ファミリーレストラン~リトルボーイ~

 7月後半、夏真っ盛り。大学生の夏休みは無駄に長い。彼女のいない貧乏学生は、金策あるのみ。ファミレスのピークタイムは昼の11時から始まる。夏休み期間中でもあるため部活帰りの学生達もそれなりにいて客は多い。 


 1Kの狭いアパート一室で出勤に向けて着替えを始めると、何故か部屋の引き戸がガタガタと慌てたようにひとりでに閉じられる。熱気が室内に籠るから開けっぱなしにしろと言って引き戸を開けようするが、向こう側で抑えているせいか開かない。


 そういえば着替えのたびに毎回引き戸が急いで閉じられるが何故だろうと疑問に思いつつ引き戸を開けようとしばらく足掻いた。引き戸にかかる抵抗力を見るにコイツ、力の押し合いには弱いと見えた。しかし、俺は引き戸から手を離した。


 ここで我を無理やり通すと後が面倒になることは明白だったからだ。高校生の妹がいる俺から経験則に基づいた教訓を言わせてもらうと、


『男性は女性より損であれ』


 家庭内でのヒエラルキーにおいて男性は下位、女性は優遇される。これは女尊男卑の現代社会を最小単位で表しているといえよう。同居人が男か女か定かではないが、一歩引く、相手に譲ることで良好な関係性を保つという事が共同生活において非常に重要だということだ。


だからーーーー


「俺は……、開けない!!」


 籠っていく熱気に耐えながらバイト用のチノパンと白いポロシャツに着替えた。出かける前に乾いた喉を潤そうと冷蔵庫を開けたが中は空っぽで舌打ちする。諦めて水道水を飲もうと蛇口をひねると、熱中症になった水道管からは温水が流れてきたので、飲まずに蛇口を締めてアパートを後にした。


 そこは、ファミリーレストラン【リトルボーイ】。

 広島に落とされた原爆の名前を店名に掲げるのは良いのかと、出勤するたびに突っ込みたくなる衝動を抑えて、裏口から中に入ってタイムカードを押した。


 本来であれば着替え終わってからのタイムカードがルールなのだが、人手不足すぎるせいでバイトに対して店長のチェックはかなり甘くなってきている。いきすぎたサボりやつまみぐいはNGだが、小さな反則は暗黙の了解。

 先週の土曜日なんて、閉店後、夜勤のアルバイト達と店長で、廃棄予定の余った食材を使ってファミレスパーティーを開催したほどだ。もちろん本部には内緒で行ったそれは、アルバイトへの労いと、理不尽な社会に対する店長からの小さな抵抗を表したものだったらしい。お酒がまわっていたせいか記憶が不鮮明でほとんど何を喋ったのかほとんど覚えていない。それに、ファミレスパーティー後に複数人でどこかに行ったような気がしたが、どこだったっけ――


「廃工場の肝試し、楽しかったなぁ。チョッパーくぅん」


 金髪の前髪を指でいじりながらテンション高めに肩を抱いてきた彼は、城先輩だった。そそしてファミレスパーティー後にどこに行ったのかも思い出す。


「そういえばパーティーの後酔った勢いで行きましたね……。つか暑いです」


 彼の金髪から滴る汗が肩に落ちてきて気持ち悪く、密着した肩を軽く押しやった。

 忘れんなよーと言いながら彼は持ち場のキッチンへと入っていった。


 3年ほど前、この街を震撼させた猟奇殺人鬼による連続バラバラ殺人事件。


 バラバラに解体された被害者達の死体が隠された、または埋められていたとされる廃工場及び周辺の森では、今でも自分たちの見つからない欠損部分を探して被害者の幽霊が彷徨っているという噂があり、酔った勢いで行ってしまったのだった。


なんであんな所に行ってしまったのか、そのせいで俺は今こんな状況に陥ってしまったというのにと自己嫌悪に陥りつつ、こういう過ちも青春の1ページかと自分を慰めながら店内へと入っていくと、


「蝶野さん、出勤すぐで申し訳ないんですけど、4番テーブルと5番テーブルのバッシングしてもらえますか。あとドリンクサーバーの補充もお願いします」


 ホールの小早川さんが客のレジ清算をしながら指示を飛ばしてきた。常夏の暑さを微塵も感じないというか感情の起伏が小さい彼女の表情から滲み出る焦りの色を見て、俺は即座に仕事モードに切り替わる。


 蝶野隼人、出動します。


 昼の3時を過ぎる頃にはピークも収まりつつあり、俺は小早川さんと休憩に入り、代わりに店長がホールの仕事に入っていった。


「忙しかったですね。昼前に蝶野さんがきてくれて助かりました。ありがとうございます」


 どこまでも続いているかのような平坦もとい、涼し気な彼女の表情は全然大変そうには

見えない。そのクールで端整な顔立ちが苦痛に歪むところを一度目にしたいと思う俺の

心は歪んでいるのだろうか。健全な男子ならそれくらいの邪な感情はあるはずだ。


「いやこちらこそ。あと、蝶野じゃなくて気軽にチョッパーって呼んでくれてもいいんだよ。”ちょうのはやと”で略してチョッパー。中学からのあだ名なんだよね」


「そういえば蝶野さん、パーティーの後肝試し行ったんですか」


 涼し気にスルーされて小さく肩を落とす。まぁでも、これでチョッパー先輩なんて普通に呼ばれたら逆にビックリしてしまうが、期待をしていなかったといえば嘘になる。つーかチョッパーのパーってなんだよとセルフツッコミ。


「行ったよ。バイトの野郎4人で。心霊系は得意だしね。小早川さんもくればよかったのに」


「いえ、私は行きません。それにああいう所に興味本位で踏み込んで騒ぐのもどうかと思ってます」


 クール系年下女子の冷静な指摘に身体を小さくすぼめる。

 あぁ、そうでしたか……。それは申し訳ありません。こんな馬鹿大学生が調子に乗ってしまって。


「小早川さんはホラー映画とか心霊特集の番組とかあんまり興味ない?」


「ホラー自体は結構好きです。毎年8月にテレビで放映される”じつ怖”を楽しみに待っているくらいには」


 幽霊の登場シーンでも眉一つ動かさずに驚きましたと話す彼女を想像して、吹き出しそうになる。クールな小早川さんが怖がる姿を見てみたいが、そんな瞬間は絶対来ないだろうなぁとも思う。怖がる姿どころか、姿形すら視えない誰かさんはもはや論外。


「実際に事件があった場所みたいですし危ないですよ。でも幽霊にとりつかれていないようで安心しました。相手が幽霊じゃ、人間と違って魔法でどうにかなる相手ではないので……」


 魔法でどうにかできるならどうにかしてほしいと思ってしまう。心霊スポット散策の後にいつの間にかついてきてしまった同居人の話を切り出そうか迷っていると、休憩室から店長が顔を出してきた。


 休憩終了、と死んだような顔つきで通達され、会話は強制終了。


 昨日図書館で見かけた紅目女子とは別の意味で死人っぽいなぁと悲哀の目を店長に送りつつ、小早川さんとともにホールに戻った。

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