4-09
放課後を待ちかねて駆けつけた東堂さんの病室に克巳さんの姿はなかった。
午前中いっぱいまで東堂さんの様子を見て、主治医の説明を受け、問題ないというお墨付きをもらったので、東堂さんの着替えや洗面道具などを取りに帰ったとのことだった。
目を覚ました東堂さんはいつもの東堂さんで、ほっとしたらしい有賀はテンション高めで、さっきからあれやこれやと話しかけ続けている。
「体外離脱? それって臨死体験のときに起きるって言われてる現象だよね」
「さすが東堂さん、よくご存じですね。守山君なら、間違いなく『何それっ』て聞き返します。話だけじゃわかりにくいだろうと思って参考文献を見せながら説明してあげると、写真が怖いとか言って嫌がるんですよ。それで、どうでしたか。私たちがお見舞いに来ていた様子とか、天井のあたりから見下ろしていたりしませんでした?」
「ボクは死にかけてたわけじゃないんだよ。ただ眠ってただけなんだから臨死体験するわけないでしょう」
「きれいなお花畑に立っていたとか、荘厳な音楽が聞こえたとか、亡くなったおじいさんに会ったとかもなしですか」
「夢も見ずにぐっすりと眠ってたね。ちなみにボクの祖父は、母方父方ともに今も健在ですよ」
「そうなんですね。ちょっと残念」
残念を使うタイミングが間違っている。でもまあそれが通常運転の有賀なのだ。
「私、西川さんに褒められました。小学生のあつかいがとても上手いですねって」
「ふうん、あの西川君がね」
「意外そうですね」
「西川君ってあまり人のことを褒めないんだよ。生徒たちへの接し方もやけにクールでね。もうちょっと愛想良くしてくれよとは言ってるんだけどさ」
「塾のお手伝いのバイトをしないかって言われたんですけど、お断りしました。弟がお世話になっている塾でバイトっていうのは、なんかやりにくいなって思って」
「その気持ちは理解できますよ。西川君は残念がっただろうけどね。ちなみにボクも残念です」
とりとめのない平和な会話を聞きながら、ぼくはカミノテのことを考えていた。
本当に願いがかなえられたのか。
ただの偶然なのか。
考えながらも結論が出ないことはわかっている。カミノテの力によるものだと考えても矛盾はないし、偶然あのタイミングで東堂さんが目を覚ましたとしてもおかしくはないのだ。さらに言えば、有賀と一緒に参拝した桜池神社の御利益だったのかもしれない。有賀がそうだと信じているのなら、ぼくはそれを否定する気はない。
「じゃあ私はそろそろ失礼します」
「今日はわざわざありがとう。航太君にもよろしくと伝えてください」
「はーい」
有賀はベッドサイドでぺこりと頭を下げると、小さく手を振り、振り向いた。
「もう帰るのか」
「うん、いっぱいお話もできたし、このあと友だちと会う約束もしてるし」
「友だち?」
「なっちだよ。飯塚奈津実さん」
「ああ、魔性――じゃなかった、ドッペルゲンガーの」
「守山君はまだ東堂さんとお話するんでしょ」
「ああ、うん」
「じゃあ帰るね。また明日」
有賀らしいあわただしさで、それでいて病院であることには気をつかって、ドアをそっと閉じて出て行った。
「兄といろいろ話をしたそうだね」
有賀の去ったあとの乾いた静けさの中で、何から話そうかと迷っていると、東堂さんがさらりと話題を振ってくれた。
「なんとなく、流れで」
「兄が自分のことを他人に話すなんてねえ」
「そうなんですか。とても気さくな方でしたけど」
「それが意外なんだよ。教師を辞めた話までしたんだってね。よほど守山君のことを気に入ったんだろうなあ」
「それは、あれじゃないですか。東堂さんが事故に遭われて気が動転してしまって、みたいな」
「兄はそういうことで気が動転するような人ではないんだけどな。守山君には兄があたふたしていたように見えたのかい」
見えなかった。東堂さんの容態を説明するときの口調も淡々としたものだった。間違いなくぼくの方が焦っていた。
「気を使わなくてもいいんだよ。まあいいや。その兄が守山君に持ち物検査の話をしたらしいけど、どこまでを聞いたの?」
「持ち物検査をして、その日の放課後に受け持ちの女子生徒さんが交通事故で亡くなったっていうところまででした」
「そこから先は?」
「続きがあるんですか」
「兄は教師を辞めるに至った経緯を話してたんだよね」
「亡くなった生徒さんからも手鏡を没収していたとのことでした。お話を聞いていたときは、それが相当ショックだったのかなとも思いましたが――」
東堂さんは天井を見上げ、「そう思うのが普通だよなあ」と脱力して言った。
「違うんですか」
「違うんだ。兄がそんな中途半端なところで話をやめてしまったから、守山君が誤解してしまったんだね」
「それは仕方がなかったんですよ。そこまで話をしてもらったときに、手術をしてくれた先生から東堂さんの状態についての説明があるって呼ばれたんです」
「なるほど、まあ、それなら仕方ないか」
「あの話には続きがあるんですか」
「持ち物検査はイントロみたいなものさ。そこで話が終わったってことは、生徒からのメモのことも知らないよね」
「聞いてません」
「どうしようかなあ。兄が守山君にどう思われようとかまわないのだけど、きりのいいところまでは聞いておいてもらおうか」
「もしかしてですけど、昔、理科準備室にあった人体模型が燃えたっていう話も関係ありますか」
「へえ、そのことも知ってるのか。守山君もなかなかの情報通だなあ」
「航太君の友だちが親戚のお兄さんから聞いた話っていうのを有賀から教えてもらったんです」
「謎の伝言経路だなあ」
東堂さんはワハハハと笑って、イタタタと頭に手をやり、「大いに関係あるよ」と言った。
「そのときの責任を取って辞めた先生の名前が東堂なんだそうです。航太君もぼくも有賀も、てっきり東堂さんのことかと思ったんですが、お兄さんの方だったんですね」
「そうだね。人体模型が燃えたのは兄のせいなんだ。それは間違いない。でも、教師を辞めた本当の理由は兄自身が教師に向いていないと自覚したからなんだ」
そうだった。克己さんもそう言っていた。
だとすると航太君が聞いてきた話と微妙にかみ合わないのではないか。
「わけがわからないって顔だね。実はボクも真相を知ったのはついさっきなんだ。ある人がお見舞いに来てくれてね。当時のことをくわしく教えてくれたんだよ」
「ある人?」
「それはあとで教えよう。どうせ守山君は暇だろうし、見ての通りボクも退屈だ。順を追って説明しよう。ほら、突っ立ってないで、その椅子に座りなさいな」
「あ、はい」
ぼくはさっきまで有賀の座っていたパイプ椅子に腰を下ろした。
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