4-06
東堂塾に戻ると有賀はすでに帰宅しており、西川さん一人が教室に残っていた。
「お疲れさん。とりあえず座りなよ。まだ少しならいいんだろ」
壁の時計を見ると九時を少し回っていた。まだ大丈夫だ。
招かれるままにコーヒーカップの置かれた長机の前に座る。淹れたてのコーヒーからやわやわと立ち上る湯気越しに西川さんと目が合った。
「手術は上手くいったそうだね」
「はい。出血していたところは問題なく処置できたそうです。今夜はお兄さんが付き添われるので、麻酔から覚めたら連絡をもらうことになっています」
「とりあえずは一安心だな」
「ですね」
「それにしても、あの東堂さんが交通事故とはね。こんなこと言うと叱られるかもしれないけど、似合わないというか意外というか」
それはぼくも同感だった。交通事故に似合うも似合わないもないけれど、東堂さんはそういうアクシデントからは遠い位置にいる人というイメージがあった。
「もう一つ意外だったのは、東堂さんにお兄さんがいたってことだな。東堂さんが弟っていうのがね」
「わかります。一人っ子か長男ですよね」
「そもそも兄弟とか家族とか、そういうものを感じさせない人だからなあ」
「名前が辰巳っていうのも初めて知りました。西川さんは知ってましたか」
「さすがにそれは知ってたよ。守山君は知らなかったのかい」
「東堂さんは『東堂さん』だと思ってましたから」
「まあ、わからなくはないけど」
手術が成功したという安心感が、ぼくたち二人を普段よりも饒舌にさせていた。
「東堂さんのお兄さんが中学校の先生だったってことは知ってましたか」
「そうなの? っていうか、お兄さんがいるってこと自体を今日知ったばかりだから」
「それもそうですね」
「で、どこの中学校?」
「あ、今はもう先生じゃないんです。九年前に辞められています」
「そうなんだ」
ここで電話がかかってきた。電話は生徒の保護者からで、明日以降の塾はどうなるのかという問い合わせだった。西川さんが対応している間、ぼくは暗い窓をぼんやりと見ていた。ガラスに映った左右反対の時計は十時少し前を示していた。そろそろ親が心配し始める時間だ。
「今日はこれで帰ります」
西川さんは受話器を耳に当てたまま片手をあげて応えてくれた。
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