。そしてそんな僕を愛したいと思う。
この気持ちは、嘘ではない。
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