臨戦態勢
@3cococo3
臨戦態勢
塚田さんの変な噂を聞いたのは、たまたま何校かが集まる練習試合の会場のトイレの中だった。
「チームボウズの四番いるじゃん」
「高校最強? ツカダじゃん」
「あいつ、ゲイらしい」
――チームの誰かと出来てるらしいよ?
(……は?)
腹の調子が悪くて個室に籠ってた俺は、便座に腰かけたままいきり立った。
(くっそつっまんねー噂流しやがって……)
俺は、表に聞こえるように、わざわざでっかい音で舌打ちを鳴らす。
そのまま個室の左右の壁に両手を突いて体を浮かせると、左足で、個室のドアを内側からガンと蹴った。
「……やべっ」
押し殺した小声の後に、キィと入り口のドアが開く音とバタバタバタと駆け出す足音が続く。逃げたか。逃げるくらいなら黙れよ。ふーん、しかもその靴底の音、バッシュじゃねえな?
どたばたとパンツとインナー、バスパンを上げて水を流す。トイレのドアを五㎝くらい開けて外を見た。
(よし、誰もいない)
こっそり個室から抜け出した。
正直、うちの高校のバスケ部は、高校最高峰のロイヤルチームだ。インハイ、国スポ、ウインターカップ三冠制覇の上に、全戦無敗をもう六年も継続している。
文武両道、とまではいかないが、世間からは常勝と品行方正を求められ、その一挙手一投足は常に注目を浴びる。地域の人たちもそうだし、対戦校の生徒もそう、生徒の親たちもそうだし、バスケットを好きなすべての子供たちだって俺らのことを見ている。
だから、決してその名に恥じるような行動をしてはいけない。高校最強の名前と歴史を汚すような言動をしてはいけない。
それは自分たちチームのためであり、歴史を作ってきた先輩のためであり、これからうちに入ってくる後輩のためであり、俺自身のためでもある。
そう先輩たちに叩き込まれてきた。
だから、不名誉な行動をした場合、俺たちが最も恐れるべきは他人の目ではない。身内である先輩たちだ。
見つかったら、確実にシメられる。
――今のは明らかに褒められた行動じゃなかったからな~先輩に見つかんなくて良かった!
鼻歌を歌いながら手を洗って、ペーパーで手を拭いた。
キイィと音がして鏡を見る。一番奥の個室のドアが開いた。
……塚田さんだった。
うわやっべえ。
さっきの絶対聞いてたし聞かれてた。でも俺がドアを蹴ったとは分かんないはず。なんだけど俺があんなことをした理由は塚田さんのことだからだし、かといえ俺が他校の選手だか生徒だかを威嚇したことは事実。……謝るか? いや、でも俺、謝るようなことはいっこもしていない。
「塚田さん!」
思わず名前を呼んでしまったら、後ろから塚田さんに後頭部をはたかれた。
「バカ」
そのまま水道から水を出して手を洗う塚田さんに「すんません」と謝る。
あ、これじゃ罪を告白したようなもんだ。
「だって、俺、塚田さんがああいうこと言われるの、なんか許せなくて……」
語尾に向かうにつれ、声がどんどん小さくなった。この人は、俺なんかに庇われなくてもバスケットのその実力で、今までも数多の雑魚を十分に黙らせてきた、高校最強の司令塔で、俺たちの主将だ。十分強い……忘れてた。余計なことをした。
「ごめんなさい……」なんか申し訳なくて、もう一回、余計に謝ってしまった。
「いいよ」
まあ、事実だしな、と、俺だけに聞こえる声で言う。トイレには、今、俺たち二人以外に誰もいない。
……塚田さんがユニフォーム着てる時にそんなことを言うのは本当に珍しくて、ちょっとびっくりした。俺は塚田さんのことが好きで、俺たちは実際、俺が一年の時から付き合っている。だから、あいつらの言ってることは嘘じゃない。でも、ゲイなのかどうか? はよく分からん。俺はただ塚田さんが好きなだけだ。
「でも、バスケットに何の関係もない。学校にすら関係ない」
俺は、勝負にそういう個人的なことを持ち出して相手の戦意を削いだりするやつが嫌いだ。
「っていうか」
俺、結構昔からその噂あんだよな。
――中学くらいからずっと言われてんの。
知らんのか? とでも言いたげなキョトンとした顔でそう言うと、塚田さんが濡れた手を俺に見せてペーパータオルを要求してくる。二、三枚抜いて渡した。
「は? え、どういう事っすか?」
話が見えない。
思わず聞き返すと、塚田さんが「ツカダさん、なんかエロいみたいでさ」と言う。
ん?
「いや、俺もそれについては全力で同意します、けど」
「おっさんのファンがついてるじゃん、俺?」
――あれの中にガチ恋の人がいたりしてさー、ストーカーされたりしたんすよ。
そうだ、この人は中学時代からパスで全国に名を馳せた神童で、いまやもう童が取れて神扱い。超高校級の職人的ポイントガードで、ついた二つ名が「オヤジ殺し」。正確無比なパスワークとディープスリーの腕前で、全国の玄人筋に熱狂的なファンをアホほど持つ、高校、いや日本バスケ界が誇る超絶テクニシャンだ。
――俺は本人だからぜんぜんわっかんねーけどさ、俺、なんか、エッチなフェロモン、出してるらしいって。
そう言うと、塚田さんはウインクして、手を拭いた紙を丸めて俺に渡すから、ポイとゴミ箱に投げ入れた。
その隙にユニフォームの胸倉をつかまれる。油断していた俺は、後ろ向きで塚田さんに押されるまま個室に押し込まれた。ふくらはぎが当たって、蓋の閉じたトイレの便器に倒れ込むように座ると、上から俺をのぞき込んだ塚田さんがにっこり笑って後ろ手で個室のドアを閉める。そのまま、塚田さんが俺の上に覆いかぶさるようにして唇に唇を押し付けた。柔軟剤の香りがふわっと舞って、反射的に、食べ慣れたその柔らかな物体を思わず食む。脳が痺れて甘くて一瞬で溶けた。はぁ……気持ちい……え?
「まっ……えっ? つかださっ……!」
あまりにびっくりして小声で抗議の声を上げる。こら! 試合前! っすよ! む、あんたマジ何やってんだよ、はっ、この人、力、クッソつええなあっ!
ふやふやと動く柔らかな唇を受け入れながらじたばたと塚田さんの胸を叩いて抵抗を試みる。と、塚田さんが動きを止めた。唇を合わせたまま目を開けて至近距離で俺をじっと見つめる。ふっと息を吐いて笑うと、次の瞬間、ぐわっと唇を割って舌を入れてきた。
――何考えてんだこの人⁈
あまりの衝撃に涙目になりながら、エッチな気持ちになるのを必死で堪える。やめて待って、んっ、ちょっと待てあっ、コレキモチイ脳ミソ痺れる……ぅあ、マテ勃つ勃っちゃう今勃つとこれいろいろだいぶめんどくさいからっ、あと一五分くらいで第一試合始まんだろヤメロ放せクソッ気持ちいだろボケナス主将塚田一臣テメェっ! と心の中で叫びながら煩悩と格闘し、母上のご尊顔を思い起こしながら般若心経をBGMに素数を数える。持てる〝萎え〟を総動員して気を散らす。
脳から脊髄へ信号が飛び、平滑筋が緩んで海綿体に真っ赤な血潮が充填されるその寸前、俺の理性がふっとんで思考停止するそのゼロコンマ五秒前。ギリ直前で、俺の無防備な反応を目をかっぴらいて見ていた塚田さんがふぃと唇を離した。
俺だけがぜーはーして目を白黒させたままだ。唇を押さえて塚田さんを見上げている。……顔があっつい。俺の坊主頭の後頭部を支えるデカい掌も熱い。親指で俺の耳の裏をすりすりと撫でながら塚田さんが涼しい顔で言う。
「滝沢は、余計なこと気にしなくていいから」
好きにやれ。
ただし、さっきのは、スタメンじゃないっぽいけどたぶん北上高校の生徒だったなあー。
「つっ……潰す、潰しますっ」
俺の口から反射的に出た言葉がそれだった。
塚田さんはにっこり笑うと「先に出るから二四秒数えてから来な」と言って、個室のドアを静かに開けて、靴音もたてずにトイレを出ていった。
……怖い。塚田さん、怖い。完全に俺をコントロールする術を知ってんじゃん怖い……。
俺は震え上がりながらトイレットペーパーで口の周りの唾液と涙を拭ってちんポジを正す。はーと息を吐いてから、般若心経のさわりをまぶたの裏のばあちゃんに向けて超高速で一回唱える。水道で顔を洗って煩悩を滅却してたら、言いつけの二四秒をとっくに超えてしまった。紙で拭って大急ぎでトイレを出る。体育館に向かって全速力で塚田さんを追っかけた。
体育館に戻ると各々がアップを始めているが、まだコートには入ってないみたいだ。俺は、三年生のシューティングガード、二ノ宮さんに声を掛けて壁際に呼び出す。
「何? 悪だくみ?」ニヤッと笑って俺の真意を探る。ニノさんはスモールフォワードの俺とエリアが近い。こういう悪乗りにも付き合ってくれるから先輩だけど大好きだ。
「ちょっと懲らしめたいチームがあるんすよ」と、さっきのトイレで盗み聞きした噂話を耳打ちする。
「はぁ? マジか。なんだかんだ狙われんだよなあツカダって」
腹立つな。
「手貸して下さい」俺が拝み手をすると、ハイタッチの構えでニノさんが顔の横に手を上げる。
「心得た」そう言ってニノさんがヘラっと笑う。俺たちは小さく掌を合わせた。
交渉成立だ。
俺らの大将舐めたらどんな目に合うか、つまんねーこと言うやつらに思い知らせてやる。
大きく伸びをしてから、腕と背中と太もものデカい筋肉のストレッチを始める。
「滝沢、おめぇ、今日えらいヤル気だな?」
張り切りすぎて怪我すんな?
先輩達が通りすがりに俺の背中をバシッと叩いていく。
ニノさんと目を合わせてコートに向かう。
さあ諸君、覚悟はいいか?
お前らの喧嘩を買うのは全戦無敗、三冠制覇を六年キープする「高校最強」だ。
売った喧嘩、後悔すんなよくそったれ。
臨戦態勢 @3cococo3
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