仕事の話はとても興味深いものでした。
私は創作ではなく、企業の仕事として日本語の文章を扱う仕事をしていましたが、一種の技術職のようなものでした。
年を取れば文章を書けるようになるわけでもなく、たとえ書く仕事をしていても、それが正確なものとも限らないので、仕事として成り立っていたのだと思います。
今は足を洗いましたが、意外になり手がいないので、穴場かもしれません。
作者からの返信
技術職ってのはどういう種類のものであっても適正と知識と意欲が必要なので、適正な待遇があれば良いと思います。
そういう中で作家という技術職はなかなか不条理な事業構造であるということが前半の部分で、後半は作家という個人事業が完結した評価価値を持っていたとしても、実は事業として成立するだけの経済的な市場収益構造を持っていないあるいは持ちにくい。という話でもあるのです。
校正とかレイアウトとかの編集作業はやはり属人的な高度な専門技術の集大成でもあるので、技術職として評価をきちんとしてほしいところですが、アルバイト任せの博打半分面白半分の事が多いですね。
こちらについて。
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正直、既に書いている人間にとって他人の創作論なんてのは読むだけムダです。
かけない人間がかける人間をけなすための基準でしかありません。
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本当にそう思います。
創作論に縋るくらいなら、お気に入りの文豪の文章を写経感覚で写したり、優秀な作品を読んで独自の目線で分析する方が、自分のためになるように思います。
(私自身が評論は書くが創作論は書かない理由でもあります)
一周回って、創作論の創作論、を書くのは、有意義かもしれません。人に自分のスタイルを押し付けないためにも。
作者からの返信
本質的に、書く、という行為には衝動と目的があるはずなので、描き始めた時点でいまさら考えることは意味がない、という意味で描き始めてから眺める創作論は手遅れなのです。
ただ、創作論を読んだうえで書き始めるとか創作論に触発されて小説への衝動を導かれたという、前向きさがあるならどういう意味でも嬉しいと感じます。
自分がなにが出来るのかナニを考えているのかのメモに創作論を書くというのは素敵ですね。随筆や日記のような価値を後世に残せます。
冒頭の3行は、衝撃的でしたね。
わたしの場合、見切り発車で書いてしまった後に人の意見を参考にしていたのですが、それでよかったのかも。いいことが書いてあったとしても、自分の能力の範囲でしか活かせないです。
作者からの返信
カクヨムのシステムロジックの主張からは大きくはずれているのですが、決定的な主張は非営利創作作品のクオリティというものが読者の数によって与えられるものではない。ということだという一点です。