4-02

 後藤真一、国語担当、二十二歳、彼女なし。


 有賀航太の周囲では、「今年の教育実習の先生は当たりだね」という声が圧倒的である。特に男子の間での評価が高い。


 最初の授業での自己紹介によれば、身長は百七十センチとのことだが、たぶん一センチか二センチさばを読んでいる。特別イケメンというわけでもなく、板書の字は小学生みたいで、肝心なところで言い間違いをするし、運動も苦手らしい。高評価となる要素はどこにもないのになあと思うのだが、真逆の条件を備えた人物を想像してみると、それはなんだか嫌なヤツだった。


 今日は教育実習の最終日ということで、給食の後片付けが済むと後藤先生の周りには男子の人だかりができていた。


「教育実習が終わったら、大学に戻るの?」

「そうだよ。大学で僕を待っているのは、再履修の講義を受けたり、ゼミに参加したり、卒論の資料をまとめたりする学生生活だな」

「なんか大学生みたいじゃん」

「僕は大学生だって。まあ、老けて見えるってよく言われるけどね」

 みんながどっと笑う。

「センセーは学校の先生にならないってほんと?」

 それまでじっと話を聞いていた一人の男子が、遠慮がちにたずねた。

「よ、よく知ってるな」

 後藤先生の反応に、男子生徒たちが一斉に騒ぎ出す。

「ええっ、本当かよ」「なんで? ねえ、なんで?」「先生になったらいいのに」「そうだよ、なりなよ」


 航太もみんなと同意見だった。生徒の質問にはしょっちゅうしどろもどろになるし、指導教官の森脇先生には授業のたびに毎回注意されている。でもそれは見習いなんだから仕方がないと思う。もし、そんなことで、「自分は教師に向いていないんじゃないか」とか考えているなら、気にしなくていいよと言ってあげたい。


「先生になんないのに、なんで教育実習に来たのさ」


 角度を変えたその質問は、全員が聞きたかったことらしく、あーだこーだ言っていた男子八人が一斉に話をやめた。

 後藤先生はあごに手を当て、うーんと唸る。


「テツたちがふざけすぎたから、先生になるのが嫌になったとか」

「それはないない。僕が中学生のときはもっとやんちゃなクソガキで、授業中もふざけてばっかりだったからな。そんな僕から見たら、みんな真面目で勉強熱心だよ」

「じゃあ、なんで先生になんないのさ」


 後藤先生は顔を上げ、自分を取り囲む男子生徒たちの背後をぐるりと見渡した。航太もつられて振り返る。さっきまで教室の後ろでひそひそ話をしていた女子五人の姿がない。今、教室に残っている生徒は、後藤先生を取り囲む八人の男子だけとなっていた。


「ここだけの話だぞ」

 後藤先生は声のトーンを落とし、男子たちにもう少し近くに寄るよう手招きをした。

「この中学は僕の母校だって話は自己紹介のときにしたよな」

 八つの頭が同時に上下する。

「今から九年前、僕が二年生だったときの話なんだけど――」


 後藤先生の話は、ある朝に行われた持ち物検査に関することだった。

 初めの方はドキドキしながら事の成り行きを聞いていた航太だったが、話が進むにつれて担任の態度や話しぶりにだんだん腹が立ち始めた。


「――というわけで、たぶん、大半の生徒が正直に不要物を提出したと思う。今なら永久に没収とか、卒業まで預かるなんてことをしたら問題になるかもしれないけど、当時はそういうことも許される風潮だったんだ。とはいっても、僕だって理不尽だなと腹は立ったよ。でも心のどこかで校則だから仕方ないなってあきらめてもいた。それから、まあいろいろあって、一時預かりになった不要物は一つも戻ってこなかったんだ」

 ええーっ、と不満の声があがる。

 後藤先生の話を聞くうちに、まるで自分が持ち物検査で不要物を没収されたような気持ちになっていたのかもしれない。それは航太も同じだった。


「そんなの詐欺じゃん。だってさ、その担任は責任を持って預かるとか、ちょんと返すとか言ったんだろ」

「まあね」

「センセーはそれで納得したの? 他の人たちは?」

「そもそも没収に納得してないよ。こづかいを貯めて買ったマンガだったからね。でもさ、そういう思い入れのある物を没収されたヤツと、どうでもいい物を没収されたヤツとでは温度差があるのは想像がつくだろ。一年半前のチョコレートなんて返してもらってもそのまま捨てるだけだろうし」

「そんなことはどうでもいいよ。その担任はなんで返さなかったのさ」

「まあいろいろあったんだ。その辺のくわしいことはここで言えないんだよ。言わなくてもこの先の話をするのに不都合はないから安心していいよ」


 この先の話ってなんだっけ。

 航太はそもそものところがわからなくなっていた。

 後藤先生はいったん話を止めて首をこきこきと鳴らした。


「成人式って知ってるだろ。あれって、式が終わった後は、地元の小学校とか中学校の同窓会に流れるっていうのがお決まりなんだ」

「なんだよそれ。話が飛びすぎじゃん」

「まあ聞きなさいって。それでだ、僕も成人式の後に中学校の同窓会に参加したんだ。駅前ホテルの雅の間が会場でね、そこで久しぶりに会った面々と近況報告したりしてね。ああ、懐かしいななんて思ったりしてたんだ。そうするうちに二年生のときのクラスメイトが何人か集まってきて、さっきの持ち物検査の話になったわけだ。君たちには言えないその後にいろいろあった件とかも当然話題になった、で、最後はみんなの意見が一致したんだ。返ってこなかったあの不要物、まだ学校にあるんじゃないかってね」


 その学校って、この学校のこと――だよな。

 航太と男子たちは互いに顔を見合わせた。


「もう話の先は読めただろう? 僕の場合は教師になるための教育実習じゃなくて、母校で堂々と探し物をするための教育実習だったんだ。まあ、せっかくだから教員免許は取ろうと思ってるけどね」

「それで、見つかったの?」

「ん?」

「ん? じゃないよ。没収された不要物だよ。センセーがまだ読まないうちに取り上げられたマンガだよ」

「ああ、見つかったよ。教職員にしか入れない資料室で見つけた。ミッション成功だ」

「それ、どうすんの」

「どうって?」

「見つけて終わり? みんなに返さないの?」

「やっぱり返した方がいいかなあ」

「そりゃそうだよ。そのまま戻したら見つけた意味ないじゃん」

「そうなんだけどね」


 なんだか歯切れが悪い。


「そうか、全員に返すのが面倒くさいんでしょ」

「僕一人だと大変だけど、さっき言ってた同窓会のときのメンバーに声をかけて手分けすればなんとかなるかな」

「じゃあ、なんでしょぼくれてんのさ」

 後藤先生は天井を見上げてため息をついた。

「くどいようだけど、今から言うこと、絶対に内緒だって約束できるか」

「できる」「だれにも言わない」

「だれにも言わないって言うヤツほど先頭に立って言いふらすんだよなあ。と言ってる僕自身がそういうヤツなんだけどね。でもまあ、名前を出さなきゃいいか」

「じらさないでよ」

「その日の持ち物検査で、彼氏にもらった手鏡を没収された女子がいたんだ」

「最悪じゃん」

「今回見つけた没収品の中で、僕が一番返してあげたいのがその手鏡なんだけどね。残念ながら返すことは不可能なんだよ」


 嫌な予感。

 だれかがゴクリとつばを飲み込む音が聞こえた。


「その女子は、持ち物検査があった日の放課後に、交通事故で亡くなってしまったんだ」


 黙り込んでしまった八人の男子に向けて、後藤先生は話を続けた。

「事故の知らせを聞いて女子全員が泣いたよ。男子で泣くヤツはいなかったけど、泣かない分、怒りの度合いは女子を上回っていたんじゃないかな。だれともなしに、担任に仕返しをしようという声が上がった。男子はほぼ全員がその場で賛成し、女子からも賛同者が少なからず出たはずだ」

「仕返しって、何をやるの?」

「いろいろ相談して、手鏡の没収に対する仕返しは手鏡でってことになった」

「手鏡を使った仕返しって?」

「具体的なことはちょっと言えないかな。君たちがまねをするとは思わないけどね」


 そんな言い方をされるとかえって気になるよと航太は思ったが、ここまでの流れから、無理に聞かない方がいいような気もした。他の男子たちも同じ考えなのか、だれも文句は言わなかったし、不満そうな顔さえしなかった。


「その仕返しは成功したの?」

「それがね、まあ、狙い通りのことはできたんだけど、それ以外に想定外のことが起きてしまって騒ぎも大きくなって――まさか、あんなことになるとはなあ」


 昼休み終了のチャイムが鳴った。

「おっと、五時間目の授業の準備をしてないや。また森脇先生に叱られるよ」

「それっていつものことだし」

「それもそうか。でもまあ、準備が遅れると三組に迷惑かけるから行くわ」


「最後に一つだけ教えてください」

 航太は思いきって言ってみた。

 後藤先生が振り返る。

「想定外のことって何だったんですか」

 後藤先生の目が泳いだ。迷っているんだなと航太は思った。

「ヒントだけでもいいか」

「はい」

「今から九年前に理科準備室で起きた事件を調べてみな。僕から言えるのはここまで」


 そう言うと、後藤先生は逃げるように教室から出て行った。


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