4-10
持ち物検査の翌日、それはまさしく手鏡を没収した女子生徒が亡くなった日の翌日でもあるんだが、朝の会のために兄が教室に入ると、教卓の上に一枚のメモ用紙が置かれていたんだ。メモ用紙は二つ折りにされていて、そっと開くと、万年筆で書いたと思われる薄いブルーの文字が並んでいた。
あなたが没収した美咲の手鏡は、
美咲に初めてできた彼氏から、
誕生日プレゼントとして贈られた物でした。
どう思う?
そう、ショックを受けるよね。ずしんと重いよね。
普通はね。
後日、このメモのことを知ったボクは兄に聞いてみた。「メモを読んで、その後どうしたんだ?」って。
「どうもしないよ。手鏡の持ち主は亡くなっているんだから、どうしようもないだろ」
これが兄の答えなんだ。
この反応のなさを見て、生徒の大半はがっくりきただろうな。
だけど一部の生徒は脱力するだけでは済まなかった。兄のクールな態度がどうしても許せなかったんだ。以前から兄に対する不満もたまっていたんだろう。それが手鏡の一件で発火点を越えてしまった。
同じ思いを持つ生徒たちが集まり、亡くなった女子生徒の無念を晴らしてやろうということになった。
集まった有志一同は、同じクラスに在籍している学年トップの秀才に協力を求めた。彼は素行不良ではあったがおそろしく頭が良くて、クラスメイトだけでなく教師たちにも一目置かれる存在だったらしい。彼も手鏡のことは知っていて、兄の強引な没収には納得できずにいたことから、持ち物検査の最後に、「人間はいつ死ぬかわからない。今日の帰りに交通事故で死ぬ可能性もあるぞ」と、かなり過激な言葉を投げたということだ。それは兄に対する彼なりの抗議だったんだが、まさかクラスメイトの女子生徒がその日の帰りに交通事故で死んでしまうとは想像もしていなかっただろう。
以来、彼はずっと苦しんでいた。なんであんなことを言ってしまったのかと。
兄とは違って彼はごく普通の感性の持ち主だったんだ。
そんなときに有志一同から持ちかけられた協力要請は、彼にとって救いの声だったのかもしれないね。
彼という強力なブレーンを得た有志一同によって綿密な計画が練られた。入念な準備を経て、計画は実行に移されることになった。
今日の昼休み、一二時四五分に、
理科準備室の窓から向かいのマンションの屋上を確認してください。
くれぐれも時間厳守でお願いします。
そのメモが教卓の上に置かれたのは、女子生徒が亡くなって約一ヶ月が経ったときだった。
メモを読んだ兄は、指定された時刻の三分前に理科準備室に向かい、指示に従い窓際に立って外を見たそうだ。向かいのマンションまではグラウンドと車道を挟んでかなりの距離がある。屋上にだれかいるのだろうかと目をこらしたけれど人の姿はない。そのとき視界の隅でチカリと何かが光った、見ればグラウンドと外部を隔てるネットの根本あたりに白くまぶしい光源が一つある。何だろうと目を細めて見ていると、光はすうっと消えてしまった。
そのときの兄は、メモにあった指示と校庭の片隅で一瞬光った何かに関連があるとは思わなかった。でも何が光ったのかは気になったので、放課後を待って、光源があったと思われる場所へ行ってみた。そこには直径十センチ足らずの丸い手鏡があった。よく見ると鏡の後ろには高さ二十センチほどの細長い金属製の支柱が取り付けられていて、その支柱は地面に突き立てられていた。指先で鏡に触れてみると、見た目よりもしっかりと固定されていてびくともしなかった。
これは何を意図したものなのか。
ヒントになりそうな物はないかと周囲を見渡した兄は、同じような支柱付きの手鏡が、数メートル程度の間隔をおいてあたりにいくつも並んでいることに気がついた。手鏡は雑草に埋もれるように、あるいはネットを支えるコンクリート柱に寄り添うように、つまりは目立たないように置かれていた。ざっと見ただけで三十以上ある。それぞれの鏡の形状や大きさはまちまちだが、ヒマワリ畑の花のように鏡面はすべて同じ方を向いていた。
ここで兄は首をかしげた。理科準備室で兄が見た光は一つだけだったからだ。
兄は振り返り、グラウンドの向こうにある校舎までの距離と角度を確認した。次に十二時四十五分の太陽の位置を思い浮かべた。ざっくりとした目測ではあるが、ここにある手鏡に反射した太陽光は、すべて校舎三階にある理科準備室の窓の周辺に集められることになりそうだ。
そういうことか。
兄は頭の中で計算をした。ここから理科準備室の窓までは直線距離でおよそ50メートル。仮に鏡の角度が1度ずれたとすると、50メートル先に届く反射光は約87センチずれることになる。人間の頭部程度の大きさを正確に狙うなら、鏡の角度を0・2度以下の精度で設置しなければならない。だが、鏡の向きがそこまで正確ではなかったため、狙い通りに反射光が届いた鏡は一枚だけとなったのだ。
だが、もしもすべての鏡が正確に設置されていたなら、危うく大やけど負うような、下手をすれば失明するかもしれない事態となったはずだ。
それほどまでに生徒の恨みをかってしまっていたのか。
兄はこの時点で、自分は教師に向いていないということを自覚したんだと思う。
教師に向いていないのであれば、このまま教師を続けることは自分にとっても生徒にとっても不幸である。ならばさっさと辞めてしまおう。だけど辞める前に、「きみたちのやったことは一歩間違えれば傷害事件となっていたかもしれない危険な行為だったのだ」ということを警告しておかなければならない。
しかし、今となっては自分の言葉は生徒たちの耳には届かないだろうということもわかっていた。
そこで兄は、自分に見立てた人体模型を使って、起きていたかもしれない大惨事のデモンストレーションを行うことにした。
そう、守山君が謎の伝言経路で入手した人体模型発火事件だ。
別に難しい作業ではないんだ。
理科準備室の廊下側の鍵を内側から施錠する。次に人体模型の顔をガスバーナーで炙って焦がす。この時点でかなりひどい臭いが室内に充満しただろうね。その人体模型を理科準備室の窓際に立たせる。ああ、それは大丈夫。理科準備室の火災報知器はね、室内でガスバーナーを使った程度では反応しないんだ。理科準備室では実験の準備なんかで火を使うことを前提としているから、熱感知タイプの火災報知器を設置しているんだよ。この種の火災報知器は、センサー近くの温度がかなり上昇しないと火災とはみなさないんだ。
ここまでの準備ができたら、最後の仕上げとして天井にある火災報知器のセンサーをライターであぶって火災報知器を作動させる。校内に警報ブザーが鳴り響くのを確認し、廊下とは反対側のドアから隣接する理科室に移動する。このドアはボタン錠なので、あらかじめドアノブの中央にあるボタンを押し込んでおいてドアを閉めれば施錠される。これですべてのドアが施錠された無人の理科準備室で人体模型が発火したという状況ができあがる。
しばらくすると大勢の人が集まってくる。少し遅れて駆けつけた教頭たちが理科準備室に入ったタイミングで理科室の後ろのドアからそっと廊下に出る。廊下に詰めかけた野次馬たちは理科準備室の方に気持ちが向いているから、だれにも気づかれないままその場を立ち去ることができる。いや、できたんだそうだ。
理科準備室の窓際に置かれていた人体模型の頭部が突然燃えたらしい。
その噂はあっという間に学校中に広まったはずだ。
そして兄のクラスの生徒には大きなインパクトを与えたことだろう。
いろんな意味でね。
その後、理科準備室での火の不始末の責任を取りますと申し出て、兄は学校を辞職した。校長からは形だけの慰留をされたが、思いの外すんなりと受け入れられて拍子抜けしたよと笑っていたな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます