2 そろそろ学校に行きたいんですけど…
第4話
ここでの暮らしが始まって一週間経った。
慣れない。
◇◇◇
「おはようございます!お嬢!」
「…おはようございます」
龍哉さんが話していた通り、離れの改装は瞬く間に終わり、生家の『私の部屋』がそのまま再現された。本棚も、机の中も、箪笥の中身もそっくりそのまま。恐ろしいものを感じている。
何も考えないようにベッドに入り、結局一睡もできずにその夜は朝を迎えた。
離れから出ると、ずらっとヤクザ屋さんが並んで、大きな声で挨拶をしているが、これはこれで恐ろしい。
私が青ざめて怯えていると、龍哉さんは即座にその場を解散させてくれた。しかし、これはすでに7回も繰り返されている。そう、毎朝だ。龍哉さんに厳重に抗議してみたが、返ってきた答えと言ったらこうである。
「頼って頂けるのって、嬉しいですね」
まるっきり、役に立たない。もはや、私が慣れるほかないらしい。適応力は、同年代の誰よりも高いはずだ。やればできる。
しかし、ここに来てからの生活は、父と暮らしていた頃に比べると天国と地獄の差があった。借金取りが一人も来ない。山の様に高く積まれた借用書もないし、ドアも落書きされず綺麗なままだ。そして、酒浸りの父もいない。快適と言えば、快適である。ただ、ある一点を覗いては。
「あの、」
「どうかされましたか?うちの者がご迷惑でも?!」
「いや、それはもういいです」
「いいんですか!?」
「はい…あの、そろそろ、学校に」
『行きたいんですけど』と言葉を繋げるよりも先に、龍哉さんは口をあんぐりと開けている。驚きを隠せない様子で、強く私の肩を掴んだ。
「学校って、男子がいて男子がいるところですか!」
「まあ、女子校じゃないですからね」
「…だめです!」
「ちょ、ちょっと待ってください!どうしてそんな事言うんですか!?」
「だめって言ったら、だめです!」
龍哉さんが頬を膨らませる。顔が良いからと言って、何をしても許されるわけではない。
「貴女は、私が買ったんですからね。いつも手の届く範囲に居てもらわないと」
「その割に、仕事でずっといないですよね」
龍哉さんは、言葉を飲みこむ。
「さみしいですか、やっぱり」
「…いいえ、そういうことではなくって…龍哉さんの本分は仕事、私の本分は学校に行くことです」
「いいえ、この家で私の帰りを待つことが本分です」
「あ~~!もう!」
「…怒った顔も素敵です、姫乃様」
「話通じないな!」
私は蹲って頭を抱える。龍哉さんも、私に合わせてしゃがみ込んでいるようだ。
うんうんとうなって考えていると、一つだけ、とあるアイディアがポンっと音を立てて思いついた。
「龍哉さん、あの絵本あったじゃないですか」
「はい!」
顔をあげて目を合わせると、エメラルドグリーンは満面の笑みだ。
「私今、あんな気分です」
「あんな?」
「…悪いドラゴンに閉じ込められた、王子様の気分」
まるでタライが落ちてきたように、ガクンと龍哉さんは頭を垂れた。周囲にはどんよりとした空気が漂いはじめて、ゆらりと龍哉さんは立ち上がる。その肩も、ガクンと生気を失っているようだ。
「悪いドラゴン…」
まるでうわ言のように同じセリフを繰り返しながら、龍哉さんは私の脇をすり抜けてよろよろと自室に向かっていった。
罪悪感は多少なりともあるが、これで勝てた気がする。
◇◇◇
「それは、お嬢様も大胆なことを」
「そうですかね、やっぱり」
この一週間のうちに、私は時枝さんとすっかり仲良くなっていた。二人並んで住み込みの人たちの食事を作るのが、私のこの一週間の日課だ。
時枝さんは、大根の皮を剥いている。私は人参の皮担当だ。住み込みの人たちも威勢のいい男の人ばかりなので、量は多い。母親と言うには時枝さんは少し年齢が上だが、お母さんと台所に並ぶということはこういうことなんだろう、と思う。
「若は、そりゃもうお嬢様に首ったけで」
「はあ…」
「出かけて帰って来てときも、ずっとお嬢様のご様子ばかり聞きたがって…あんなに楽しそうな若は久しぶりで、他の若衆たちもそりゃ喜んでいたんですよ」
「でも…」
「もちろん、お嬢様のお気持ちも、よく分かります。若い娘さんが家に閉じこもっていても、良い事はない」
時枝さんは、サクサクとリズミカルに大根を切っていく。
「もう一度、ちゃんとお話しされて見たらいかがでしょう」
「うーん…」
「勢い任せでなく、じっくりお嬢様のお気持ちを伝えたらきっと若も納得してくれますよ」
私はオレンジ色に輝く人参をじっと見る。確かに勢い任せだったと少し反省し、もう一度ちゃんと話してみようと決意した。
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