3-16

 飯塚さんとは有賀宅の前で別れた。


 これから塾に戻るという東堂さんとは三ブロック先まで一緒に歩く。時間にすればたぶん五分ぐらいしかないが、聞きたいことがいくつもある。何から聞こうかと思案していると東堂さんの方から声をかけられた。


「守山君は、『魔性の女』と聞いてどんな女性をイメージするかな」

 いつものことだがタイミングも内容も唐突である。

「魔性の女って、いわゆる魔性の女ですか?」

「今、守山君の頭の中でぼんやりと浮かんだやつだ」

 ぼんやりと浮かんだそれを具体的に口にするのは、たとえ相手が東堂さんとはいえ少々抵抗がある。でもまあ一言で表現すれば、色っぽいお姉さんだ。


「まさかむちむちのグラマーで、フェロモンむんむんで、瞳がうるうるしていて、なんて女性を思い浮かべてはいないだろうね。それはただの色っぽいお姉さんだからね」

「色っぽいお姉さんと魔性の女は違うんですか」

「良い質問だ。魔性の女の定義を『なぜか多くの男性を虜にしてしまう魅力的な女性』だとして考えてみようか。守山君は今頭の中で思い浮かべたような色っぽいお姉さんが好みのタイプかい? 誰にも言わないから正直に答えてごらん」

「好みかと言われれば、好みではありませんね。むしろちょっと苦手かも。でも目の前に現れたら気にはなりますけど」

「正直でよろしい。ちなみにボクもタイプではない。つまりこの場にいる男性からの支持率はゼロだ。多くの男性を虜にするという定義はあてはならないことになるね」

「世間一般の男性と比べて、ぼくたちが少々ずれている、ということは考えられませんか?」

「大いに考えられる。そこでだ、少々ずれているボクたちのことはいったん忘れて、世間一般の男性にとって、魔性の女とはどのような女性なのかということを考察してみよう」

「ずれてるぼくたちの考察で大丈夫ですか」

「今はネットという情報源がある」


 東堂さんはスマートフォンで「魔性の女」を検索してみろと指示をした。言われた通りの操作をすると、似たようなタイトルのサイトがずらりと表示された。

「出ました」

「そこに書かれているのが世間一般の平均的な人たちが思い描いている魔性の女像と考えればいいだろう」

 なるほどと納得して、いくつかのサイトを開いてみた。そして東堂さんのために、画面に並ぶ言葉を順に読み上げる。


 魔性の女の特徴とは――

 色っぽい、計算高い、あざとい、猫のように気まぐれ、群れない、ミステリアス――


 色っぽいも特徴としてちゃんとある。だけど、こうして列挙されるとなんだか違和感を覚えてしまう。世間一般の男性の多くは、本当にこういうタイプの女性に魅力を感じるのだろうか。やっぱりぼくは少数派なのか。


「今ひとつぴんと来ないという顔をしているね」

「わかりますか」

「キミはいろいろとわかりやすいからなあ。でもね、その感覚は正しいよ。色っぽいも、猫のように気まぐれも、たしかに魅力の一つではあるだろう。でも、そういうわかりやすい特徴が見えてしまった時点で、もうその女性は魔性の女とはいえないだろ。はっきりとした理由はわからないけれど、男たちがメロメロになってしまう何かを持っているからこその『魔性』という表現だからね」


 なるほど。これまで魔性の女というものを突き詰めて考えたことはなかったけれど、今の説明でその輪郭がはっきりしたように思う。

 で、それがどうしたというのだろう。魔性の女についての理解は深まったが、相変わらず話の意図がまるで読めない。


「というわけで、飯塚さんはなぜか多くの男性を惹きつけるんだ。今回のことはね、飯塚さんのそういう部分が事の発端になったということだ」

「え、ちょっと待ってください。飯塚さんが魔性の女ってことですか」

「つぐみさんからの話を守山君経由で聞いた時点で、そうではないかと思っていて、今日、本人と会って間違いないと確信した。彼女はやばいよ」

「あの飯塚さんが」

「意外かい?」

「意外です。だって全然そんな感じではありませんでしたよ」

「だからこそだよ。一見、これといった特徴もなくて、地味でおとなしい感じなのに、一年の間に四人の男子生徒から告白されているんだよ」


 言われてみればその通りではある。


「魔性の女は男を惑わし、対抗意識を抱いた女性を自滅させてしまう。本人にその自覚はないままにね」

「それって、いろいろと危険ですよね」

「危険だね。でも幸いなことに、飯塚さんにはつぐみさんという友だちがいるから、まあ大丈夫だろう」

「有賀が頼りになりますか」

「つぐみさんだからいいんだよ。それにキミもいるからね」


 どういう意味だ。


「そんなわけで、キミたちのフォローを期待しつつ、本人にも自分の影響力というものを知ってもらってもいいかなと思って、今回はああいう説明にしておいたんだ」

「しておいた? まさか、あれも作り話なんですか」

「作り話というか、まあ一つの説だね。選択肢は少しでも多い方がいいだろうと思って、つぐみさんの二つの説とは少し角度を変えたやつにしておいた。だって飯塚さんはつぐみさんの妄想説・パラレルワールド説では納得できなかったから、ボクの話を聞いてみようかなと思ったわけだろ。じゃあボクから提示するのは現実的な説じゃなきゃ意味がない。名称をつけるなら魔性の女説ってとこかな」

「説って? ちょっと待ってください。東堂さんのさっきの説明、どこまでが事実なんですか」

「事実? そりゃあ、城崎きのさきさんがいなくなってしまったってことだろ」

「それだけなんですか。そうだ、城崎さんが転校したっていうのは塾の昔の教え子さんからの情報なんでしょ」

「教え子? ああ西川君のことか。さっき飯塚さんにも言ったけど、彼からは二年一組の雰囲気なんかを教えてもらっただけだ。そもそも西川君は今の二年一組のことも城崎さんのことも知らないからね」

「え? え? 西川君って、東堂塾でバイトをしている、あの、地縛霊の西川さんですか」

「地縛霊の西川さんっていう表現はどうなんだろうか。まあ、その西川君だよ。彼はとても優秀な生徒でね、飯塚さんや城崎さんと同じ高校の理系選抜クラス――二年一組に在籍していたんだよ」


 なんということだ。西川さんは大学の二年生だから、その二年一組にいたのは三年前のことではないか。


「つまり、城崎さんが転校したというのも、クラスのみんなに口止めしたというのも、すべて東堂さんの作り話なんですね」

「やっぱり作り話っていうのは響きが軽いなあ。魔性の女説って言おうよ」

「もしこの先、飯塚さんが二年一組のだれかと話をして、東堂さんの説明とは違う事実を知らされたらどうするんですか」

「どうもしないよ。あくまでも説だもの。それにね、飯塚さんがボクの説を受け入れることにしたのなら、今後、二年一組の人と関わりを持とうとはしないだろうさ」


 東堂さんは立ち止まり、ぼくと正面から向き合った。


「いいかい、守山君。人の悩みというのは、過去のことをうじうじと後悔するか、将来のことをどきどきと心配するかのどちらかだ。でもね、過去というのはただの概念であって、実体はどこにもないんだよ。過去は変えられないなんてよく言うが、そんなことはない。過去の居場所は一人一人の頭の中にしかなくて、その内容は人によって異なり、時間とともにどんどん改ざんされていく。記憶が薄れれば過去も消えていく。過去は不変ではなく可変なんだ。それは未来についても同様だ。いや、未来なんてものはまだ存在していないのだから可変ですらないね。変化する元がないのだもの。現実にあるのは『今』というこの瞬間だけなのさ。

 人は『今』を生きている。この『今』を、さらにはやがて来る『今』を、いかにより良いものにするのかというのが大切なんだ。『今』の質を貶めるような過去ならば、消してしまうか、好ましいものに書き換えてしまえばいい。そのサポートをしたのが今回のボクの役割だ。だからボクの説明が事実かどうかはたいした問題じゃない。説明を受けた飯塚さんが納得できるかどうか、納得することで過去という呪縛から解放され、前を向けるかどうかが重要なのさ。

 つぐみさんの妄想説が実は本当で、城崎さんという人物は飯塚さんの妄想の中だけの存在だったかもしれない。それでも飯塚さんがボクの魔性の女説を受け入れるというのなら、それはそれでなにも問題はないだろ。どの説を選ぶにしても、この先飯塚さんは城崎さんとの過去のことで思い悩むことはないし、飯塚さんの未来に城崎さんが暗い影を落とすこともない。だから今回の件はこれにて一件落着。あ、飯塚さんが魔性の女だってことに関してはまた別件だから、そこはつぐみさんと守山君とでフォローしてあげるといい」


 東堂さんは、「ではでは、ボクはこれから塾の先生なんで」と言って右手を軽くあげ、横断歩道を渡って行ってしまった。


 ぼくはその場に突っ立ったまま、青信号を三回ほど見送った。東堂さんのやり方には毎回戸惑うが、今回はいつにも増して混乱させられた。いや、いまもまだその余韻の中にいる。

 飯塚さん自身の問題が解決したということは理解した。で、結局、城崎さんはどうなってしまったのか。存在すらしなかったのか。まさか、もう一つの世界ごと消えてしまったのか。それとも本当に転校したのか。よく考えてみれば結論は何も出ていない。


 事実がどうであったかは大したことではなく、三つの候補から好きなものを選べばいいと東堂さんは言う。たしかに飯塚さんはそれですっきりしただろう。有賀宅の前で別れたときの飯塚さんの表情がそれを物語っていた。有賀もほっとしていることだろう。

 そして今回もまた、ぼく一人だけが取り残されてしまったようだ。

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