3-06

 学校での城崎きのさきさんを見る目がすっかり変わってしまった。まずそんなことはありえないと思いながらも、大勢のクラスメイトに囲まれている城崎さんが、実はドッペルゲンガーなのではないかという疑いが常に意識のどこかにあるようになった。


 休み時間、こっそりと城崎さんのクラスに様子をうかがいに行くと、いつものように、教室の前方にある自席でクラスメイト達に囲まれている姿があった。ちゃんと会話もしているし、肩を叩いたり、叩き返したり――


 はあ、毎日毎日、私は何をこそこそ確認してるんだろう。

 放課後、誰もいない教室で考える。


 そもそもドッペルゲンガーというものはどれぐらいの人が知っているのか。同じクラスの何人かにそれとなく聞いてみたところ、半分ぐらいの人は、その単語だけでなく、どういう現象なのかということまで知っていた。一方で、「何それ」っていう、私みたいな人もいた。微妙だなと思う。信じるか信じないかは別にして、幽霊を知らない人はいない。比べても意味はないかもしれないが、幽霊ほどには一般的ではないのだ。

 ドッペルゲンガーのことを教えてくれたつぐみ自身も、最終的には都市伝説みたいなものだろうと言っていた。あのつぐみでさえそう思うのだから、ドッペルゲンガーなんてものは実在しないのだ。きっと。


 では、公園で見かける城崎さんに生き写しの人物はいったい何者なのか。ショッピングモールですれ違ったあの人物は別人ということになるのだろうか。考えはいつもここで行き詰まり、捨てたはずのドッペルゲンガー説がちらちらと頭をかすめる。


 教室の後ろの扉がガラリと開かれた。

「あれ? 飯塚さん、まだ帰らないの」

 同じクラスの武藤君だった。

「あ、うん。もう帰ろうかなって思ってたところ」

「本当かなあ。声をかけなきゃ、まだまだぼーっとしてたんじゃないか」


 武藤君はロッカーからスポーツタオルを取り出して首にかけた。


「武藤君は、ドッペルゲンガーって聞いたことある?」

「それってサッカーの選手?」

「人の名前じゃないと思う。そうだ。武藤君、サッカー部だったよね」

「お、おう」

「ちょっと教えてほしいことがあるんだけど」

「サッカーのこと?」

「あ、今は部活中だよね。ごめんなさい、また今度にする」

「いやいや大丈夫。今、休憩時間だから。それに飯塚さんの質問ならいつでもOK」


 武藤君は首にかけたタオルで顔をぬぐいながら、机を一つはさんだ席に腰を下ろした。

 どうしてそんなところに座るのかと聞いたら、今オレ汗臭いからと言われ、ドキッとしてしまった。


「えっと、あのね、武藤君のサッカー部、この前の県大会で優勝したでしょう」

「お、飯塚さんも知ってるんだ」

「もちろん。あ、そうだ。優勝おめでとう」

「ありがとう」

「私、運動部の試合のことよくわからないから教えてほしいんだけど、県大会とかって、試合に出ない部員の人も応援とかで会場に行くものなの?」

「もちろん。県大会じゃなくても、たとえば練習試合でも部員は全員参加だよ。試合に出ないやつは声出しで応援さ。オレもまだレギュラーじゃないから応援組」

「それは女子のバレー部でも一緒かな」

「そりゃあ一緒だろ」

「そうか、やっぱりそうだよね」

「え、もしかして、飯塚さん、女バレに入るとか」

「あ、そういうんじゃないの。運動部の人って大変なんだなあって思って」

「まあね。試合はなくても毎週土日も練習はあるからなあ。って、質問はそれだけ?」

「うん、ありがとう」

「こんなんで、なんか役に立ったのか」

「すごく参考になったよ。武藤君に聞いてよかった」

「だったらよかった。あ、オレ、そろそろ行くわ」

「ごめんなさい。せっかくの休憩時間だったのに全然休めなかったよね」


 武藤君は、「ノープロブレム」と笑って、後ろの扉から出ていった。

 あれ?

 武藤君の背中を追った視線の端に、だれかの人影がすっとかすめた。 

 教室前方の廊下側の窓だ。

 だれかにのぞかれていた?

 そのとき私の心に浮かんだのは、無表情な目でじっとこっちを見ている城崎さんだった。


 今日も帰宅前にもみじ公園に立ち寄ることにした。昨日も、一昨日も、ここ数日は毎日同じルートで家に帰っている。そして砂場のとなりにあるベンチを確認する。もしあの人物を見かけたら、今度こそ声をかけるつもりだった。そのとき、いったい何が起きるのか、どんな反応が返ってくるのか。それを考えると、ものすごく怖い。だったら声なんかかけなければいい。寄り道せずにまっすぐ家に帰ればいい。毎回、そう思いながら、気がつけばもみじ公園に向かうルートを歩いている。そして、遊具広場に向かう遊歩道に入り、前方の砂場に目を向け――


 いる。


 この距離からでもはっきりとわかる。いつもの砂場のとなりにある背もたれつきのベンチに一人で腰かけ、淡い朱色に染まる西の空を見上げている。斜め後ろから見るその輪郭は城崎さんそのもので、それでいて学校での城崎さんとは何かが違っている。


 胸の真ん中で心臓がその存在を主張し始めた。今胸に手を当てれば、服の上からでも鼓動が伝わってくるだろう。私はできるだけ「普通」を意識して遊歩道を歩き、声をかければ聞こえるだろう位置にまで近づいた。

 立ち止まり、深呼吸。ふう。よし、いけ。


「あの――」


 喉の奥に引っ掛かりながらもなんとか声が出せた。

 しかし反応がない。

 声が小さすぎたのか。それとも、聞こえないふりをしているのか。

 もう一度声をかけようか、やめておこうかと迷っていると、その人物がくるりと振り向いた。


 城崎さんだった。


 初めて目が合った。でも、その顔には何の感情も読み取れなかった。

 城崎さんは表情の無い顔のまま、すっとベンチから腰を上げ、一歩、二歩とこっちに向かって歩き始めた。

 全身の血が引いた。そしてわかった。

 この人物には決して声をかけてはいけなかったのだ。


 私は悲鳴を上げ、その場を逃げ出した。

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