ウサギ穴の向こう側
光の先に広がっているのは、駅から離れた所にある広い墓地だった。
時刻は分からないが、太陽の上り具合から判断するに昼頃。
路地裏にいた時の時間とは大きくズレた世界であることははっきりしていたが、こちらの世界とあちらの世界のどちらが本当の世界なのかはどうでもいいだろうと思う。
問題はそこではないのだから。
いくつもの並ぶ墓を通り過ぎ、とある墓の前で立ち止まる。その墓には、鳩ケ谷鈴音(はとがやすずね)と刻まれていた。
「あなたが殺害した女性のお墓よ」
幽霊系少女は小さく呟いた。
毎日手入れがされているのか、お墓は綺麗な状態を保っていて、菊の花が供えられている。両親が、恋人が、友人達が、彼女の死を弔うためにここに足を運んできたのだということがはっきりと分かる。
僕は地面に膝をつき、頭を何度も地面に叩きつけながら謝罪をした。
涙に濡れる顔を地面に擦りつけながら。
1人の人間の将来、彼女を愛する多くの人間の悲しみ、これらは何度悔んでも決して返ってくることはない。幽霊になってしまった己の謝罪が、彼女に届くことはない。彼女に代わってその事実を無常に突きつけるように、幽霊系少女は冷たい目で僕を黙って見下ろしていた。
時折吹く風に揺られる木々のざわめく音以外は聞こえない静謐な空間の中で、こちらに近づく足音が聞こえてきた。幽霊の自分の姿は視られることがないとはいえ、反射で顔を上げて足音の主を確かめる。
それは、あの時ポッポさんの隣にいた、恐らく彼氏であろう紳士風男だった。悲し気な目をしてやってくる彼は、ポッポさんの墓前に立つ幽霊系少女を一瞥して軽く会釈した。
「鳩ケ谷さんのお知り合いかな」
紳士風男は落ち着いた口調で問いかけた。彼女は、えぇと短く返答する。
「あなたは?」
「僕は、彼女の会社の先輩だ。墓参りに来たんだ」
紳士風男はそう言って両手に持つ百合の花を掲げて見せた。
「でも僕以外に最近ここにお参りに来た人がいたのかな。新しい菊の花が供えられているようだね。まぁそれもそうだろう。彼女は周囲にとても愛された人だった。いつも一生懸命でまっすぐで。僕も彼女のまっすぐさに救われた時が何度もあったんだ」
紳士風男は力なく俯き、悲しみに声を震わせながらそう言った。彼の言葉に僕は呼吸が苦しくなるほど胸を締め付けられた。幽霊が呼吸などするはずもないのに。そのまま呼吸困難で苦しんでしまえと自分を強く呪った。
「あなたは、鳩ケ谷さんの恋人かしら?当時彼女と連れ添って歩いているような話を聞いたのだけれど」
「いいや、同じ部署の仲間だけど、そういった関係ではないよ。当時、彼女はストーカーに跡を付けられていて怖いと悩み相談を受けたことがあってね。だから自宅近くまで彼女を送り届けていただけさ」
思い切り後頭部を殴られたように視界が大きくグラついた。今彼がなんと言ったのか理解が出来なかった。いや、自分がどうしてこの紳士風男を彼氏だと思ったのか理解ができなかった。何度もループしたはずの記憶を思い返そうとするも、脳内に泥が詰まって断片的な記憶が繋がらない。
もしかして。
僕は。
自分の勝手な思い込みから。
彼女を…………彼女を彼女を彼女を彼女を彼女を彼女を彼女を彼女を彼女を彼女を彼女を彼女を彼女を――――――――
紳士風男は先ほどまでの悲しみに暮れた顔を怒りに歪める。思わず力の込められてしまった両手が百合の花束の枝をパキパキと折ってしまった音で我に返る。
「僕が彼女と分かれた直後に、ストーカー男が彼女を刺し殺したと警察から聞いたよ。悔しかった。本当に悔しかった。そのストーカー男は逃亡中にトラックに撥ねられて呆気なく死亡してしまったそうだね。この手で殺してやりたかった。彼女が受けた何倍もの数で奴を刺し殺してやりたかった。もう、叶わない願いだけどもね。…………怒りのあまり花を折ってしまった。また花を買い直して改めて出直してくることにするよ。それじゃあね」
紳士風男は軽く会釈をして立ち去ってしまった。僕も、僕を刺し殺してやりたい。自分が憎くて溜まらない。でも実体のない身体を刺すことはできない。だから彼女と同じ苦しみを自分に味わわせてやることもできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます