3-04

「つぐみ?」

「くふふ、正解」

「急に声をかけるからびっくりしたよ」

「ごめんねー。声をかけるよーって言えばよかったね」


 中三で同じクラスだった有賀つぐみだった。見た目も話し方もまったく変わっていない。昔から女子の友だちがほとんどいなかった私にとって、つぐみは肩の力を抜いて話ができる唯一の女友だちだった。高校進学で離れてからは連絡を取ることもなくなったが、こうして二言三言言葉を交わすだけで、空白の時間が一気に埋められる。


「トイレの裏で何してるの。もしかして張り込み?」

「張り込みって――」


 そうだった。私はあわててベンチを確認した。そこに城崎きのさきさんの姿はなかった。周囲を見渡すが誰もいない。


 ああ、まただ。せっかくの機会を逃してしまった。

 私は小さなため息をつくと同時に安堵もしていた。

 つぐみに声をかけられなくても、たぶん最後の瞬間に私は何もできなかっただろう。何もできないまま立ち去っていく城崎さんを見送ることになっただろう。


「どうしたの。私、何かじゃましちゃったかな」

「気にしないで。それよりつぐみの家ってこの近所だっけ」

「近くじゃないよ。散歩で通りかかって、そしたらトイレの裏に怪しいヤツがいるなって思ったの」


 散歩なんて単語を久しぶりに聞いた気がする。そういうところがいかにもつぐみらしい。

 そうだ、城崎さんのこと、つぐみならどう思うだろうか。天然でふわっとしたところはあるけれど、私の相談事にはいつも真剣に耳を傾けてくれたし、なるほどと思うアドバイスをしてくれることも一度や二度ではなかった。


「ねえ、つぐみ、今から話をする時間あるかな」

「あるある。時間がありすぎて暇だから散歩してたんだもん」

「じゃあ、ちょっと付き合ってくれない」

「いいよ。どこで話す。そこのベンチにする?」

 どうしようか。もうすぐ日が暮れるし、さっきまで城崎さんが座っていたベンチというのはなんとなく抵抗がある。

「そうだ、マクドナルドにしようよ。ほら、この先の大通りのところにあるでしょ」

「マック? そうだね。あそこなら話もしやすいし」

 つぐみは小さな子どものように、「ポテト、ポテト、フライドポテト」と言いながら歩き出した。


「不思議な話ね。私、不思議な話って大好きなんだ。聞いてるだけでなんだかわくわくするでしょう。今の話もわくわくしたよ。話してくれてありがとう」

 フライドポテトを幸せそうにもぐもぐしながら私の話を聞き終えたつぐみは、コーラを一口飲んでから、いかにもつぐみらしいコメントを口にした。

「それでどう思う。ショッピングモールとかさっきの公園で見かけた城崎さんのこととか」

「ドッペルゲンガーだね」

「ドッペル?」

「ドッペルゲンガーだよ。知らない?」

 聞いたことがあるような気もする。言葉の響きはドイツ語っぽいとも思った。ということは心理学的な用語だろうか。

「私、説明するの下手だから、スマホで調べてみて」

「ドッペルゲンガーね」


 調べてみた。ウィキペディアの冒頭には、「自己像幻視」とあった。自分とそっくりの姿をした分身のこととある。そっくりの姿をした分身というのはその通りだけれど、私が見たのは自分ではなく他者の分身だ。でもその後に、同じ人物が同時に別の場所に姿を現す現象で、第三者が目撃するのも含むともある。これだと思った。でもさらに読み進めると、超常現象とか霊魂といった言葉が出てきた。


 それってどうなんだろう。私が見た城崎さんの分身(?)は、生き霊とか霊魂とかいう感じではなく、現実に存在する生身の人間そのものだった。でも、これらはいろいろある説の一部のようでもある。私はさらに先を読み、関連用語としてあったバイロケーションや、ドッペルゲンガーでヒットした他のサイトも開いてみた。その間、つぐみはどうしていたかというと、幸せそうな顔でフライドポテトを一本ずつ、ゆっくりと食べていた。


「ふう、だいたいわかったかも」

「熱心に調べてたね。で、どうだった。ドッペルゲンガーっぽくない?」

「うん、当てはまることがいっぱいあった。でもね、よく考えてみたら、城崎さんとその分身が、同時に別の場所にいたとは言い切れないのよ。本当だったら今こんなところにいないはず、ではあったんだけど」

「じゃあさ、明日、バレー部のだれかに聞いてみればいいじゃない。城崎さんはきのうの部活を途中で抜けたり、早退したりしてないかって」

 それは私も考えた。でも、私がそんなことを聞いたなんてことが、もし城崎さんの耳に入ったらと思うと、ためらってしまうのだ。何をこそこそ調べてるんだって気分を害してしまうだろうし、逆の立場だったら私だっていい気はしない。


「さっき聞いたなっちの話だけどね」

 フライドポテトを食べ終えたつぐみがまっすぐこっちを見て言った。

「とりあえず、城崎さんのドッペルガンガーが存在しているってことで、いろいろ考えてみたんだけど」

「うん」

「どっちが本体で、どっちが分身の方なんだろうって」

「え、どういう意味」

「学校での城崎さんって、なっちのことを完全に無視するんでしょう」

「そうだね。無視っていうか、まるで見えていないんじゃないかって思うよ」

「見えてないんじゃない」

「ちょっと待って。学校で見ている城崎さんがドッペルゲンガーってこと?」

「無理があるかな」


 考えたこともなかった。そもそもドッペルゲンガーというものを知ったのがついさっきなのだから、そんな発想は持ちようがなかったというのもあるけれど。


「でもね、学校での城崎さんはたくさんの人と話をしたり、部活で活躍したりしてるんだよ」

「だよね。ウィキにはドッペルゲンガーは周囲の人と話をしないって書いてるもんね。やっぱり無理があるかな。でもね、さっきなっちが調べてた中にもあったと思うけど、フランスの女の先生で、たくさんの生徒の前で分身が目撃されたっていうのがあったでしょ。そのことがちょっと頭をよぎって、そこからどんどん妄想がね。へへ」


 そのエピソードはたしかにあった。私はスマホを取り出し、履歴からその記事をもう一度表示させた。

 フランス人のエミリー・サジェという女性教師についての事例だった。生徒の前で何度も分身が現れ、あるときには四十二人もの生徒が分身を目撃したという。ただし、時代は西暦1800年代のことだから、伝聞の途中で脚色が加えられた可能性はある。でも、すべてが捏造とも思えない。話半分に聞くとしても、複数の人間によってエミリー・サジェの分身が目撃されたという事実はあったのだろう。


「学校での城崎さんの方が分身――」

「ごめん、ちょっと妄想が暴走しちゃったかも。自分一人で妄想するのはいいけど、それをあんまり人に話すなって言われてたんだった」

「いいよ。それがつぐみなんだから。私一人だったら思いつきもしなかったし。ドッペルゲンガーっていうのも知らなかったから。今日教えてくれたこと、もう少し考えてみる」

「じゃあ、あと一つだけ言ってもいい?」

「どうぞ」

「ドッペルゲンガーって、その人の死期が近づくと現れるって書いてあったでしょう。死の前兆とかも。それがちょっと気になってさ。でもまあ、なっちの見た公園の城崎さんが本当にドッペルゲンガーだったらって話だけどね」


 そうか、ドッペルゲンガーには「死」というイメージもつきまとってくるのか。

 あの公園のベンチでの城崎さんに、この世界から消えてしまいそうと感じたのは、そういうことだったのかもしれない。城崎さんが間もなく死ぬ? まさか。でも、少しでも可能性があるのなら、事故とか病気とかに気をつけるよう伝えてあげないと。


「でもさ、まず違うよね。ドッペルゲンガーなんて都市伝説みたいなもんだから。たぶんそっくりな人だったんだと思うよ。やっぱごめん、ついつい私の好きなタイプの話だったから、変なこといっぱい言っちゃった。あんまり深刻に受け取らないで」

 私は、「うん、ありがとう」と言いつつも、死の前兆という言葉が胸の奥に刻み込まれたのを感じていた。


 その後、つぐみと連絡先の交換をし、何かあったら連絡してねと言われ、それぞれの帰途に就いた。

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