3-08

「なかなか興味深い話だね」

 東堂さんはこめかみに親指を当て、頭の中に浮かんだ何かを探るように目を閉じた。


「この話、東堂さん的にはどう思われますか」

「今の説明につぐみさんの想像や誇張が紛れ込んでないにしても、伝聞の伝聞のそのまた伝聞情報だからね。まだ何とも言えないな」


 ぼくは有賀から聞いた話をできるだけ忠実に伝えたつもりだが、では完コピかと言われれば、「はい」とは言えない。それは無理だ。意図的に改ざんするつもりはなくても、伝言ゲームの宿命として、オリジナルからの逸脱は多少あるだろう。


「じゃあ、その飯塚さんに直接会って話を聞きますか」

「それは飯塚さん次第じゃないかな。向こうから話を聞いてほしいと頼まれれば断らないけどね」


 断らないのか。

 どの部分がツボを突いたのかはわからいが、東堂さんが自分から関心を示すのはめずらしい。


「それはそうとして、つぐみさんはこの件に関してどう思っているんだろう。守山君は聞いてるよね。つぐみさんの見解」

「ええ、まあ。聞いてはいます」

「テンション低いなあ。ボクには話したくない?」

「なんと言っていいのか、二つの説がありまして、一つは説得力があるんですけど、もう一つは意味不明で――」

「とりあえずその二つを聞かせてくれないか。どっちの説からでもいいよ。守山君の話しやすい方からどうぞ」


 東堂さんは足を組み替え、本格的に話を聞く体勢となった。

 気は進まないが、この状況で話さないという選択肢はないのだろう。

 ぼくは乾いてきた唇を軽く舐めた。


「じゃあ、説得力のある方から」

「よろしく」

城崎きのさきさんというのは、飯塚さんの妄想上の存在だったのではないか、というのです」

「ほう、妄想ときたか」

 東堂さんのこの反応は想定通りだった。

「さっきも言いましたけど、有賀はもう大丈夫ですから」


 先日のマゴノテ騒動の後、ぼくは有賀に事実を告げた。あれは全部、きみの妄想だったんだよと。

 最初、有賀は何を言われているのかが理解できず、きょとんとした顔をしていたが、時系列に沿って、有賀の妄想に対応する現実の出来事を一つずつ説明をしていくと、「そうだったんだ」と納得してくれた。有賀の話によれば、あの箱を初めて手に取ったとき、「中に干からびた人の腕が入っているのが見えた」ような気がしたことが、妄想の引き金になったのかもしれないとのことだった。ぼくは内心の動揺を隠し、「妄想すること自体は悪いことではないけど、高校生にもなって現実との見境がなくなるのはまずいな。これからは不思議に思うこと、判断に迷うことがあったらぼくにも教えてほしい。ぼくはできるだけ客観的な立場で判断するようにするし、手に負えなければまた東堂さんにも助けてもらうから」と言って、ミイラ状の腕のことはうやむやにした。


 今回のドッペルゲンガー騒動は、このときのぼくのアドバイスに従って、有賀がぼくに報告してくれた最初の事例だった。そしてそれは、ぼく一人の手には負えない内容だったというわけだ。


「つぐみさんのことは心配していないよ。今、くわしく聞きたいのは妄想説の具体的な内容さ」

「わかりました。順に説明します。飯塚さんの妄想は、高校の入学式前日に、公園で城崎さんらしき人物を見かけて、『高校に入ったらあんな子とクラスメイトになれればいいのに』と思ったことがトリガになったのではないかということでした」


 妄想というのは一種の現実逃避でもある。こうなればいいのになと願っても、現実には実現しえない願望も、頭の中でなら都合よく展開させることができる。その程度のことはだれだってやっているが、思い込みが強く、また願望そのものが切実な場合、現実との区別という一線を越えてしまうことがあるようだ。ぼくにはそこまでの経験はないが、有賀が言えば説得力はある。


「入学式前日に公園で見かけたのは実在する人物、入学式当日の教室にいた城崎さんは、飯塚さんの妄想上の存在ということになります。妄想の中でなら親友になることは可能なはずですが、この城崎さんは徹底的に飯塚さんを無視しました。なぜなら、現実的な接触まで行おうとすると、いろいろな矛盾が生まれて妄想が維持できなくなるからです。飯塚さんが一方的に城崎さんを見ているという『設定』であれば、矛盾を生まないまま妄想を継続することができます。

 飯塚さんは一年間この状況を楽しんでいたけれど、そろそろ飽きてきたので、二年生になった時点でクラスは別々ということなった――したのです。これなら、ふと思い立ったときだけ城崎さんを登場させればいいことになります」


「いいね」

 東堂さんは視線を天井あたりにさまよわせた。おそらく、城崎さんに関するエピソードを脳内でリピートし、有賀の妄想説を検証しているのだろう。

「その説はなかなかいいかもしれないよ」

「ぼくもそう思いました」

「続けて」


「学校での城崎さんは妄想上の存在で、ショッピングセンターや公園で見かける城崎さんにそっくりな人物こそが実在の人物です。見た目はホクロの位置までそっくり同じ、でも雰囲気は違っている。この状況も説明できます。ただ、飯塚さんにとって実在する方の城崎さんはコントロールの利かない厄介な存在です。いないはずの場所や時間で目撃してしまうことを避けられません。この歪な状況が飯塚さんを徐々に不安にさせます。そんなとき、久しぶりに出会った有賀から、ドッペルゲンガーという魅力的な解決策を教えてもらいます。実在の人物を消すことはできないけれど、ドッペルゲンガーなら抹消は可能。そう自分を納得させた飯塚さんは、手に負えなくなりつつあった妄想を終了させるために、あえて実在の人物に声をかけることで、城崎さんという存在を、飯塚さんの世界から消し去ることにしました。そしてわざわざ一組に出向き、城崎さんを完全に消去できたことを確認します。ただ、妄想の期間があまりにも長かったため、その余韻はしばらく残り続けます。今は現実世界に復帰するためのリハビリ期間ではないか。以上が有賀による妄想説です」


 こんな感じだっただろうか。

 ぼくは有賀から受けた説明を思い返しながら、再びぱりぱりに乾いてしまった唇を舌で湿らせた。、


「素晴らしい」

 東堂さんはぱちぱちと手をたたいた。

「完璧じゃないか。論理的にはどこにも穴がないよ。つぐみさん、やるなあ」

「東堂さんがそうおっしゃるなら、『説』としての問題点はないのでしょうね」

「キミにしてはめずらしく含みのある言い方をするねえ」

「説はあくまでも説ですからね。有賀もぼくも、飯塚さんとは別な高校なので、本当に城崎さんが架空の存在だったのかを確かめることができていません。全部、飯塚さんから聞いた話だけで推測するしかないのです。そしてこの妄想説を受け入れるとなると、飯塚さんは有賀以上の妄想癖があるということになります。なにせ城崎さんは、高校入学以来一年以上も飯塚さんの頭の中に存在し続けたということになりますからね。有賀が言うのですから完全な机上の空論とまでは思いませんが、そんなことがありえるのかなあというのが正直な気持ちです」

「冷静な意見だ」

「冷静です。ぼくには有賀の妄想癖をフォローするという役目がありますから、何事も疑ってしまうという悲しい習性が身についてしまいました」

「それで、飯塚さんから直接話を聞こうかって提案が出たのか」

「そういうことです」

「なるほどね。ではそのことは前向きに考えるとして、もう一つの説を聞かせてくれるかな」

「わかりました」


 妄想説はすんなりと理解できたので、ほぼ正確に説明できたと思うが、もう一つの方は今も何が何だかわからない。わからないものを説明するのは難しいというよりも不安が大きい。本当なら有賀に直接説明させればいいのだが、今日は家族と出かけるから無理だと言われている。そして目の前には早く話せと催促する東堂さんがいる。


「もう一つの説は、すでに話に出ているのですが、消えた城崎さんはドッペルゲンガーだったというものです」


 それを聞いた東堂さんは、「ほう」と言って先ほどよりもさらに前のめりになった。

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