3-12
東堂さんと二人で有賀の家に向かっている。飯塚さんの話を聞くなら、航太君の部屋がいいだろうということになったのだ。東堂塾では飯塚さんには敷居が高いだろうし、有賀の好きなマクドナルドは込み入った話に向かないから、というのが東堂さんの考えだった。つまり込み入った話になるということだ。
ぼくとしては有賀の家を訪れるのは二回目だし、直接には関わりのない飯塚さんの依頼なので、前回のような緊張感はまるでない。当事者には悪い気もするが気楽なものだ。
「ところで守山君」
大股で歩く東堂さんが前を向いたまま話しかけてきた。
「今日のキミの役割なんだけどね」
「あ、はい」
「ボクがいろいろ話をする間、飯塚さんの表情を観察しておいてほしいんだ」
「表情を――ですか。わかりました」
「あまりジロジロ見ると不審者だと思われるから、さりげなくでお願いするよ」
「はい、さりげなく観察します」
返事をしながらオウム返しとはこのことだなと思った。
「ほう。何のために、とか聞かないんだね」
「ぼくも学習したんですよ。これまでの東堂さんのやり方は、その場では何のためにやっているのかさっぱりわからないことがたくさんありました。でも当たり前ですが、やる理由はちゃんとあって、いつも最後にはなるほどと納得できました。だから、東堂さんからこうしてくれって言われたら、いちいち理由を聞かなくても、言われた通りのことをやっておけば間違いはないかなと」
東堂さんは横目でぼくをちらっと見て、「ふうん」とテンションの低い声を出した。
「言われた通りのことをやっておけば間違いない? まさかキミの口からそんな発言が出てくるとはね。正直がっかりだよ。そういうのを何ていうのか知ってるかい。知らない? 思考停止と言うんだ。ああ情けない、つまらない。少しも学習しない守山君が好きだったのにとても残念だ」
東堂さんを信頼しているという趣旨の話をしたはずなのに、えらい言われようだ。
まあいい。初歩的な質問で呆れられるか、素直に従って手ごたえがないと残念がられるかの違いだけで、結局こうしてお叱りを受けるのである。まだぶつぶつ言っている東堂さんを放置し、飯塚さんってどんな人かなと想像しながら歩き続けた。
「さあ守山君、キミの出番だ」
有賀の家に到着すると同時に、呼び鈴を押すという大役を仰せつかった。
玄関扉の前に二人で並んで立っていると、かすかなスリッパの音が聞こえてきた。パタパタに続いて、ガチャリという鈍い音とともに扉が押し開かれる。
「こんにちは」
東堂さんがさわやかな笑顔を見せ、有賀のお母さんがぺこりと頭を下げる。
「いつも航太がお世話になっております。おかげさまで、この前の数学のテストは九十点取れたって喜んでました」
「航太君は元々数学のセンスがありましたからね。これからまだまだ伸びますよ」
「それで、この前お話をいただいていた英語もお願いしようかと思ってるんですが」
「いいですね。月謝はちょっと上積みになりますけど、お値段以上の成果を期待してください」
「はい、では来週からお願いします」
まるで家庭訪問、いや業務連絡のようだ。もしかすると、「今回は有賀の家で」と強く勧めた理由の一つはこれだったのかもしれない。
「それで、今日おうかがいしたのは――」
「あ、はい。娘から聞いています。どうぞお上がりください」
どうぞどうぞと先導されて階段を上がり航太君の部屋の前までやってきた。
「あれ?」「おや」
ぼくと東堂さんは同時に声を出した。部屋には座布団が四つ並べられているだけで誰もいなかったのだ。
「つぐみはお友だちを迎えに行くって言って、さっき出て行きましたけど、先生には連絡してないんですね。ほんとにあの子はそういうところが――」
「いえいえ、私たちがちょっと早く着きすぎたんです。どうかお気になさらずに」
東堂さんは笑顔を絶やさないまま、柔らかな口調で場を納めた。たぶん、有賀のお母さんには紳士だと思われている。まあ、そうなのだろうけど。
パタパタとスリッパの音が遠ざかっていく。
「航太君はまだ学校ですかね」
「塾だよ」
「塾って、先生の東堂さんはここにいるじゃないですか」
「今日の先生は西川君さ。彼はね、ボクより教えるのが上手いって評判なんだ」
それを自慢げに言うのもどうかとは思うが、あの西川さんならしっかり教えてくれそうだ。
「もうこんな時間か。そろそろ小六の授業が始まってるはずだな。ということで、今から夜の九時過ぎまでうちの教室は使えない。だからこの部屋を貸してもらったのさ。お、つぐみ嬢がお戻りのようだ」
玄関の方から華やいだ女性の話し声が聞こえてきた。そうか、飯塚さんは女の人だったな。声を聞くまではまったく意識していなかった性別を実感し、急に緊張感が高まってきた。
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