3-15
東堂さんは、「ちと休憩」と言って、座ったまま大きく伸びをした。
それまでじっと東堂さんの説明に耳を傾けていた飯塚さんが、自分に言い聞かせるかのように小さな声でつぶやきはじめた。
「公園で見かける
学校での城崎さんは、いつも多くのクラスメイトたちに囲まれている。そしてわいわいと盛り上がっている。そんな学校での城崎さんとはまるで別人のようだった。
たしか飯塚さんはそんな風に表現していたはずだ。
「ショッピングモールですれ違った城崎さんは、一年間ずっとそうしてきたことで、私のことが目に入っても見えなくなっていたんですね。でも、転校する前の日に、私が公園にいた城崎さんに声をかけたとき、それが私とは知らずに振り向いてしまって――」
「そういうことです」
東堂さんは飯塚さんのつぶやきを引き取る形で説明を再開した。
「聞こえないはずの声に反応して、合うはずのない目を合わせてしまったことで、城崎さんが設定し、ずっと維持し続けてきたた世界は終わりを迎えました。幸いなことに、飯塚さんはその場を逃げ去ってしまったので会話を交わさずに済みましたが、一人残された城崎さんはしばし放心状態となり、そして、すべては自分の独り相撲だったということに気づいたのです。一年以上もの間、自分の世界に飯塚さんは存在しなかったけれど、当然ながら飯塚さんの世界に自分は存在していた。飯塚さんのことがまるで見えていないかのように振る舞う自分の姿は実に不自然なものだっただろう。飯塚さんは困惑したに違いない。いや飯塚さんだけではなく、周囲のクラスメイトたちも薄々には気づいていたはず。飯塚さんに対する意味不明な扱いを――
こうして考えれば考えるほどに、城崎さんはこれまで自分が取ってきた行動が異常で、恥ずかしいことだったと気づかされ、いたたまれなくなってしまいました。そしてこう思ったのです。これまでの自分を知る人たちのいるこの世界から消えてしまいたい、と」
――この世界から消えてしまいたい。
そのフレーズは、不穏な響きとなって部屋の中にしばし留まった。
「翌日、城崎さんは朝のホームルームの時間だけ教室に顔を出し、転校のあいさつをしました。担任の先生が教室を出た後で、あらためてクラスメイト全員に、あるお願いをしました。
もし、二年五組の飯塚さんという人が私のことを訪ねて来たら、城崎なんて人は知らない、そんな人は元々いないと言ってほしい。そしてみんなも、城崎という人間のことは忘れて欲しい。最初からいなかったことにして欲しい。なぜこんなお願いをするのかって変に思うだろうけど、どうか理由は聞かないでください。最後に変なお願いをしてごめんなさい。
二年一組の生徒たちには、自分たちは選ばれた存在だという強い自負心と仲間意識があります。城崎さんの最後のお願いは、理由を問いただされることなく、その日の内に実行されました。こうして城崎さんは、飯塚さんの世界から消えることができました。
――ボクからは以上です」
しばらくの間、だれも言葉を発しなかった。
それぞれが、それぞれの立場で、東堂さんの説明を反芻していたのだと思う。
「東堂さんに一つだけお願いがあります」
飯塚さんは座布団の上で居住まいを正して言った。
「なんなりと」
「以前東堂さんの塾にいた生徒さんが、私と同じ高校に入学し、二年一組になったとおっしゃいましたね」
飯塚さんのまっすぐな視線を受け止め、東堂さんはうなずいた。
「その人は、今回のことで、私が東堂さんに相談させていただいたことをご存知でしょうか」
「知りませんよ。彼からは二年一組の雰囲気なんかは教えてもらいましたけど、こちらから飯塚さんのことは一切伝えていません」
その返事を聞いて、飯塚さんの肩がすとんと落ちた。
「城崎さんからの二年一組の人たちへの最後のお願いを、私が知ってしまったということを、その人には伝えないでおいてもらえないでしょうか」
「了解です。最初にも言いましたが、今日、この部屋で話されたことは、ここにいる四人だけの胸に納めておくことにしましょう。つぐみさんと守山君もそれでいいね」
ぼくと有賀は同時に、「はい」と言った。
飯塚さんは座布団の上で膝を滑らせぼくたちの方に向き直り、「ありがとうございます」と言った。
そのすっきりとした表情を見て、ああ、この人はもう大丈夫だなと思った。
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