3-14
なんだその質問は。
とまどったのはぼくだけではない。有賀ですら困ったような顔をしている。でも、飯塚さん自身は特に気にする風でもなく、「よくご存じですね」と素直に感心したようだ。
「これまでにうかがっている話から、そういうことがあったんじゃないかなと推測したんですよ」
「推測だったんですか? さっきおっしゃってた、塾の生徒さんだった方からお聞きになったのかと思いました」
「ということは、学校内では多くの人が知っているエピソードなんですね」
「そうみたいです。一時期、そのことでいろんな人からあれこれ言われました」
「なるほど。もしかすると、告白されたのはその人からだけではない?」
「――はい」
「さしつかえなければ、人数だけ教えてもらえませんか」
飯塚さんは顔を伏せた。その視線は膝に置いた自分の右手に向けられた。右手はいったん広げられてから、親指、人差し指と端から順に折りたたまれ、最後に小指だけが残った。
「全部で四人です」
「OKしたことは?」
「ありません」
「四人とも好みではなかった?」
「そういうのではないんですけど、まだそれほど話したこともないのに、好きですとか、付き合ってくださいとか言われても、なんだかピンと来なくて」
「ごもっともです。ちょっと古い言い方ですが、『まずはお友だちから』ですかね」
「私の感覚、古いのでしょうか」
飯塚さんは小さく首をかしげる。
「古いとか、今風だとかを気にする必要はないと思いますよ。こういうことは人それぞれですから、無理に周囲に合わせる必要はありません」
「よかった。東堂さんにそう言ってもらえると気持が楽になります」
飯塚さんは胸に手を当て、ほっと息を吐くゼスチャーをしてみせた。
「ところで
「城崎さんに彼氏――ですか。たぶんですけど、一年生の間はいなかったと思います。でも私はそういうことには疎いので、気づいていないだけかもしれません」
「ではいなかったのでしょうね。飯塚さんが告白されたことを多くの人が知っていたことから考えて、城崎さんのような有名人に彼氏がいればみんな知っているはずです」
なんだろうこのやりとりは。東堂さんが無意味な質問や説明をするとは思えないが、ここからドッペルゲンガーの話にどうつながっていくのか、まるで見当がつかない。
東堂さんは、「続けますよ」と言って説明を再開した。
「城崎さんは男女を問わずみんなの人気者でした。一方で、恋愛面――いわゆる浮いた話には縁がなかった。それは不思議なことのようにも思うかもしれませんが、単純にいかないのが恋愛感情というものの面白いところです。誰に対しても分け隔てなく接し、他人の悪口を言わず、自慢をしない。相談事には親身になって耳を傾け、人の嫌がることを率先して引き受ける。ここまで完璧だと、高校生男子たちの恋愛対象からは外れてしまうのですね」
東堂さんの言わんとすることはわかる。異性に惹かれるポイントというのは、必ずしも優しさや美しさだけではなく、どこか足りなかったり、歪だったりというマイナスな要素もスパイスとして必要なのだ。
虫が好きで、甘いものが苦手。小さな子どもに人気があり、流行には無頓着。
目の前に座っている妄想女子もなかなかスパイスが利いている。
「そんな城崎さんの周辺で、入学早々、同じクラスの女子生徒が男子から告白されたという噂が流れました。やっと顔と名前が一致し始めたかどうかという時期に告白されるなんて、よほど男好きのするタイプか、アイドル顔負けの超美形なのだろう。でもそんな女子生徒が同じクラスにいただろうか。そう考えたのはおそらく城崎さんだけではなかったはずです。ほどなくその女子生徒が飯塚さんであることが判明します。失礼なのを承知の上で言いますが、飯塚さんは一見すると特に目立つところのない、ごく普通の女子高校生です。心のどこかで構えていた城崎さんは、意外に思うとともに拍子抜けし、そしてほっと胸をなで下ろしました。たぶん、その男子は中学時代から飯塚さんのことを意識していたのだろう。同じ高校に入り、クラスも同じになったのをきっかけに、思い切って告白したってところかな。城崎さんは、そんな風に自分を納得させたかもしれません」
聞きようによってはずいぶん失礼な話だと思うが、飯塚さんは気にする風もなく、東堂さんの話に聞き入っている。
「ですが飯塚さんに告白する男子は一人だけではありませんでした。その後も、クラスの誰々君が飯塚さんに告白して振られたらしい、という話が何度も城崎さんの耳に入ってきます。城崎さんには、一見地味な感じの飯塚さんがこれほどまでに男子に人気がある理由がわかりませんでした。この疑問は城崎さんの心に隅に引っかかったまま少しずつ大きく育ち、いつしか飯塚さんに対する苦手意識へとつながります。男女を問わず、誰に対しても分け隔てせず接するというのが城崎さんの基本的なスタンスでしたが、飯塚さんにだけは声をかけることができなくなってしまったのです。飯塚さんのことが気にくわないとか、妬ましいといった、明確な負の感情によるものではありません。ただ、飯塚さんと接し、言葉を交わすようになると、これまで表面化していなかった自分の中にある『女』としての嫌な部分が出てきてしまうのではないか。もしそうなれば、それは自分だけでなく周囲の人たちにも伝わってしまうのではないか。なあんだ、城崎さんもやっぱり普通の女子だったんだね。ちょっとがっかりだな。そんなささやきが自分の周囲で交わされるかもしれない。そうなっても、今のように平然と毎日を過ごせるだろうか。
城崎さんは大丈夫と言い切るだけの自信が持てませんでした。葛藤の末、城崎さんは自分の世界から飯塚さんの存在を消去することを選択しました」
「私の存在を消去――ですか」
「飯塚さんをクラスや学校から追い出すという意味ではありません。あくまでも城崎さん自身の意識の問題です。飯塚さんの姿が目に入っても、それは風景の一部として見えているだけで、クラスメイトとしては認識しない。飯塚さんの名前や噂が耳に入っても、意味を持たない雑多な生活音の一部として聞き流す。そんな感じです。それはイジメの一種である無視とは違うのです。無視とは対象の存在を意識して行うものですが、城崎さんは意識すること自体をやめてしまおうとしたのです」
少し回りくどい説明だが、言いたいことはなんとなくわかった。空気のような存在という表現があるが、そんな風に扱おうということなのだろう。
「そういうことだったんですね」
少し間をおいてから、飯塚さんがつぶやくように言った。
東堂さんの説明にはまだ続きがあった。
「二年生に進級し、城崎さんと飯塚さんは別のクラスになりました。フロアも三階と二階に分かれたので、二人が接する機会はほとんどなくなりました。飯塚さんは少しほっとしたとのことですが、それ以上に安堵したのは城崎さんだったのかもしれません。こうしてしばらくは平穏な日々が続くのですが、城崎さんにはあらたな問題が持ち上がりました。父親の仕事の都合で遠い県外に引っ越すことになったのです。つまり転校しなければならないということです。せっかく県内トップクラスの高校に入り、その中でもさらに選ばれた精鋭クラスに配属されたのに、すべてがリセットとなるのです。担任からは、引っ越し先にも評判のいい高校があり、ここでの今の成績なら簡単な編入試験で転入できると言われました。両親からはどうしても転校したくないのであれば一人暮らしという選択肢もあるよと提案されました。
学校ではいつも通りの明るく快活な城崎さんでしたが、放課後は通学路の途中にあるもみじ公園に立ち寄り、ベンチで一人、転校するか一人暮らしで今の学校に残るのかについて、悩む日々か続きました。
そして城崎さんは両親と一緒に引っ越すこと――転校を選択しました。
転校と決めた城崎さんに迷いはありませんでした。簡単な編入試験とはいえ、万が一ということがあっては困るので、試験勉強のためにバレーボール部は退部しました。この段階ではじめてクラスメイトたちに転校することを告げました。そして、できればこのことは、クラスの中だけの話に留めておいてほしいと頼みました。二年一組の生徒たちには、自分たちは選ばれた存在だという強い自負心と仲間意識があります。城崎さんの転校のことは一切外に漏れませんでした。
そしていよいよ明日が最後の登校という日になりました。転校を選んだことに後悔はありませんでしたが、やはり寂しさはあります。とはいえ湿っぽくなるのは自分らしくないと思い、いつもと同じように授業を受け、休み時間には他愛のない雑談をして過ごしました。放課後になり学校を出たところで、この通学路の景色もいよいよ見納めかと思うと、急に寂しさがやって来ました。そのまま家に帰る気になれず、気がつくと足はもみじ公園に向かっていました。いつものベンチに腰を下ろし、ぼんやりと夕焼け空を眺めていると、背後から、『あの――』と声をかけられました。振り向いたその先にいたのが飯塚さんだったのです」
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