占い部

 目覚まし時計の音がけたたましく鳴り、ベッドから身体を起こした。右腕にピリッと痛みが走り、細くて長い擦り傷が1本走っていることに気がつく。


 昨日の散歩中に腕をどこかで引っかけてしまっていたのだろうか。身に覚えのない傷だったが、さして気に障るほどのものでもないと思い、気にせずに洗面台に向かっていった。


 10月に入ると朝の気温は低く、長袖のワイシャツでは心許なかったので、衣装ダンスから取り出した黒いコートを着て家を出た。衣替えの時期にはまだ早いが、そろそろ冬服を準備しないといけないなと思うくらいには外の空気は冷えていた。


 自宅の最寄りから電車に乗って5つ先の駅で降り、そこから徒歩20分ほど歩いた所に我が校である浦和鳥栖高校がある。駅から学校まで向かう道の途中に公園を横切ると、木々が紅葉し始めていることに、しみじみと秋を感じた。ふと、昨日散歩の途中に見た大きな木は葉が1つもなかったことに違和感を覚えたところで、


「よっす。今日も相変わらず冴えない顔して歩いてるね」


 振り返ると、大鷲翔(おおわしかける)が声をかけてきた。


「中間テストの勉強してる?」


 中間テスト期間に入っていたことにハッとした。テスト期間一週間前になると、生徒のテスト勉強時間確保のため、全部活が休みになる。だが、勉強が嫌いな俺の頭の中は、部活休み=勉強時間ではなく、部活休み=遊び三昧という図式が自然と成立してしまっていた。大鷲は俺の表情で察したのかニヤっとする。


「空は前の期末で赤点取ってたっしょ。勉強しないとまたエグッティーに怒られるよ。頭悪いのに勉強しないってやばいでしょ。いや、頭悪いから勉強しないのか」


 大鷲は人の弱みをつついて悦に浸るのが好きな性格で、他人を小馬鹿にするようにいつもニヤニヤしている。身長が低くて髪は短い、馬鹿っぽい見た目の割りに勉強はできる、悪友に近い友人だ。


「朝から余計気落ちするようなこと言わないでくれよ。わっしーは勉強してる?」


「もちのろんろんよ。テスト期間前から勉強してるよ。それに英語のテスト範囲広がったらしいし時間足りないわ」


「……マジ?」


「……マジマジ。授業寝てる?」


「……寝てたかも」


 江口先生に怒られる。昨日の出来事は頭からいつの間にか零れ落ち、テストの事で頭がいっぱいになった。エグッティーこと江口先生は俺と大鷲が入っている弓道部の顧問で、赤点の部員は厳しく追及される。最悪次の大会に出れなくなるかもしれないまである。浦和鳥栖高校は文武両道を特色としているため、部活や行事のみに活発で勉強をおろそかにしていると、クラス担任だけでなく、部活の顧問からもチェックされてしまうのだ。


「テスト期間だし補講もあって学校自体が夕方6時まで開放されてるんだけど、一緒に勉強する?」


 顔面蒼白な俺に気を遣ったのか、大鷲はやや軽い口調で提案してくれた。


 俺は小さく頷く。

 わっしー、お前いい奴だ。悪友って思ってごめん。心の中で謝罪をした。


「……ウェルカムスタディートゥギャザー?」


「その英語おかしくね?」


----------


 放課後、6時まで大鷲と英語の勉強をして学校を出ると、日は落ち始め、オレンジから濃い群青へと変わりつつあった。先生達は授業後も事務仕事が残っているのか、学校は職員室のみ明かりがついている、と思われたが、2階の教室もまだ1つだけ明かりがついていた。

 なぜだろう、と立ち止まる。


「あそこは確か、占い部の部室だったか。こんな時間まで何してるんだろうね」


 大鷲は説明しながら、胡散臭そうに教室を見やった。


「占い部?何の部活だそりゃ」


「占いでしょうよ。一部の女子からはそこそこ評判良いらしいよ。男子はそういうのあんまり興味ないから存在すら知らない人が多いだろうけど。空みたいにね?」


 大鷲の含み笑いに意地の悪さを感じた。女子の知り合いが少ないことを遠回しに揶揄しているのか。


「そもそもそんな胡散臭そうな部活があること自体おかしくないか?」


「うちの学校って、部員が5、6人揃えば新規の部活を簡単に立て上げられるじゃん?だから活動実態が怪しい変な部が他にも色々あるみたいだよ。ロボット研究部だの廃墟探索部だの、宇宙電波交信部だのエトセトラエトセトラ」


「へぇ。そんな変な部活ばっか乱立して学校としては大丈夫なもんなのかね?」


「大した活動や実績を残してなければ、1年で部自体が潰されるんだよ。出来ては消え、出来ては消えのいたちごっこだね。まさか、空も新規の部活を立ち上げるの?」


「まさか。そんな面倒なこと考えたくもない」


 そう言って再び歩を進める。それらの新興の部活に興味もなければ、自分から立ち上げて活動を起こす野心も行動力もない。


「だろうねぇ」


 期待感を持たれていない、やや諦観の混じった大鷲の返答に、俺は心の中で失笑した。


 大きな目標を持っているわけでもなければ、情熱を注いでいる何かがあるわけでもない。自分を色で例えると無色透明。いや、灰色の人生というなら灰色か。もちろん彼女もいない、できたことも……。現在入っている弓道部は、向上心を持って積極的に取り組んでいるわけではない。胴着が格好良くて練習が楽そうというのが入部理由だったっけ。放課後テスト勉強をしたのはm赤点を取りたくない、先生に怒られて恥をかきたくないというだけだ。


「……はぁ。」


「相変わらず冴えない顔してるねぇ」


「わっしーは何か新しいこと始めたりはしないのか?」


「新しいこと?」


「趣味とか、新しい部活とか、みたいな?」


 エネルギッシュとまでは言わないが、いつも明るい大鷲は何か考えていることがあるのかと気になって聞き返した。


「別にないよ?」


 そうなのか。そんなもんだよな。


「ちょっとホッとしたっしょ?」


 意地の悪そうな笑みを浮かべる大鷲の言葉に、ちょっとドキッとした。ホッとしたのだろうか。自分がどんな表情をしていたのか、今現在どんな表情をしているのか、意識し始めると自分の顔が少しずつちぐはぐになっていく感覚になっていくのが手に取るように分かったのか、大鷲はこちらを見てケラケラと笑っていた。性格のひん曲がった男だ、そう思った時だった。


――パキッと、音がした。


 小枝を踏んだ音だろうか。

 

 駅までの道の途中にある公園内、アスファルトで舗装された園内路にも、周囲の枝葉があちらこちらに落ちている。2人のどちらかが踏んだのだろう。


「空、どうしたの?」


 大鷲は立ち止まってこちらを振り返る。


――パキッと、再び音がした。


 周囲を見回すが、公園内には、大鷲と俺以外他に誰もいない。それなら、誰が何を踏み鳴らした音なのだろう。


 野良猫とかが歩いていただけだろう、簡単にそう結論づけるくらいの大したことのない出来事のはずなのに、なぜ、自分の身体はこれほどに強張っているのだろうか。


 そして、なぜ、アスファルトで舗装された園内路のど真ん中に、これほど大きな木がそそり立っているのだろう。


 昨日見た木だ。直感でそう感じた。


 その木には葉が1枚もなく、そして大きく腕を広げるかのように太い枝が左右に伸びている。そこからさらに細くて長い枝が、何者も捉えて逃がさぬように、網目のように広がっている。そして、その木は、見たものを全てを飲み込んでしまうほどに真っ黒だった。


 果てしなく長いトンネルを覗き込んでいるようだ。ただ、果てなく続くその先には、現世とは違うどこか別の世界が広がっているような。


 たとえば、…………あの世とか?


 そんなあり得ない妄想で背中がゾクッとする。


 そして俺はその黒い木の違和感に気づいた。

 園内の街灯が、周囲を、そして当然この木も照らしているはずなのに。真っ黒を身に纏えるはずがないのに。

 

 その木はただただ黒い。樹皮が夜闇で見えづらいのではなく、ない。

 紅葉し始めるこの時期に、葉が1枚も生えていない。生を全く感じられない。


「どうした空ー。早く帰ろうぜー。ワック寄ってバーガー食おうよ」


 一方で、そんな違和感を感じてすらいない大鷲の緊張感のない言葉にハッとする。大鷲はこの木を見て何も感じないてないのだろうか。そもそもこの木が見えていないのだろうか。それを今ここで大鷲には聞けない。ここで言葉にしてしまったら、何かいけない気がした。


――バキッと、大きめの音がした。


 音だけがこちらに一歩ずつ近づいている気がする。

 俺は、踵を返し、足早に公園を後にした。


----------


 朝目が覚めると、引っ搔いたような3本の細長い傷が、左の二の腕から肩にかけて走っていた。洗面所に行き、ちくちくと痛む腕に冷水をかけた。すでに固まった血を洗い流しながら、冷静になって考える。


 昨日公園を出た後は、特に何も起こらなかった。

 ワックでバーガーを食べながら、大鷲に園内に佇んでいた黒い木について尋ねてみたが、そんなものは見てなかったとのこと。


 あれはただの錯覚だったのだろうか。

 ストレスのせいで幻覚でも見ているのか。その可能性もなさそうだ。これまでを振り返ってみるが、勉強も大して出来ない、友達も多くない、彼女もいない、部活の成績も冴えない、というかやる気もない。これといって特徴もなければ変化のない日常を過ごしている自分が、錯覚を見てしまうほどのストレスや疲労を抱えているとも思えない。


 やはり、あの夜の散歩の後に見た黒い木は、本来遭遇してはいけない何かなのだろうか。

あの黒い木と出遭ってから、不自然な傷も身体にできている。これは、錯覚でも何でもないはっきりと分かる事実だ。通常の日常では起こりえない、説明できない何かが迫ってきているのか。


……では、だからといってどうすればいいのだろうか。


----------


「占い部へ相談?」


 昼休み時間、教室内で一緒に昼食を取っている大鷲に黒い木について相談してみると、大鷲は意外な提案をしてきた。意外というよりからかってるだけなのか、俺は訝しげな視線を大鷲に送る。


「相談者の恋愛、友人関係、進路の相談から、これから起こるかもしれない不慮の事故、災難もろもろを占いを通してアドバイスしてくれるらしい。まぁ胡散臭いけど」


「俺の相談ってどれにも当てはまらなさそうなんだけど大丈夫なのか。そもそも原因も何が起きてるのかすらも理解できてないのに」


「起きた事とか目にしたことをそのまま話してみればいいんじゃない?道端で出会った黒いツリーマンに毎晩追いまわされてますって」


「そんなことしたら変人扱いされるだけじゃないかよ」


 ケラケラと笑う大鷲を睨むと、大鷲は笑いを止めた。


「真面目な話、以前、弓道部の女子で心霊系の相談を占い部にした子がいたんだ。少し霊感があるらしくて、たまに、……”視えちゃう”んだって。いつも帰宅途中に出てくる霊に悩まされて、どうすればその霊を追い払えるかって相談をしたみたいなんだけど、そこで占い部にアドバイスされた通り実行したら、解決したらしいよ」


 その話を聞いて、そんな身近に心霊話が転がっていたのかと驚きつつ、大鷲が俺のとんでも話にあまり動じない理由に納得できた。神社に行ってお祓いを受けに行ったり、霊媒師に相談したりした方がいいかと思ったが、危険なことが身に迫っているとはっきり言えるほど自信はなく、実態もよく分かってない以上、対策の入口としては学内で相談してみるのが無難だろう。


 親はおろか、大鷲以外の友人にこんな馬鹿馬鹿しい話を相談できない。学内での相談なら無料だし、親に説明する必要もない。あまり期待しない程度に相談してみるよ、と大鷲に告げた。


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 2階のとある空き教室の一角が占い部の部室だった。一角というのは、1つの教室を他の文化部と共有していて、教室半分をパーテーションで半分に区切ってそれぞれの部室としていた。縦長の狭い部室中央に、机2つが向かい合うように置かれ、俺は相談者用?の方の席に座っていた。真向いに座る、長い黒髪をした女子生徒、占い部部長の夕闇鴉(ゆうやみからす)は、つんとした表情で言った。


「相談料は、三千円になります」


 彼女の思わぬ返答に唖然とした。空いた口が閉じないとはこのことだろうか。

 相談が有料とは思わなんだ。まだ自分は何も詳細を話していないのに。


「相談って有料なんですか。無料って聞いてここに来たんですけど」


「簡単な占いなら無料でしてあげるけど、内容によっては有料になるわ。込み入った相談だったり、相談以上のことに協力してあげたり、今回みたいに、占いとは違う、特に心霊絡みの相談だったらね」


「はぁ、そうですか。じゃあいいっすわ。それじゃ」


 馬鹿馬鹿しい。素人のしかも同年代に相談するのに金を取られるなんて考えられない。

諦めてさっさと出ていこうとすると、あからさまなほどの大きなため息声が後ろから聞こえた。


「いるのよね、たまにあなたみたいな冷やかし君が。一部の相談を有料にしたら敷居が上がって冷やかしの人間がいなくなるからせいせいするわ。お金って色んな意味で人を選別する良き手段ね」


 鼻で笑う彼女は1学年上の2年生のようだったが、イラっとした俺は足を一旦止めて振り返る。


「支払うほどの期待したものが得られるなら喜んで払いますけどね、だって同じ学生相手に普通そこまでできないでしょ。しかも見ず知らずの相手になんて……」


「つまり相談相手を信用してないってことね。三千円分も期待できないと。それならなおさら相談なんてしない方がいいわ。私がここでアドバイスしたところでそのアドバイスを聞き入れてくれる?指示した通りのことを実行できる?私が思うに、鷹野空君?は、話半分に聞いて結局何もせず、次の日には忘れるか友達との話のタネにして終わりでしょうね」


 ウッと言葉に詰まる。確かに話をとりあえず聞きにきた程度で、話が進展するイメージは全く持っていなかった。有料と言われて身を引きそうになっているのもまさにその通りかもしれないと思ってしまった。


「改めてあなたに問うけど、あなたはここに何しにきたの?」


 席に座ったままの彼女は、見上げる形で静かにこちらを睨みつける。彼女の瞳は夕暮れを感じさせる鮮やかな紅色をしていて、射貫くような鋭い視線はまるでこちらの本質を見抜いているようで居心地が悪かった。少しの間逡巡したが、彼女の言うことが100%正しいと思い、すぐに頭を下げる。


「……すいませんでした。真面目に悩んで相談に来てるつもりですので、支払います。相談に乗ってもらえますか」


 夕闇は腕を組み、しばらく俺からじっと視線を外さず様子を伺っていたが、誠意を示すように視線を逸らさずまっすぐ見つめる俺の様子に納得がいったのか、小さくうなずいた。そして、片手を目の前の席に差し出し、俺に相談者として座るよう促した。


 素直でよろしいと、夕闇は固い表情を崩してそう言った。

 その様子にホッとして席に座り直し、黒い木の話を語った。


----------


 俺が話し終えた後、夕闇はすっきりとした顔で言い切った。


「全く、皆目見当もつかない出来事ね」


 俺はそれに対しため息で返答したが、夕闇の表情からは諦めの色が出ていないどころか、何故か新しい玩具を手に入れた子供のように目を輝かせている。


「何が原因で何が起きているのかはっきりとしないから、当時の出来事をもう一度再現してみましょう。通った道、見たもの感じたものを実際にやってみて、ゼロから考えれば見えてくるものがきっとあるわ」


「いや、さすがにもうあの道は通りたくないですよ。もしまたあの木と出遭って殺されでもしたらどうするんですか!」


「大丈夫、もちろん私も一緒についていくわ。それに、昨日公園でも出てきたあたり、どんな所にでもその黒い木は出現するようだし、いずれにしろ君はたぶん逃げられないわ。だったら、これからやることに意義があると思わない?」


 確かに、そう言われてみればそうかもしれないと、ためらいがちに頷いた。


「決行は今日の夜よ。待ち合わせは、夜の9時頃に鷹野君の自宅の前でいいかしら」


「今日ですか!?」


 強引さとその行動力に圧倒されるが、彼女の興奮に満ちたその顔から、ノーとは言いづらい。特に断る理由も用事もない。


「あら、何か用事でもあった?」


「いえ、ないですけど、かなり急ですね」


「下手の考え休むに似たりよ。分からないことをあれこれ悩むよりも、実際に行動を起こして解決の糸口を探った方が早いわ。そうと決まれば、私は一旦自宅帰ってから鷹野君の家に伺うわね」


 そうと決まるや、夕闇さんは席を立ち、大きなソファに置かれた自分の学生鞄を持って帰り支度をする。まだ17時にもなっていない時間だ。


「……あの、部活は?」


「今日はもう終わり!どうせ占い相談なんて大して来ないし、もしこれから来たとしても受付は明日にしまーす」


 それじゃ、と一言告げて、部室を後にした。

 なんと適当な部長さんだろうか。適当というか気分屋というか。良い意味で言えば天真爛漫……か?

 後者に依怙贔屓してしまう彼女の眉目秀麗な顔立ちがズルいと思ってしまう。


 夕闇さんの振る舞いは、真摯に相談に乗っているというより、自分の好きなものに対して強く邁進しているといった様子だった。しかし、病的なくらいに白い彼女の綺麗な肌、話を進めていくたびに興奮で紅潮していくその表情と小悪魔のような笑顔を向けられては、思春期真っただ中の男子じゃ誰であろうと断れないだろう。


 そんな情けない自己弁護は童貞特有のものだ。大鷲だったらいやらしい笑みを浮かべながらそう返すだろう。

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