薄明奇談
2-01
新たな問題が持ち上がった。
発信源はまたもや有賀つぐみである。そしてまたもや東堂案件だった。
ぼくは東堂さんに電話をかけ、「相談があります」とだけ伝えた。「いいよ、では手短にどうぞ」と返されたが、説明には時間がかかるので直接話がしたいと言った。この時点で大方を察したらしく、東堂さんはしばし黙り込んでしまった。
気まずい沈黙の後、明らかにテンションの下がった東堂さんの指示で、次の日曜日の午前中に東堂塾へ出向くことになった。その時間、いつもなら受験対策として中三数学の特別授業をやっているらしいが、次の日曜日は大手進学塾の英才アカデミーが主催する公開模擬テストがあり、生徒たちがそちらを受けに行くので、丸一日、場所も体も空いているという。自分のところも塾なのに、それでいいのかとは思ったが、どうやら東堂さんが生徒たちに受けてこいと勧めたらしい。
おおらかというか、適当というのか、いずれにしても東堂さんらしい話ではある。おかげでぼくの方は時間を気にせず相談ができるから、ありがたいことではあった。
そして迎えた日曜日、八時半過ぎに家を出た。毎回手ぶらというのも気が引けるので、途中で立ち寄ったコンビニでキットカットのお徳用袋を買った。
東堂さんの塾は駅前雑居ビルの二階にある。狭い階段を上りきったところに入り口のドアがあり、〈東堂塾〉というそのまんまな、だけども字面だけみれば由緒がありそうなプレートが掲げられている。
ノックを三回。間をおかずに、「どうぞー」の返答。「おじゃまします」と言いながら、ドアを押し開き中に入る。そこはいきなり教室で、二人用の長机が二×三列に並べられている。東堂さんは入り口から一番遠い窓際の席に腰かけており、顔だけをこちらに向けた。
「なんだ守山君か」
「どういう意味ですか」
ぼくはドアを後ろ手に閉め、ずんずんと教室の中ほどまで進み、「手土産を持ってきた日に限ってひどい言われようですね」と言いながら、キットカットのお徳用袋を机の上に置いた。
「だってずいぶん早いじゃないか」
そう言う東堂さんの手は早くもお徳用袋に伸びている。
「午前中に来いって言ったのは東堂さんですよ」
「言ったよ。するといつものキミなら十一時五十分頃にやって来て、ボクが遅いぞって言うと、まだ午前中ですって開き直るだろ」
「それでいつも叱られるから、今日はこうして早く来たんです。何か問題ありましたでしょうか」
東堂さんが両肩を上げつつ首をすくめるという古典的なゼスチャーをしてみせたとき、コンコンと二回、ドアがノックされた。
「どうぞー」
おじゃましますのあいさつとともに入ってきたのは、ひょろりと背の高い神経質そうな若い男性だった。
「お、さすが西川君だね。約束の九時ちょうどだ」
「先生は時間にはきびしいから、あっ――」
西川君と呼ばれた男性はぼくに気づき、「先客がおられたんですか」と言って、ぺこりと頭を下げた。ぼくもあわてておじぎを返す。
「出直した方がいいですか」
「ああ、この人のことは気にしなくていいよ。どうせいつものようにわけのわかんない話かどうでもいい話をしに来ただけだから」
「ちょっと待ってくださいよ。わけのわかんない話かどうでもいい話って、ぼくの話をいつもそんな風に思っていたんですか」
「思っていたとも。今日だってその手のやつだろう」
違いますとは言えず、ぼくは一瞬言葉に詰まってしまった。
「――有賀から相談を受けたドッペルゲンガーの話です」
東堂さんは両の手のひらを上に向け、首をすくめてみせた。
「つぐみさん絡みの相談で、ドッペルゲンガーの話? ああもう、それを聞いただけでお腹がいっぱいだ」
このコメントにも異論はない。ぼく自身も持て余しており、東堂さんに丸投げしようと目論んでいるからだ。
「いずれにしても守山君の話は今日中には解決しないだろう。やっぱり後回しだ。というわけで西川君、予定通りキミの話から始めよう。守山君は今すぐ席を外してボクが呼ぶまでどこかで時間をつぶしてくれたまえ」
ダブルブッキングとなった原因を自分で作っておいてずいぶん偉そうな言いようだ。とはいえ面倒ごとを持ち込んでいる立場なのでここは受け入れるしかないだろう。
「先生、それはちょっと気の毒です。僕としては、こちらの方にいてもらっても構わないですよ」
そう言って、西川さんはぼくに向かって小さくうなずいた。
「でもキミの話はご家族に関するプライベートな内容だからね。他人に聞かれたくはないだろう?」
「全然気にしません。まあ、しょぼい父親の話ではあるんで、聞かされるこちらの方は迷惑かもしれませんが」
「キミが構わないというのなら、ボクとしてはどっちでもいいんだけどね」
「じゃあ、残ってもらってください」
「ということだそうだから、守山君、ここにいてもいいよ。もちろん席を外してくれればなおいいが」
東堂さんはキットカットのお徳用袋をばりばりと開き、つまらないものだがよければどうぞと西川さんに勧めた。
「あの、西川さんって――」
「この塾を手伝ってくれているバイトの学生さんだ。M大学理学部理論物理学科の二年生。ああ、この守山君は、うちの塾生でもないのにしょっちゅうボクに厄介ごとを持ち込んでくる帰宅部所属の高校生だ。で、どうする? 西川君の好意に甘えて、ここに残る? それとも気を利かせて席を外す?」
「残らせてもらいます」
先ほどからの扱われ方に大いに不満はあるが、いつになるかもわからない呼び出しを待って外をうろつくのも嫌だった。ぼくは西川さんにお礼を言って、二人から一番距離を取れる東堂さんの事務机の席へと移動した。
「さてと、それでは本題に入ろうか。西川君は元々お父さんのことを尊敬していたんだろう? たしか以前の飲み会で聞いたような記憶があるんだが」
「そんな話をしてましたか。かなり酔ってたんですね。まあ、その通りです。過去形なんですけどね」
「西川君の中で、その尊敬すべきお父さん像を大きく崩したのが地縛霊の目撃体験だったということだね」
地縛霊? そっち系の話なのか。
ぼくは息をつめて耳に神経を集中させた。
「あれが地縛霊なのかどうかよくわかりませんが、いわゆる幽霊ですかね」
「そこのところをもう少しくわしく聞かせてくれないか。内容によってはお父さんの権威を取り戻すことができるかもしれない。そうなれば西川君もすっきりした気持ちで帰省できるだろう」
どうやら西川さんのお父さんは末期のがんで地元の病院に入院されており、最近かなり体調が良くないらしい。母親からは一度帰省して面会するよう言われているが、西川さんにはお父さんに対するわだかまりがあり、面会することにためらいがある。
二人のやり取りから、そんな背景がうっすらと見えてきた。
そのわだかまりの発端となった出来事に幽霊が関わっているらしく、東堂さんがくわしい事情を聞きたいということで、西川さんが呼ばれたようだった。
西川さんはしばらく渋っていたが、東堂さんにしつこくうながされ、尊敬していた頃の父親のこと、その父親に失望する発端となった出来事を話し始めた。
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